縁は異なもの味なもの

机に2冊、ブリコラージュという季刊誌がある、縁は思いがけないところでやってきた。

縁は異なもの味なもの……”男女の出会いは不思議で、とても奥深く味のあるもの”と言うような場合に使われる諺だが、その縁とやらがつい最近身辺に起こったのである、残念ながら艶っぽい話ではない、男同士での話である。

その男とは、以前コラムに登場した沖縄に住む無二の友人。

在京時代、彼はマガジンハウスでエディトリアルデザイナー、そしてアートディレクターとしてポパイやブルータスなどの雑誌を担当していた。

長年広告界にいた友人は東京に厭きたと一言残し、奥方の生まれ故郷である沖縄へ引っ越してしまった。

あれから3年、時折電話が掛かってくるのだが遠距離と言うこともあり、こちらとしては長電話に躊躇してしまう。

しかし友人はそんなこと気にもせず、延々と会話をし続けるのだ。

そんなことから電話で伝えられなかったことをメールに託す、幾度かのメールのやり取りする中で、”縁は異なもの”と出くわしたのである。

友人とは同い年、互いに語り尽くせないほどの思い出がある、だが時と場所の隔たりは大きく、思い切って友人にある願いをメールに認めた。

それは、友人にとってマガジンハウスはどんな時代であったのか、友人はポップカルチャーの走りとも言える若者の雑誌の時代を創り上げてきた1人、その現場でどんなことが繰り広げられていたかを知りたかった。

それを微力ながらなんらかの形にしたいと思ったのである、そして待つこと3ヶ月、メールに添付された原稿が届いた。

そこには”運命的な雑誌ポパイとの出会い”と言う表題が付けられていた。

これまでマガジンハウスに携わった人たちの書籍が数冊出ているのは承知している、内容が多少ダブっても構わない、それでも友人から見たマガジンハウスはどう映っていたかを、知りたかった。

冒頭にブリコラージュで働いていたと記述があった、マガジンハウスへ入る前のことである。

 

ブリコラージュと言えば、1960年代フランスで始まった構造主義ブームの火付け役、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが唱えた著書”野生の思考”を思い浮かべる。

端切れや余り物を使い、本来の用途とは関係なく当面の必要性に役立つ道具を作ることをレヴィ=ストロースは”ブリコラージュ”と呼んだ、さらに突き詰めて行くとものを作り出す機知や創造性を意味する。

この季刊誌はレヴィ=ストロースを意識した雑誌なのだと思う。

発行したのはアパレルメーカー、かなり尖りの強いアヴァンギャルドな雑誌である。

それもそのはず、この雑誌が登場した頃の日本はDCブランドの走りであり、それぞれのブランド会社もイメージ戦略に躍起になっていた時代であった。

因みに季刊誌ブリコラージュの誌名ついて、次のようなことが書かれている。

”作者の個性や創造性を金科玉条に喧伝することなく、1人の人間ももとを辿れば自然の産物であり、都市に生きる人間にしてみれば都市の産物である。

ブリコラージュはこの認識をさらに自覚的な方法として見据えたコンセプトである。

この小誌はあえてオリジナルな著作や写真、図像を避け、原題に渦巻く膨大な既成情報を引き集める作業にこそオリジナリティを発揮しようとするものである”と、まさしくブリコラージュである、あり合わせの道具や材料を活かして自分の手でものを作ること、つまり第三者の作品引用を以て創造性を提供して行こうと言う雑誌なのだ。

ページを捲ると、一見学術的にも思えたが創刊0号らしく中身はアーティスティックで刺激的であった。

この雑誌は創刊号から編集に携わったT氏から頂戴したものである、しかし頂いた時には既にここを辞めていた、T氏はワイシャツをメインとしたデザイナーであったが、子ども服を手がけたいと当方の旧宅の近くにブランドを立ち上げ瀟洒な店を開いた。

T氏とはそこで知り合う、それも取材対象としてである、きっかけは仕事であったが互いに趣味嗜好が合ったこともあり長年交流が続いた。

そのT氏と沖縄に住む元アートディレクターとはまったく接点がないようだった、T氏とアートディレクターがタッグを組めば面白い雑誌ができたであろうにと勝手に妄想を重ねる。

今回アートディレクターから送られてきた原稿によって、さまざまな思いが駆け巡った。

縁は異なもの味なもの……これは偶然なにかがきっかけとなって縁が持たれるのだが、2人とも縁を持つ可能性はいまのところ全くない。

しかもT氏は行方知らずの状況でもう1人は沖縄だ。

せめてブリコラージュの言葉のように、あり合わせの道具や材料ならぬ、あり合わせの情報と材料で会うことが出来ないだろうか。

手許にあるのは2冊、ブリコラージュの雑誌がいつまで続いたかは分からないが、表紙は色褪せても中身はなんら色褪せることなく機知と普遍的な知が散りばめられている。

縁は異なもの味なもの、それは当方だったのかも知れない。

ブリコラージュを仲立ちとして、友人の原稿をどのような形にし、伝播すれば良いかと考えるのはそのことばかりである。

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