ルネ・マグリット ~アンバランスの調和~

 果てしない物語。ページをめくると大冒険が始まった。

小学校低学年の頃、毎週1回『図書』という授業があった。

それは図書室で各自が好きな本を選んで静かに読むもので、たまに感想文を書かされる以外は自由時間と変わりない。

級友たちが児童書を読みふける中で、私のお気に入りは「漢字ドリル」だった。

音読み、訓読み、意味、用例と共に象形文字や漢字の成り立ちが書かれていたと記憶している。

もちろん漢字を覚える気など毛頭なく、ただ眺めているだけで時間を過ごした。

感想文には「楽という漢字は、神さまを楽しくさせるために楽器をブンブン鳴らしている姿からできた。

だから、私は楽しいという漢字が見られてとっても楽しかった」といったようなことを毎度書いていたように思う(※”楽”はクヌギの木で作った楽器を両手に持つ姿など諸説ある)。

まるで学力にはならなかったが、象形文字の秘密めいた雰囲気に惹かれていた。

『インディー・ジョーンズ』に登場しそうな古文書とか、『グーニーズ』の宝の地図をイメージしてワクワクした。

しかし想像力も好奇心もそう長くは続かなかった。

図書室は別棟のワンフロアを占める広い部屋だったが、1クラス約50人が一斉に放たれるとあちらこちらの本棚からヒソヒソ声が漏れてきた。

ある時、私は誰もいない静かな一画を見つけた。

それは辞典や画集など子供には重い本がズラリと並ぶ大型本のコーナーだった。

その中から一冊取り出して、床に置いて眺めた。

そして出逢ったのが、画家ルネ・マグリットだ。

絵に興味を持ったのは、それが初めてである。

退屈していた子供は、一瞬で心を奪われた。

最初に手が止まったのが青空に岩が浮かんでいる作品だったと思う。

たちまち不可思議な世界へ吸い込まれ、周囲の雑音が消えていた。

部屋いっぱいの巨大なリンゴ、描かれたパイプ、足へ変化する革靴、顔のない帽子の男、どの作品も美しいが普通ではない。

周囲に倣い同じことをするのが苦手な子供だったから、異端である事を肯定されている気がしたのかもしれない。

それからというもの『図書』の時間は、友達に気付かれないように移動してマグリットの画集を眺めて過ごした。

少しザラつくフローリングに構わず寝そべり、床に置いた本の手前に頬杖をつく。

ページをめくる度に、乾いたホコリ臭さが牛乳のようなワックスの重たい匂いを掻き混ぜた。

古本屋で不思議な本に出会い冒険へと導かれる物語『ネバー・エンディング・ストーリー』の主人公バスチアン少年になった気分だった。

何かが始まる予感と高揚感。

マグリットの描く世界は、絵画という大冒険の始まりとなった。

現実にはありえない光景。

空に浮かんだ巨岩。

顔のない紳士。

青空の下で街灯が闇を照らし出す家。

非現実的な情景や矛盾の世界を描いたベルギー画家ルネ・マグリット。

彼の作品は、丁寧に描かれたモティーフの異様な組み合わせや、難解な題名などが特徴として知られている。

最大の魅力は、鑑賞者の持つ感覚を崩して新たな思考させるパワーと、一目で驚きを生み出すモティーフのギャップではないかと私は思う。

例えば重いはず岩が空に浮かぶなんてことは現実にはありえないのに、とてもリアルに描かれている。

重量感ある表現で描かれたモティーフが軽やかに浮かぶという存在しない事象が作中には存在する。

そこに強いコントラストが生まれる。

色彩や光のコントラストで劇的な効果を生み出した過去の巨匠のように、マグリットはモティーフにコントラストをつけた。

題名と作品も同様にコントラストがある。

題名と作品は密接な関係ではなく、画家自身が詩的な関係と呼ぶアンバランスなタイトルが付けられている。

これらは全て、冷静に効果を計算した試みだ。

同時期に多くのシュルレアリストが誕生したが、彼らは綿密に考えることよりも偶然性を重要視した。

極めて理性的な画家だったマグリットは、シュルレアリストの仲間でありながら異端であった。

マグリット本人も「私は同業者と何ら共通点はない」「彼らとは異なった場所に拠り所を求めている」と言い、他の画家らとは目的も手法も異なることを公言している。

作風に負けず劣らず、画家としての存在も妙にアンバランスな人物である。

マグリットの意表を突くユーモラスな絵画は世界中の人々に長く愛されてきた。

しかし画家の人物像は、作品ほど知られていない。

皮肉屋で毒舌、自らがシュルレアリスムを代表する画家として知られているにも関わらず彼らを否定する理論派。

作風同様にアンバランスな彼は、きっちりとネクタイを締めてスーツ姿でキャンバスに向かう。

画家だというのにアトリエを使わず(1932年に裏庭の奥にアトリエ”Studio Dongo”を建てるが、ほとんど使わなかった。)自宅の台所の横で制作をする。

もちろん決して床は汚さない。

絵画鑑賞は複製画だけで十分。

周囲の画家ように酒や女に溺れることもなく、規則正しい生活を送り、一人の女性と添い遂げた。

常識を打ち崩すような作品は、常識的な生活から生まれていたのだ。

アンバランスなのに調和しているのは、作品だけではなく画家自身もそうだった。

では何故マグリットが不可思議な画家となったのか、私は彼の生涯にその手掛かりを探した。

画家には3つの遠い記憶があった。

1つ目はゆりかごの傍に置かれた木箱の思い出。

幼かったマグリットには、何の変哲もない木箱がひどく秘密めいた物に見えて奇妙な不安感を抱き続けたという。

子供というのは、下らないものが宝物に思えたり、未知のものに恐怖を覚えたりする。

誰にでも同じような経験があるのではないだろうか。

日常的な情景に不安感を潜ませている彼の作品には、幼い日の思い出が影響しているのだろう。

2つ目は、自宅の屋根に不時着した気球の記憶。

平凡な世界が突如、非現実的な光景に変わる。

少年は、目の前に見えていた現実が非常に脆かったと気付いたはずだ。

この感覚はマグリット芸術の基本となった。

そして最後に幼年時代の遊び場だった墓地の思い出。

いつも地下の納骨堂で近所の少女と遊んでいたという。

暗い地下から太陽の光が溢れる地上へと鉄扉を開けて出ると、画家が風景画を描いていた。

これが少年を画業に向かわせるきっかけとなった。

この記憶には、地下と地上、闇と光、無邪気に遊ぶ子供と永遠に眠る死者といった対照的な存在が並置されている。

これらの強いコントラストこそ、まさにマグリットの絵画世界そのものだ。

彼はシュルレアリストとして制作を始める前から、決まりきった見方を捨てて違った世界を見ることができるよう試みを始めていた。

子供時代と変わらぬ感覚を取り戻そうと努力した。

型に嵌らず描いてみると、自由を感じ言い知れぬ歓喜を味わったという。

良識に対する挑戦は、彼の芸術であり彼の人生そのものだった。

強烈な別れと運命の出会いが、彼を変えたのかもしれない。

 

マグリットは1898年11月ベルギーに生まれた。

父は紳士服商を営み、母は婦人服の縫製を得意としていたが商売は繁盛せず、幼年期は引越しの連続だった。

ルネは3人兄弟の長男で、後に作曲家となる弟ポールとは一緒に映画に夢中になるなど大変仲良く、ビジネスマンに成長する常識人のレイモンとは生涯仲が悪かった。

兄弟の意見はいつだって2対1に分かれたという。

決して素行の良い子供たちではなかったようだが、彼らの人生を大きく狂わせる事件は突然起こった。

13歳の時、母が死んだのだ。

母の行方を捜して父と兄弟は方々を探し回ったが見つからず、彼女の足跡が近所の川まで続いていた。

それまでに何度か自殺未遂を図っていたというから、家族はどんなに心配だっただろう。

16日後、サンブル川で水死体が発見された。

マグリットは母の自殺について、何かしら誇らしい思いだったと過去を振り返って語っている。

母が亡くなり、突如周囲の人々から注目されるようになり、同情を集めたからだ。

それまでの日常が突然失われ一変するというこの体験は、彼の芸術に多大な影響を与えた。

翌年に一家は転居し、後に妻となる12歳の少女ジョルジュエット・ベルジュと出逢う。

1916年からブリュッセルの美術学校に通い、その後は広告デザインやポスターの仕事で生活していた。

1920年に散歩していた植物園で偶然ジョルジュエットに運命的な再会する。

2年後に二人は結婚し、彼女は唯一のモデルとなり、生涯の伴侶となった。

次なる運命の出会いは、1923年のことだ。

壁紙のパターン・デザイナーとして働きはじめた頃で、友人の詩人マルセル・ルコントが様子を見に仕事場に立ち寄った。

その時、ジョルジョ・デ・キリコ作≪愛の歌≫の複製画を見せてくれた。

これに深い感銘を受け、画家としての転機を迎える。

年間約60点の油彩画を仕上げるほど熱心に活動し、自身初のシュルレアリスム作品≪迷える騎手≫を描いた。

1930年まで3年程パリに住み、エルンストダリと親しく付き合った。

『シュルレアリスム宣言』を発表した詩人アンドレ・ブルトンとは仲が悪く、ケンカ腰の手紙まで残っている。

そもそも無意識が生み出す偶然性の芸術を目指すブルトンと、冷静に考えて描くマグリットでは意見が合うはずがなかったのだろう。

その後は明るく画風を変えたり、反政府運動に参加したり、荒々しいタッチの作品を制作したりと作風も生活も変化した。

しかし、画風を変えても、高い評価や名声を得ても、決して変わらないものがあった。

常に規則正しく慎ましい生活を送り、愛妻との平穏な日々を大切にすること。

その生活は、1967年8月ブリュッセルの自宅で画家が膵臓がんで急死するまで穏やかに続いた。

どれほどの時が流れれば、亡くした人を忘れる日は来るのだろう。

最愛の夫ルネ・マグリットが他界して、19年後に妻ジョルジュエットはこの世を去る。

彼女は一度として夫を忘れることはなかったのだろう。

マグリットの最期の作品となった描きかけのキャンバスは、ドイツ人のコレクターに依頼された≪光の帝国≫の別バージョンだった。

未完のキャンバスは妻が亡くなるまで19年間、イーゼルの上に乗せられたままだったという。

画家のいない家に描きかけのキャンバスというアンバランスな組み合わせは、皮肉にもマグリット的だ。

とても悲しい光景だけれど、同時に幸せが存在している。

終わってしまった二人の穏やかな日々が、変わらずに続いていた。

 

 「異端者でも非常識でも構わない。常識を捨て、自由を歓喜せよ」

 

図書室の片隅で、床に置いたマグリットの画集から私はそう教わった気がする。

マグリットの作品に純粋な視線を向ければ、不思議な体験が待っている。

それは人々に考えるきっかけを与えてくれる。

変わらない日常に隠されていた、新たな景色が見えてくる。

自由を手に、果てしない冒険に出かけよう。

 

ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット(René François Ghislain Magritte)の

作風の変化にまつわる略年表

(1898年11月21日ベルギー レシーヌ ― 1967年8月15日ベルギー ブリュッセル)

 

1898年11月21日 ベルギーで紳士服商を営むマグリット家の長男として生まれる。

1900~1909年 揺りかごと木箱、気球の不時着、遊び場の墓地の3つの思い出を残す。

1910年 近所の絵画教室に通い始める。

1912年 2月24日に母の行方が分からなくなる。3月12日にサンブル川で遺体が発見される。原因は不明だが、入水自殺とわかる。

1913年 父と二人の弟と転居。弟ポールと共に映画『ファントマ』シリーズに熱中する。定期市のメリーゴーランドで運命の女性ジョルジュエット(当時12歳)と出会う。

1915年 決まりきった見方を捨てて、以前のように世界を違った視点から見たいと願う。1916年 ブリュッセルの美術学校に入学。

1920年 植物園でジョルジュエットと再会し、交際。

1922年 ジョルジュエット・ベルジュと結婚。生涯モデルを務める。

1923年 デ・キリコ≪愛の歌≫の複製画に感動する。

1926年 初めてのシュルレアリスム作品≪迷える騎手≫を制作。

1927年 30年までの約3年間、シュルレアリストと親しく交流しながらパリで暮らす。

1928年 友人ヌジェと映画製作。8月に父が他界。

1930年 現在マグリット美術館となっているブリュッセルの家に転居し、54年まで暮らす。

1932年 アトリエを建てるが結局使わず、仲間との集まる場所として使用する。

1936年 アメリカで個展を開く。

1943年 47年頃までルノワール風に画風を変えて明るい色調の作品を制作。

1946年 反政府運動の冊子を編集するが、警察に差し押さえられる。

1948年 「牡牛の時代」と呼ばれるフォヴィズムに倣った荒々しいタッチの作風に変化。

1954年 代表作≪光の帝国≫を制作。

1956年 グッゲンハイム賞を受賞。

1967年8月15日 ブリュッセルの自宅で膵臓癌により他界。(享年68歳)

1686年 妻ジョルジュエット他界。

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