西脇義訓氏がタクトを振るった、
正直驚いている。
大学時代はワグネル・ソサィエティ・オーケストラに所属し、チェロ奏者として活躍していたことは聞いてはいたが……驚いたのはそれだけではなかった。
オーケストラの楽器配置を変えたことだ。
私たちが知っている楽器のレイアウトは、第1・第2ヴァイオリンは舞台の下手、ビオラ、チェロそしてコントラバスが上手という具合に指揮者を中心にレイアウトされている。
だが西脇氏はその配置に新たな実験を試みた、それも世界で初めてのことである。
演奏曲目はブルックナーが終生愛したワーグナーに献呈した、交響曲第3番”ワグネル”、昨年4月に所沢にあるミューズ・アークホールで第一弾の録音を行った。
西脇氏はこれまでの楽器配置に疑問を抱き、オーケストラの理想の響きとは何かを長年考え続けていた。
それも自前のオーケストラ”デア・リング東京オーケストラ(録音を目的に2013年に編成されたオーケストラ。
名称は、先進性・独創性・開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作”ニーベルングの指環”に因む)”を結成したというのだから驚かずにはいられない、維持費、資金面は相当なものだろうと無粋なことをつい考えてしまう。
そのレイアウトはこうだ、 弦はカルテット6つ分で編成、全員正面を向いて座り、上手に第1ヴァイオリン、下手に第2ヴァイオリンが並ぶ。
後ろにビオラ、チェロ、コントラバスは2人ずつ左右に分かれた配置となっている。
指揮者を中心とした半円形ではなく、全員客席に向いて演奏。
これはドイツのバイロイト祝祭劇場の楽器配列を参考に、オーガナイズされたという。
確か4年前だったと思う、西脇氏がバイロイト祝祭劇場へ行った際、その劇場のオケピットをメールで送ってきたことがあった、これはまさしく私へのアヴァンタイトルだったのだろう。
その送られてきたメールから西脇氏がいかにオーケストラの配置にこだわり、理想の響きを求めているかを実感したほどだった。
メールにはバイロイト祝祭劇場での感激が記されていた。
“オーケストラ・ピットは6段になっています。最上列は第1ヴァイオリン(右=下手に配置))と第2ヴァイオリン(左)で、歌手が舞台の奥に行かない限りは見えます。ビオラが2段目に7プルト(譜面台)あり、1プルト目は指揮者に向かって座っています。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの8プルト目はビオラの後ろにそれぞれあり、その下(3段目)がチェロですので、ビオラを囲むように弦が配置されており、これはバイロイトのアンサンブルの基礎を作っていると感じました。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが同じですが、本来同じであるべきだと常々思っていました。
この写真には、3段目(チェロより後ろが映っています)。
ワーグナーは誤解されているとかねがね思っていました。
特に指揮者は、バイロイトを体験しないでワーグナーは演奏してはいけないと思います。
多くのバイロイトの録音はオーケストラの近くの音を取っているので、会場の響きとは違うことがわかりました。”と。
この時西脇氏はワーグナーの”トリスタンとイゾルデ”を祝祭劇場で聴いていて、オーケストラの演奏が本当に柔らかく、深くて、すばらしいと述懐していた。
そしてその音をバイロイト祝祭劇場のような特殊なオケピットを使わずに演奏したいと力強く語っていた。
その強い思いと信念は今回の録音で達成され結実した、このオーケストラ配列から聴こえてくる音源はデジタル的な乾いた音ではなく、どこか懐かしい響きで、樹木が密生している樹叢のような香しい音に聴こえた。
西脇義訓氏はガラスCDをコラムで紹介した人物で、N&Fレーベルを運営している。
西脇氏と録音家の福井末憲氏の両氏で2001年に興す。
西脇氏との縁は、チェリストの青木十良氏がきっかけだった。
青木十良氏を番組化するため、そのレーベル先が西脇氏・福井氏の会社であった。
あれから十年近くなるだろう、その間にN&Fは他のクラッシックレーベルとは比較にならないほど画期的な録音で世界のクラシックファンを虜にした。
それを支えているのが録音家の福井氏である、氏はフィリップス・クラシックの伝説中の人物オノ・スコルツェ氏に指導を受け、レコーディング技術を学んだ人だ。
音をダイレクトに拾うのではなく、ホール全体に広がる響きを包み込むように録音するのが福井氏の考え方だ。
録音はその技術者によって解釈は異なるだろう、だがいちどとして福井氏が録る音色から色褪せたものを感じたことはない。
“芸術はすべて実験である、それは言いようのないアヴンチュールがともなう”この言葉は、ATG映画時代の師である葛井欣士郎氏が語ったものだ。
実はクラシック音楽のスタートは前衛的であり実験そのものであったのではないか、危うさにこそ華は咲くのだ。
”ワグネル”を聴きながらふとそんなことが過ぎった、願わくば、CD音源ではなく生の音を聴きたかった。