アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 73

地球のエネルギーがアナトリア高原の地表に築き上げた異次元空間

~ トルコ カッパドキア 岩石遺跡群 1 ~

画家や彫刻家などのアーティストは、自らがもつ創造力、美的感性の限りを尽くして、アート作品を創作する。

全ての作品には、各々の作家の個性が漲り、鑑賞する人はアーティストの美意識に感嘆したり、表現に共感したりする。

ところが、何の創意も工夫もない自然の地球の活動が、想像を接する景観を地球上に産み出すことがある。

トルコの国土の中央に広がるアナトリア高原に位置するカッパドキアもその一つだ。

見渡す限りの大地に、独特なフォルムの奇岩が林立している。

人間の創造力をはるかに超えた地球の創作作品だ。

ここを訪れた人々は、自然の創造行為に圧倒され言葉を失ってしまう。

まるで、異次元の空間に迷い込んでしまったようだ。

にょきにょきと空に向かってせり出す奇岩は、とんがり帽子のようでもありキノコのようでもある。

 

カッパドキアの特異な地形は近くにある2つの火山、エルジェイス山とハサン山によって形成された。

数千万年前、この2つの火山は大噴火を繰り返していた。

大噴火によって流れ出した溶岩、火山灰、粘土や石灰華が、玄武岩や凝灰岩の火山岩層を作り出す。

この火山岩層は、地殻変動を受けると共に、風や雨による侵食作用を受け変形していく。

そこに新たな火山の噴火によって溶岩や火山灰が降り積もっていく。

火山岩の積層、地殻変動、侵食が何度も何度も繰返され、現在のような特異な地形を創造したのだ。

 

ヒッタイトの言葉で「カッパドキア」は、「美しい馬のいる場所」という意味をもっている。

坂道、切り立った崖も多いため、馬や人間がたやすく歩ける土地ではないが、この厳しい環境に古くから人が住みつき、交易なども盛んに行われてきたのだ。

カッパドキアに人間が住み始めたのは紀元前8000から紀元前7000年と言われている。

紀元前2000年頃にはヒッタイト人が住み始め、1680年頃には付近を流れるクズルウルマク川の周辺に王国を建設した。

ヒッタイト人は鉄を発見し、世界史において重要な役割を果たした。

カッパドキアが、鉄の故郷ということになるのだろうか。

ヒッタイト王国の滅亡後はフリジア人リディア人ペルシャ人がこの地域を支配した。

日本史でいえば、縄文時代、弥生時代の昔から、アナトリア地域は数々の民族の抗争の舞台となっていたのだ。

紀元前330年代には、ペルシャ軍との抗争に打ち勝ったアレクサンドロスによって、マケドニアの支配下となった。

その後も様々な民族による抗争が続いたが、1世紀頃にヨーロッパから遠征してきたローマ人が、その抗争に終止符が打った。

西暦17年に、後に第2代ローマ帝国皇帝となるティベリウスが、この地を治めるようになった。

ローマ帝国時代には軍事、商業の要地となる一方で、キリスト教の聖地ともなった。

聖パウロはカッパドキアにキリスト教徒共同体を作り、キリスト教文化をカッパドキアに浸透させた。

周辺の地域でキリスト教徒の迫害が起こると、人々はカッパドキアに逃れ隠遁生活をするようになった。

人を寄せつけないような岩の中で、無数の人々がひっそりと暮らしたことに驚かされる。

このエリアには住居ばかりではなく、キリスト教の教会施設なども数多く残されている。

ローマ帝国の時代が終わると、セルジュークやオスマン・トルコの支配下に置かれ現在に至っている。

カッパドキアは、悠久の地球の自然史と様々な民族の文化史が、複雑に絡み合った特異な地域と言うことができる。

地球のエネルギーと人間のエネルギーが、特異な地形の中に渦巻いているわけだ。

 

写真(遺跡73-2)

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