ネオ・ダダたちの蔓のようなしたたかさ

そのギャラリーは銀座のど真ん中にあった。

見渡せば辺り一面建築ラッシュの喧噪の中、目的の建物だけで昭和の幻影とも思えるビルディングが瀟洒なビルに囲まれひっそり聳えていた。

銀座のギャラリーともなると厳めしい構えが多い中、地上5階建ての雑居ビルにあるギャラリーは厳めしさなどとは無縁のお披露目が催されていた。

だがそのガラス張りの扉を開けると、挑発的な創造者たちから鋭い斧で今にも襲いかかるような気配をプンプン匂わせ、こちらはただたじろぐだけであった。

 

”ネオ・ダダ新作展2013-2014”がギャラリー58にて行われた、ダダ(ダダイズム)と言えば、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊を意味する芸術運動のひとつである。

 

ギャラリーの壁は白一色に染まり、出品された作品は一種異様な雰囲気に包まれていた、殊に天井に届きそうな吉野辰海の極彩色に彩られた”象少女・骨かんざし”の立体作品は美と言うより妖しさとプリミティブと驚異が同居する造形物に思えた。

 

頭部が朱色で足下は黄色の造形物、犬と少女と象を一体化したイメージだという、まさにダダイズムを一心に貫く作品。

この造形から全てを夢想し且つ透視することは不可能なことだが、時間経過と共に奇妙な像に惑溺していく自分があった。

像に寄生するもの、それは被造物のような宗教性を含んだ面影が影を落としているようにも思えるのだ。

吉野辰海の制作過程の解説に依れば、テーマは水だと言う、水と女性は”生命”そして”再生”の象徴であると言う。

循環と生成をイメージする象少女の立体物を眺め、即座に生命と再生を思い浮かべることはできないが、となれば生命維持の核となる装置は女性しか持ち得ないと言うことになる、男性がいかに劣勢分子であるかと改めて痛感し、笑うに笑えない作品を見てしまった。

 

ネオ・ダダは1960年、故吉村益信の発案で結成された前衛芸術グループ。

結成はされたものの1年と満たない間に雲散霧消してしまったが、その活動は美術界に大きなムーブメントを起こし、過激なネオ・ダダとして名を馳せた。

そのメンバーには赤瀬川原平・田中信太郎・篠原有司男・吉野辰海・風倉匠・荒川修作・石橋別人・豊島壮六・上田純・岸本清子らがいた。

今回の新作展に“創造は破壊であり、破壊は創造であった”というネオ・ダダの旗印を下に4人の勇姿が集まった、赤瀬川原平・田中信太郎・篠原有司男・吉野辰海の面々である。

結成当時のスキャンダラスで挑発的な作品は残念ながら残っておらず、記録写真を通してしか見ることはできない。

本展は2013〜2014年にかけての4人の前衛芸術家たちの最新作である。

若かったメンバーたちも今や70代後半、姿形は変わっても老境の淵を吹き飛ばすほど未知へのエネルギーに漲っていた。

近年は腰が痛い、めまいがする、寝付きも悪いとどこかの紙面で語っていた赤瀬川原平、”老人力”を唱えていたはずだったが、やはり寄る年波には勝てないか……いやいやどうして5点の写真は異才にふさわしく赤瀬川独特のアングルで当方を喜ばせてくれた。

トマソン・路上観察は言うに及ばず、カメラ好きはつとに有名で”ライカ同盟”なる本まで著した、趣味か職業か区別が付かないほど多趣味でそのフィールドワークは舌を巻くほどだ。

中でも中古カメラがめっぽう好きらしく、収集者としても一目置かれる存在である。

そんなことから展示された写真も赤瀬川カラーは随所に表れ、”町内商店街で”と言うタイトルの鍼灸整骨の看板は実にアートだ、これも長年続けてきた路上観察者の眼力から養ったものに違いない。

もうひとつ気になる写真があった、”春一番が吹いて”というセピア風の写真、赤瀬川の自宅庭と思しき処に一脚の真っ白なスツールが映し出されている。

その影に重なるように洗濯干しハンガーがくっきりと影を落としている、この情景はどこか寂寞たる印象が滲み出ていた、影の行方は無限の空へと続きそのまま潰えてしまいそうな表徴であった。

あの頬骨の張り具合、そして土着民のようなエラがしぶとさを見せつけていたのに、その”粘着力”が消失し、どこか暗示めいた風景に違和感を覚えてしまったのである。

ギャラリーは想像していたよりも狭かった、その狭さの中でひときわ目立っていたのが篠原有司男の絵だった。

今回のグループの中で一番の長だ、齢82歳。

数字で年齢を推し量るのは野暮だと思うが、この絵のタッチは肉体を武器とした即興詩人のような絵画を思わせる。

壁一面とまでは行かないが、アクリル、カラーインキ、そしてペンで描かれた”寺田屋の斬り合い”は快活で不穏さが絵から浮かび上がってくる、この男には迷いが全く感じられない。

あの強面の顔から幻想や熱狂が浮かび上がってくる、RGBの三原色絵の具をかき集め一気に描いていったのだろう、タイトルの寺田屋の斬り合いのように、血湧き肉躍るが如く篠原有司男の絵はまさにスキャンダラスそのものだった。

このネオ・ダダの主宰者であった故吉村益信は、ネオ・ダダについて書いている。

”いまの時点で振り返ると、ネオ・ダダはどこの運動にも見られない、突出した才能の類型抜きで輩出しており、現在進行形で展開しており、他面同時に内部で静かに胎動し、地殻変動は続いている。

組織は9ヶ月でも、運動はいまだ続いて、組織を短期にとりはずすことで、内部ははずみをつけて自在に散開した、つまり、ネオ・ダダは短期解体によって持続運動に生まれ変わったといえないか”と。

ネオ・ダダという集団は地面を這う蔓のように、いくつもの芽が生成し、そして気がつくと都市はその蔓に浸食され食いつぶされていく、なんとも爽快である。

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