カオスに酔う、独居老人スタイル展

地下の螺旋階段を降りていくと、異界が待ち構えていた。

どこか異様で混沌な世界に足を掬われそうな気配、けれどもそこで繰り広げられる展示物は寺山修司がにんまりと喉元で唾を飲み込むようなオカシサがあった。

 

現在、恵比寿のNADiff Galleryで”都築響一独居老人スタイル”、展が5月3日〜6月1日まで行われている。

都築響一による展覧会は2011年の”暗夜小路 上野~浅草アンダーグラウンド・クルーズ”以来とのこと。

相変わらず都築の出し物はニッチ感が漂う、ここに目を付けたのは編集者としての腕だろうか。

この情報を知ったのはツィッターだった、何気なく見たツィートがこの独居老人スタイルの案内だったのである。

溢れるようなツィートの情報量の中で、たまたま遭遇したと言って良いだろう。

タイトルに惹かれ恵比寿のギャラリーへ向かった、だがその場所へ辿り着くまでかなり時間を要してしまった、恵比寿は熟知している方だがこのギャラリーがなかなか見つからず、ギャラリーが旗竿地にあるとはつゆ知らず難渋してしまった。

地下と言うこともあってか、空気が淀んでいる、粒ぞろいの”きわもの”が訪問者たちを手ぐすね引いて待っていた。

タイトルを意識すれば老人たちも来館しているだろうと思いきや、私以外は若者ばかり、それもカップルが多い。吐息が聞こえてしまいそうな狭い空間にアーティストたちの作品が雑然と置かれていた。

 

画家の戸谷誠氏、アクショニストの首くくり栲象(たくぞう)氏、 アーティストのダダカン氏、ガロの漫画作家川崎ゆきお氏と言った面々……首くくり栲象氏とダダカン氏の2人は初めて聞く名前である、名前が首くくり……凄味を感じてしまう、一方ダダカンはさらに強烈だった。

全身裸で逆立ちのパフォーマンス、御年94歳と言うから恐れ入る。

首くくり栲象氏は、20代の頃に”痙攣のアクション”という、直立しながら痙攣するというアクションを行う中で、首くくりアクションを生み出したという。

演劇、舞踏という経験を重ねながらも、そのどれにもあてはまらない”首くくりアクション”を創出して以来、国立の自宅に構える”庭劇場”にて、毎月4、5日間”首くくりアクション”を行っているのだそうだ。

そのショッキングで劇薬性の強い行為は”庭劇場”などの公演が無い時期にも自身の肉体への修練として行っている、とキャプションが添えられていた。

テレビから流れる”首くくりアクション”まるでスローモーションの映像を観ているかのようにその行為はゆっくり進む、木の枝に仕掛けた赤い輪っかのロープが垂れ下がっている、目的は明確である。

行きつ戻りつのアクションが数回行われ実行に移す、顎に輪っかを引っかけ数分間首をくくる、苦しむどころかその面は修行僧のような顔つきだった。

栲象氏はこのアクション47年間も続けている、その行為の中でどんな景色が見えるのだろう、魔界かそれとも楽土か。

この世の毒を全て吐き出す、そんなことがふと頭を過ぎった。

隣に座ってビデオを眺めていた若い男女、男はその映像に堪えられなかったのかどこかに行ってしまった、だがその片割れは微動だにせずに最後まで見ていた。

一瞬女の口元が緩むのが見えた、あの緩みは何だったのかとても気になるところだ。

一方、ダダカン氏の履歴を見ると、”孤高の前衛芸術家。

1951 年から読売アンデパンダンへの出品を始め、60 年代には全国各地で過激なパフォーマンスを展開。

70 年には大阪万博の太陽の塔に向かって全裸で15メートル疾走するなど、日本前衛美術史に残る過激なハプニングで知られている。

現在は仙台の自宅「鬼放舎」にて30年以上独居を続けている”となっていた。

確かに一般人から眺めれば、過激なハプニングだとは思う、常々アートは狂気の中にあると思っている、でなければ面白くもない。

ただダダカン氏のこれまでのパフォーマンスは未見なため、コメントするのは難しいが、素の肉体をさらけ出し、それも老体に鞭打ち一貫して前衛芸術を続けていることに最大の賛辞を贈りたいと思う。

地下の展示物は不可思議な世界を映し出していた、都築響一の”独居老人スタイル”展、筑摩から上梓(2013年12月)された、その一部の独居老人たちを取り上げた展覧会だった、まぁ言ってみれば少し遅めのパブなわけだ。

この展覧会を企画した都築響一のコメントが入口近くにあった。

“いま、世の中でいちばん情けない種族は”独居老人”ということになっている。

いっしょに住んでくれる家族もなく、伴侶もなく、近所つきあいもなく、食事は3食コンビニ弁当、最期は孤独死したまま気づかれず、残った部屋はゴミ屋敷……みたいな。

若いときからずーっと好きだったものに埋もれて、仕事のストレスもなく、煩わしい人間関係もなく、もちろん将来への不安もなく……ようするに毎日をものすごく楽しそうに暮らしている、年齢だけちょっと多めの元気な若者なのだった。

おじいちゃん!おばあちゃん!と慕ってくれる優しい孫や、孝行息子や娘に囲まれて、幸せな大家族の一員でいられるなら、それでけっこう。

でも、厄介者扱いされたり、自分が死んだあとの家族の遺産争いなんか心配しながら、居心地悪く大きな家に住むくらいなら、カネなんかなくても、家族なんかなくても、好きな場所で好きなように暮らせばいいじゃないか。

どこのだれにも気兼ねなく。

あえて独居老人でいること。

そして、あえて空気を読まないこと、それは縮ゆく、老いてゆくこの国で生きのびるための、きわめて有効な生存のスタイルかもしれないのだ”と。

あと数年もすれば日本は老人大国となる、だれも予想つかない社会だ。

”犬も歩けば棒に当たる”ではないが、まさに”街を歩けば老人に当たる”逆ピラミッドの風景が当たり前にやってくる、誰もが年を取る、しかし若いときはそんなこと考えたこともない、ましてや死さえも念頭にはないだろう。

しわ伸ばしに明け暮れ、アンチエージングのためのサプリメント漁り、これではあまりにも哀しいではないか。

しかし、ここで紹介した独居老人たちは我が道を行く強者ばかり、”老いては子に従え”も無縁であり、ますます”老いては益々壮んなるべし”である。

厄介者扱いされ、孤独に苛まされ、つまらない人生を送りたくないなら、混沌をひとり楽しむ独居老人たちを覗いてみるのも一興かと。

 

KC3Z0111

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