アンデスの大地に刻まれるアース・アート 15

神秘的な謎に包まれる古代のアーティストの意図

~ ペルー ナスカの地上絵 制作の目的 ~

アンデス山脈の麓のナスカの広大な大地に描かれる地上絵には、様々な謎が潜んでいる。

いつ、誰が、何の目的で、どのように描いたか。

何もかも疑問だらけだ。

数多くの研究者が長年、謎の解明に取り組んできた。

中でも「何の目的で」という謎は、神秘のベールに隠されたままだ。

 

20世紀に入ると、様々な説が提唱されるようになった。その主な説は、「豊穣儀礼説」、「天文暦説」、「宇宙人説」の3つだ。

この中で最も夢に満ちているのは「宇宙人説」だろう。

1968年、スイス人の実業家のエーリッヒ・フォン・デニケンが『神々の帰還』の中に、ナスカの地上絵のラインは、宇宙人のUFOの飛行場であると記述した。

宇宙人はナスカのパンパに滑走路を建設し、地球上の人間に文明を伝えたという。

ナスカの人々は、宇宙人が作ったラインを複製し、宇宙人が飛来してくるのを待った。

デニケンの著書は出版直後にはベストセラーとなり、ナスカの地上絵へのロマンを掻き立てた。

フランス人冒険家のロベール・シャルーもこの説を強く支持した。

しかし、地上絵の描き方や考古学的な調査が進むにつれて、この説を支持する人は減少し続けた。

謎を解き明かすには、科学的な検証が必要不可欠だと言うことができる。

1930年代からナスカの地上絵の研究を始めたアメリカ人考古学者のポール・コソックは、冬至にあたる1941年6月22日、地上絵のラインの一本が日没の太陽の光に重なることに気づいた。

ナスカの地上絵は、季節ごとの日の出や日の入り、星の動きを表した巨大な天体図と考えるようになった。

コソックの没後、ドイツ人数学者のマリア・ライヒェは「天文暦説」を裏付けるため、1940年代からナスカに移り住み、数学的な測量技術を駆使しながら徹底的な調査を行った。

ナスカの地上絵の地図を作成し、季節によって変化する太陽の昇降、月の満ち欠け、星の位置などの天体的な現象を重ね合わせていった。

地図上のメモを緻密に計算した結果、地上絵のラインは特定の星の位置を表していることに気づいた。

最も知名度の高いハチドリを描くラインは夏至のときの太陽の位置、シャチのラインは日没の位置を指し示していると推定した。

さらに、動植物の絵柄は天体の星座を映しとったもので、クモの図柄はオリオン座、サルは大熊座に置き換えることができるとした。

「天文暦説」説は1950年代には最も有力な説として広まった。

しかし、ライヒェの天体現象に関する推察が恣意的過ぎること、考古学的な検証が不足していたため、支持者の数は少なくなった。

現在で最も支持されている説が「豊穣儀礼説」だ。

1980年代からインカ帝国やアンデスの文化の研究を続けるアメリカ人考古学者のヨハン・ラインハルトは、地上絵に刻まれるラインがパンパを囲む周辺の山々に向かっていることに着目し、大地に水をもたらす山に対する信仰心を表したものだと考えた。

アンデス地方には豊作を祈るときにラインに沿って歩く習慣があることから、ナスカの人々も山に向かって歩いて儀式を行ったと推察した。

熱帯の厳しい太陽の光によって乾燥しきったナスカのパンパで、農耕を営むには水が最も重要なものだ。

命の水の起源であるアンデスの山々に向かって豊穣祈願の儀礼が行われ、儀礼の一つの神聖な行為として地上絵を描いたと考えられている。

現在最も有力な「豊穣儀礼説」にも、数々の疑問が残されている。

各々の図柄の選択や配置の根拠が不明だ。

この謎が解明されれば、「豊穣儀礼説」が立証されることになるだろう。

 

写真(アンデス15-2)

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