東洋で最も古い新羅時代の天文台
~ 韓国 慶州 瞻星台(チョムソンデ) ~
私たちは一日の生活の中で何度、時計に目をやるだろうか。
毎朝、目覚まし時計のアラームで目を醒まし、一日の終わりには時間を確認してから床に着く。
社会人にしても学生にしても、平日は決められた時間に職場や学校に行き、時間刻みの予定をこなしていく。
片時も動きを止めない秒針に、煽られるような錯覚を覚えることもしばしばある。
時間は日常生活を支配し、人々から自由を奪う面もあるが、時間がなければ生活を維持することができないのが近代社会とも言える。
様々な電子機器が発達した現在では腕時計をつけていれば、いつでも正確な時間を知ることができる。
電波で発信される時刻の基準は、イギリスのグリニッジ天文台で計測される世界標準時だ。
1884年に開催された国際子午線会議において、グリニッジ子午線が本初子午線として国際的に認知されたのだ。
グリニッジ天文台を通って北極と南極を結ぶ経線が東経、西経0度となり、時間ばかりか地球の位置の基準ともなっている。
今では、60秒で1分、60分で1時間、24時間で1日、365日で1年という時間単位が、世界中の人々の生活を支えている。
世界標準時が採用される前は、地域特有の時間の概念が存在したことだろう。
各国を統治する領主は、暦を統一することに工夫を凝らした。
どの地域においても、時間の基準となるのは太陽の動きだ。
日の出とともに活動を開始し、日没後に体を休めるリズムは、太古の昔からの人間の生活のリズムだったことに間違いはない。
世界の各地に太陽の動きを地面に映した日時計が残されている。
日本史において最も古い天文台に関する記述は、『日本書紀』の中に現れる。
天武天皇の統治時代の674年前後には、「占星台」と呼ばれる施設が設けられていたようだ。
天体や天文現象の観測を行うばかりでなく、占星術の研究を行っていたとされる。
隣国の朝鮮半島には日本よりも数十年早く、新羅の善徳女王の時代の630年頃に、天体観測を目的とする瞻星台が建設された。
徳利のような形をした石の塔に愛嬌が感じられるが、東洋では最古と伝わる天文台だ。
建材として花崗岩が用いられ、高さ約9メートルの円筒が組み上げられている。
土台の直径は約5メートル、上部の直径は約3メートルで、積み上げられた花崗岩が緩やかな曲線を描く。
頂上の井型の石の囲いは、新羅の子午線の標準となった。
各々の石の面が、東西南北の方位を示している。
塔のほぼ中央に開けられた窓は真南に向かっており、瞻星台と上空を動く太陽の位置関係で、春夏秋冬の四季を認識することができた。
半島で農耕を行う人々は、瞻星台から農作業の時期を決める重要な情報を得たことだろう。
ところが、瞻星台の構造を丹念に調査すると暦を知らせる以上の役割をもっていたことが想像される。
塔全体で使用されている石の数を数えると361個半ある。
これは陰暦の1年を表している。
南の方位を示す窓の上部の枠から最上段までには12段の石が組まれ、それとは逆に下部の枠から最下段までは同じように12段の石が組まれている。
これは1年12ケ月と一致する。
瞻星台には四季を分割するばかりでなく、近代の時間概念を築く基礎に基づいて建設されたのではないかと想像される。
きっと7世紀当時の天文学的、科学的な知識を総動員して、緻密な設計を行ったのだろう。
瞻星台は、建造以来1300年以上にもわたって、人々とともに慶州の空を見上げ、現代にも通用するような時間を知らせていたのだろう。
古都に残る天文台には底知れないロマンが秘められている。