「日本が誇る美意識こそ、世界に誇るアートではないか?」

工芸品や骨董品というと、どこかアートとは別物のような気がしてしまいますが、大きな枠でくくってみれば、当然こういったものもアートとなります。

しかし、西洋の食器などと日本の和食器となると、全く価値というか、その存在意義も変わってきますし、中には西洋の皿はアートでは無い…と、良い張る人もいます。

たしかに、日本の骨董品というのは、観賞用としての価値が非常に大切にされているような気がします。

それに比べて、西洋のものというのは、観賞用のように作られる製品は装飾的で華美な製品が多く、日常的に使えるものとなると、まぁ使えれば良いのでは?と、いう昨日的な一面が強いのが特徴です。

さて、そういった意味合いで西洋の食器などに目を向けると、西洋の食器にはアート性は少ない…と、いうことなのでしょうか?非常に難しいですね。

個人的には、食文化の違いが大きいのでは無いか、とは思うのですが、日本が良くて海外が悪い…と、いう訳ではありません。

しかし、西洋の王侯貴族的な食事の場合はまだしも、日常的にはペーパー的なものを食器にしたり、大皿をみんなで取り分けるという食事が多いような気がします。

また、主食がパン系であったりすることも関係しているかもしれませんね。

近年の日本では、あまり食事を大切に…と、いうか食事に心を傾けることができる状況で無い方も多いのが実態です。

プラスチックケースに入った半額の弁当などで済ます方が多いですが、まぁ通常の生活をしている方々に限っては、ちゃんと食器を使ってご飯を食べています。

とはいえ、普通のサラリーマンの家族が、魯山人の食器などを使っているということは無いとは思いますが、一応、それなりの骨董系の食器を使います。

焼き魚を入れるもの、サラダなどを入れるもの、漬け物、ご飯、お椀などとにかく、小分けにそれぞれを主役にしようとした器が揃っています。

意識が高いというか、それぞれの食材をどうすることでより美味しく、または美しく見せるか、ということをナチュラルに選定しているのです。

骨董品としての食器類などにこだわるのも面白いです。

同じご飯を食べるだけなのに、何故か食器を変化させて気分を変えたがります。

さらに、猪口などの酒を飲むための器も紙のパックで飲む方は、日常的にほぼいないでしょう。

できるだけ、良いものを使い、そしてその酒の味を倍以上に美味しく感じられるようなイメージで楽しむのです。

ここまでいくと、確かに食器類はアートと呼べます。

ここまで食器にこだわる民族って、他の国ではあまり見られないような気がしますね。

中には、葉っぱの上に食材を置き、素手で分け合って食べる地域もあるというのに、箸1本数千円から数万円の素晴らしい食器を使っているのですから、これが凄い事なのです。

さらに、冷静に考えると凄いのが、100円圴一などの食器コーナー。

まず、ここまで安価な食器なのにも関わらず、骨董系のルックスをした商品がいくつも揃えているのです。

正直、紙パックなどでも良いところなのにも関わらず、こういった最低価格で揃えた場所でさえも、食器にはこだわるのです。

日本における骨董品や工芸品は、食器に限ってはまさしくアートでしょう。

これは、日本が誇るべき美意識の高さであると、胸を張って言えることだと思います。

もし、全くアートにも興味が無いし、難しいし、センスは無いと思っている方がいたら、この食器の事を思い出しましょう。

必ず、こだわっているはずですし、高い美意識を持ち合わせているはずです。

日常に転がっているアートへの意識って、よく考えて見ると結構面白い感じなんですよね。

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