美にけむる―中村誠@資生堂ギャラリー

その男の風貌はいたって穏やか、身なりも人となりが現れている、男は広告界に新風を巻き込みアートディレクターとして異才を放ってきた人物。

異才と書いたが、その姿形はスーツにネクタイと言った出で立ちで、私が見てきたアートディレクターとは様子が少しだけ違っていた。

有り体に言えば、髪も長く、服装もカジュアルな、そんな印象ばかりが頭にあったため、人は見かけによらない、ではなく、人は決めつけてはならない、ということを痛感したのである。

 

中村誠(1926〜2013)、ちょうど亡くなって1年が経つ、資生堂の宣伝部を牽引してきた中村は国内外にその名を残し、数多のポスター広告を手掛けてきた。

今回、その功績を偲び資生堂ギャラリーに於いて回顧展(6/3〜6/29)が行われている。

梅雨空の銀座を歩くのは少しくたびれた、風もなくどんよりとした空気にむせ返すような微風がときおり身体を横切る、このむっとした風には閉口した。

中村の名を知ったのは2年前に亡くなった石岡瑛子がきっかけだった、それは前田美波里のポスターと関係がある。

何十年も前の話になるが、彼女は資生堂から鮮烈な水着姿でデビューを飾った、その作品が中村と石岡コンビの作品であることを大分経ってから知り、爾来石岡の作品に惹かれていった。

若い人は殆ど知らないだろう、今やミュージカル女優として舞台に立つ前田美波里、彼女のスタートは資生堂のサンオイルの広告ポスターだった。

はち切れんばかりの若さを前面に出したポスターは、それまで日本では見ることのない広告だったのだ。

まだ青二才の身でありながら、広告という世界に誘惑されそうなある種の恍惚感に襲われた。

石岡はさらに跳躍し、渋谷の街にムーブメントを起こした”パルコ”、その中心人物が石岡瑛子だった。

だが今や渋谷は電気街の街になってしまったのかと思えるほど桑海の変へと転じてしまった。

その後石岡は資生堂を離れ、ニューヨークに拠点を移し、演劇や映画のセットデザインや衣裳デザインをアクティブにこなしその活躍は目を見張るものだった。

だが、溢れんばかりの才能も病には勝てず黄泉の人となってしまった。

 

資生堂ギャラリーの地下には中村誠の作品が製作年代順に置かれていた、ポスター、壁にはポジがウォールアートのように飾られている、当時のままに再現されたデスク、そこには描きかけのイラストやキャッチコピーが……そして使い古したダーマトグラフが主を待っているかのように置かれていた。

展覧会リーフレットに中村の紹介が書かれている。

”少年時代、出生地の盛岡で資生堂のポスターに魅せられた中村誠は、長じて資生堂に入社し「一業、一社、一生、一広告」をモットーに、企業アイデンティティを視覚化することにその生涯をかけました。

製版の工夫や大胆なトリミングなどの手法を駆使して制作された中村の広告作品は、今でも新鮮さを失っておりません。

中村の一周忌を機に開催する本展は、その制作プロセスと生涯追い求めた美の世界を明らかにするものです……”

一業、一社、一生、一広告、この言葉そのものが中村自身を見事に表していると思う。

高校時代より憧れであった資生堂に入社し、半世紀以上も長きに渡り勤めたと言うから驚く。

生涯を通じてこの資生堂と共に全身全霊で歩んでいく、そのような覚悟がこの言葉になったのではないだろうか。

単に会社に忠誠を尽くす、と言った安っぽい会社精神ではなく、中村自身の才能を最大限に活かすためにも、己に”劇薬カンフル剤”を投入したのだと思うのである。

目映いばかりのポスターがたくさん壁に吊されている、美にけむるとはこういうことを言うのだろう。

なかでも秀逸は緑色に染まったマニキュアのポスター、まるでカマキリが獲物に食らいつくようなカット、その指先にはトマトがやんわりと押さえられていた。

そのポスターのキャッチコピーは”女のドラマは指先から始まる”、男は逃げも隠れも出来ない、美しさの中には棘があると言うことを改めて認識する瞬間である。

ポスターを眺めているとあることに気づく、モデルたちの大人びた表情が浮かび上がってくる、顔の美しさは無論のこと気品に満ちていた、イマドキのモデルたちと雲泥の差だ。

何がどう違うのだろう、時代が違うと一言で言ってしまえば簡単だが、このギャラリーを飾っているモデルたちは年齢が若くとも知性がそこはかとなく垣間見えるのだ、まさに中村の御業たるものだ。

懐かしいものがあった、山口小夜子のポスターである。

彼女も逝ってしまった、単にモデルとしてだけでなくアートの世界に於いても積極果敢に挑んでいた。

モデルと言えば欧米を模倣しその手法に明け暮れていた時代、そんなイメージを払拭するかのような登場の仕方に感嘆の声が上がった。

だがギャラリーに飾ってあった数枚のポスター、山口小夜子=妖艶で翳りのあるという設定はいささか腑に落ちない、和を強調するあまり和が滲んでいるように思えるのだ。

和をイメージしたいのは理解できるが、印象がそこで立ち止まってしまうのだ、もっとアンビバレンツで攻撃的なポスターもあっても良かったのでは、と素人ながらにそんなことを思った。

展示物の奥に映像ブースがあった、白い箱形の椅子にヘッドフォンが10個ほど用意されている、その映像は柏木博氏(デザイン評論家/武蔵美大教授)との対談が映し出されていた。

途中から見たので全体像は掴めなかったが、件の前田美波里のことを熱く語っていた。

当初水着姿の撮影は宮崎の浜辺で行われていたと言う、しかし思うようなカットが撮れない、そこで勇気を振り絞りハワイでの撮影許可を上司に嘆願した、上司は狂ったように怒りだし言下に却下されてしまう。

予算もない時代、しかし中村は諦めることなく何度も頼み込み、願いはようやく叶った。

晴れてハワイへ、しかしそこでも苦難が待ち構えていた、一週間というロケの約束の中、4日間が雨、なんという巡り合わせだろう。

それでも挫けず、前田の日焼けシーンも撮れ、成功裏に収めることができたのだった。

その時中村は感じたという、前田美波里の屈託のない笑顔と弱音を吐かない精神に感心したという、彼女はいつか大きく羽ばたくに違いないとそのとき思ったのだそうだ。

中村の目は確かだった、アートディレクターとは人心掌握の才も必要だ、だが何を差し置いても人を見る力がなければ良い作品は生まれないだろう。

中村はこんなことも言っていた、”もの作りっていうのは人なんですよ、結局はね……。

パーソナリティとしての個性を強力に押し通す人がいるかどうかということが重要なんです”と。

強烈な個性は無用だという風潮がいまだ幅を利かせている時代に、中村のような先輩がいれば少しは”仕事”も捗るのでは、ないだろうか。

 

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