鉄を叩く男

倉田光吾郎41歳、この男ただ者ではない。

 

2004年にアニメ「装甲騎兵ボトムズ」に登場する2足歩行ロボット「スコープドッグ」、全高3.8m、重量は2トンの実物大ロボットを作り世間をアッと言わせた

またロボットの「製作途上の日記」がウェブ上”なんでも作るよ”で公開されるや瞬く間に注目を浴び、彼の一挙手一投足に熱い視線が注がれた。

さらに2年前にはスコープドッグを凌駕する、全高4m、重量約4.5トンの実際に人が乗って操縦できるロボット「クラタス」を製作し(途中より、ロボット制御エンジニアの吉崎航がプロジェクトに参加)、幕張メッセのワンダーフェスティバル2012”夏”に於いて観客から多大な絶賛を浴びた。

この知らせは海外にも配信され、世界各地から称賛の声が響いている。

 

そして、このクラタスは(倉田光吾郎/吉崎航)第16回文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門で最優秀賞を受賞した。

特徴としては、作りながら知識と技術を取り込んでいく、”作りたいものがあるから、技術を手に入れる”というスタイルだ。

また、そのような中で、知識や技術を得るための人との出会いなどが、重要な要素になっているという。

職業はと問えば、対象物によって千変万化だ。

調香師である島崎直樹の「香り展」のオブジェや、新国立劇場で催された「フィガロの結婚」の舞台装置。

また門扉、看板、シャンデリア、椅子、表札と言った具合にバラエティに富んでいる。

インテリアからエクステリアまでまさにウェブのタイトル通り、”なんでも作る”鉄を中心にしたアルチザンである。

彼が鉄であらゆるものを創るようになったきっかけは、彼が生まれた年に父親が西洋鍛冶のアトリエを始め、あまりに鉄が身近にあったため興味が持てなかったという。

しかし、高2の夏休みにリクルート主催のアートコンペに出品してみようとベースギターを鉄で作ってみようと思い立った。

それが鉄でモノを作り始めたきっかけだと彼は言う。

 

ギター

 

初めて作った作品が” FROM−A−THE−ART”が佳作に入選、これも驚きと言うほかない。

モチーフにギターを選んだのは、機能に特化した造形美に惹かれたからだと言う、倉田光吾郎のすごいところは、鉄を加工する技術、機械関係の知識、デザインの全てがとても高いクオリティにあり、 デザインではクェイ兄弟の作品に影響を受けている(スティーブン・クエイとティモシー・クエイ、一卵性双生児/チェコのシュルレアリスムアーテイスト)

倉田氏が未知の世界へ挑もうとしていた時、出会った。

出会ったのは8年前、彼の作品に興味を抱き番組企画として彼を取り上げたかった。

会った場所は中目黒、倉田氏はその駅近くにあるサボイ (知る人ぞ知るナポリ・ピッツァの名店。

メニューは「マルゲリータ」と「マリナーラ」の2種類のみ)のオーナーから突然の依頼を受け、オーナーとの打ち合わせのために殆ど毎日のように中目黒へ来ていたからである。

地下1階、地上3階建てのピザハウスのプロデュースだ。

オーナーの注文は突拍子もなかった”地獄のようなものを作ってくれ”と……ある意味ずぶの素人に建物をオーダーする発想(感覚)は何処から来るのか、また地獄のようなものとは何をイメージしているのか倉田氏は悩んだ。

オーナーは工期、イメージなど思い通りにやって構わないと、倉田氏はその言葉に火が点き未だ経験したこともない”世界”へ取りかかったのである。

“建物の中に立って、そこで思いついたものを勝手に作るというのは夢のような仕事。

仕事量を考えると、悪夢ともいえそうですが”と、倉田氏は語った。

 

そして、彼のイメージは模型づくりから始まった、オーナーからのミッションは、ピザ釜、螺旋階段、建物正面のイメージ等々いくつもの難題が彼の背中に覆い被さった……。

倉田氏はこの建物に精一杯打ち込んだ、彼の進捗状況を知るために連絡をするが忙殺の中での会話は難しかった。

自ずとこちらの企画の話もぼやけてくる、企画書を提出し番組担当者と打ち合わせをする、しかし相手はなかなか首を縦に振らず時間ばかりが過ぎていく、いつしか企画の話は自然消滅のよう形になりなんともやりきれない気持ちで一杯だった。

こちらが面白いと思っても、相手方の気持ちひとつで企画は決まってしまう、それはグッド・ベター・ベストの範疇のルールを超えたジャッジのようにコロコロと人の気分は変わるのである。

世界で何々賞を取ったと言えば立ち所にテレビはハイエナのようにカメラを回す、仮に何々賞を取った人物を企画すればすんなり通るだろう、管を巻いても仕方ないが紙面に出たときでは遅いのだ、そこで鮮度は完全に失ってしまう。

新サボイの枠組みが建てられ、螺旋階段は出来上がり、ピザ釜も出来上がっていった……彼と交わした番組企画はついぞ消えてしまった。

鉄と石の文化が浸透した西洋にも少ない贅沢な建造物は半年を費やし、ようやく完成した、サボイという店名も聖林館という名に変わった。

倉田氏は言う”職人とは求められたものを早く、正確に作ることと考えている。

これは物作りとして素晴らしいが、視点を変えると作るものへの自由さはかなり低いと思っている。

自分の場合は、どんなに回り道をしても作ると決めたものを実現させるというスタイル故に、無駄(時間・材料・労力)が非常に多く、この点を指してアマチュアイズムと考え、自分はプロではありたくないと考える”倉田氏の目指すものはプロの技術を持ったアマチュアでいたい、技術力だけをウリにした”職人”にはなりたくないと言うことだ。

アートの中に技術が見える、きっとそういうことなのだろう。

こちらの計画は頓挫してしまったが、久しぶりに本物のアーティストと出会えたこと、これに尽きる。彼のこれからの動向を見守っていきたい。

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