モンタージュの映画作家アラン・レネ

アラン・レネが旅立った、91歳、ヌーベルバーグ左岸派の監督は永遠の眠りに就いた。

4年前、ユーロスペースと東京日仏学院に於いてアラン・レネ全作上映~フランス映画祭の日のことが頭に浮かぶ、全作品を観ることはできなかったが、劇場でもういちど観たいと思ったのが”去年マリエンバードで””ヒロシマモナムール(24時間の情事)”だった。

そして昨年もことあろうかレンタルで”去年マリエンバードで”を観てしまった、感想はコラムでも取り上げたが、今にして思えばその”予感”は上映側にはあったのだろうと想像する。

 

レネの映像話法と形式は白のイメージを想起させる、虚無の世界に投げ出されたような印象が我が身に打ち寄せてくる、それは”夜と霧”がそうであるように、黒白で撮られた第2次大戦中の実写とカラーで撮られたモンタージュのからくりであり、その幻影は否応なしに心象として無意識の裡に呑み込まれてしまったのかも知れない。

”24時間の情事”、原題はヒロシマモナムール、この映画は日本が舞台だ。

レネが撮る映画は難解さが魅力のひとつとなっているが、この映画は比較的馴染みやすい類に入る映画だと思う。

しかも、レネの長編映画第1作目が日本だったということに驚嘆を覚える。

第2次世界大戦の悲痛な経験に苦しむ女性を主人公にした物語、ドイツ軍占領下のフランスで起こった恋の呪縛を抱えながら主人公は広島を訪れる、日本では原爆が投下され悲惨さが漂う、その中で主人公の意識はさまよい、荒野に翻弄され、いつしか結び合うプロセスがモンタージュとして送り出されていく。

日本人の建築家と一夜限りの情事に耽ける主人公、そこで主人公は知る、広島の悲劇を。

主人公はかつて戦時中、ドイツ人兵士を恋人にしていたことで、戦後頭を刈られて断罪されるという過去を持っていた。

そして女は男との情事を通じて広島の惨禍を知るのだった。

 

マルグリット・デュラスが人間の犯す原罪と捉えて描いた原作をアラン・レネが映像の中へ投影した。

 

この映画は反戦映画でもなく、原爆批判でもない、レネはドラマツルギーすら否定し、イメージの羅列、つまりモンタージュの手法で男女の会話を生み落としていく。

主人公は時間の流れとともにかつてドイツでの経験したことを思い出し、その中で現在の自分の行動を意味づけようと藻掻き、戦争の記憶が薄れていく哀しみが醸し出されていく。

ステレオタイプの映画文法とは非常に異質なものとなった、過去と現在、実相と記憶とが表層の中で浮沈しながらモンタージュを繰り返していく。

思うに、それは埋もれて行きそうな過去の色調や記憶の断片を必死で取り戻そうと、現実の世界とにらみ合い共鳴することによってぼんやりとした記憶のシルエットに明確な意思表示とフレームを創り出そうとルネは実験を試みたのだ。

モンタージュの新たな手法で登場したルネ、まさしくヌーベルバーグの嚆矢としてふさわしい監督であった。

レネは遠い世界へ行ってしまったが、彼の遺した空想・妄想・想像・シュールレアリズム等の作品はいつまでも色褪せることなく生き続けることだろう、今頃はヌーヴォー・ロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエに遭遇しワインを傾けているかも知れない。

 

Alain Resnais3

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