「何も無い、というアートが日本の文化を変化させるかも…」

アートを考える時に、、、

どの状態がアートな状態なのか?と、いう部分を考える必要があります。

もちろん、アーティストのしかけるアートなインスタレーションに委ねられるのですが、無いこととある事はどちらもアートになる、という不確定な部分を問題視していく必要があります。

震災が起こり、建造物や様々な自然が破壊されてしまった風景にあるのは、無です。

当然、そういった震災における無は異常な事態ですし、アートなどという言葉で片付けられることではありません。

しかし、これが震災などでは無く、故意にどこかの密集地が更地になった場合、それはアートとなり得るかもしれません。

何も無い場所事態が空間としてのアート性を強めてくれるのです。

 

そもそも、何かものを作りだし、建造物を多く作り続けていくことで、東京などは空き地すら無くなりました。

アートと呼ばれる最高の建造物であったり、さらには、数十億という予算を使い、最高の設計と素材で作り上げたオブジェのような施設など、一昔前では想像もできなかったような世界が広がっています。

しかし、その風景はアートと呼べるのでしょうか?その場所自体はアートなのかもしれませんが、全体に観てみるともう何がなんだか分かりません。

逆に、東京の良さというのはそういった部分にもあるようで、外国人の方々はエキセントリックな街である、と大絶賛しています。

しかし、結果的にそういった絶賛の声を間に受けていこと事が危ないことです。

何故、そんな絶賛の声があがるのか…。

その理由なのですが、彼達は自らの街に誇りを持ち合わせているからでしょう。

 

パリやイタリア、スペインなど、場所によっては建造物をひとつ建てるのにも、凄まじい制約が存在しています。

それは、景観を壊さずに、アートな状態を継続していくとう部分があるからです。

だから、ただ根幹がしっかりしているので、日本のそういった破壊的な風景を楽しめるのです。

何も無い場所というのを壊して行くことは、果たして未来の都市のアートとなるのでしょうか?減らす、ということも一種の手段として考えても間違いはないような気もします。

何も無い、ということをアートである、と日本人が心より感じることができるのであれば、それは新しい文化の始りになるかもしれません。

ちょっと、固い話になってしまいましたが、大切な部分でもあるのかな…と、思いました。

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