ニューヨーク、つれづれ植草甚一

とある古本屋で”植草甚一自伝”を見つけた。

通称J・J懐かしい名前だ、このひとを一言で言うなら博覧強記とでも呼べばいいだろうか。

映画の字幕スーパーに始まり、映画評論、ミステリー本の翻訳、イラストレーター、エッセイスト、そして極めつけはジャズ評論だ。

あごひげとジーンズという出で立ちで街を散策する姿を思い出す、一度だけ青山あたりを一眼レフカメラぶら下げ闊歩していたのを見かけたことがあった。

勿論、知り合いではないから声は掛けられない、でも飄々としたその雰囲気に声を掛けても許されるかなとも思えた。

結局、甚一爺さんの前を通るだけで終わってしまった。

件の古本屋で見つけた著書に面白い記述があった。

”アンコは甘味をころしたところが受けたわけで、とりわけ三色団子の白から抹茶をつかった、まんなかへと食べにかかったときが、とてもいい……”と。

こよなくコーヒーを愛し、サブカルチャーを広めたJ・J、甘いものが好きだったらしい、それも団子には目がなかったようだ。

どこかミスマッチな感じがしないでもないが、やはりそれは15歳まで育ったという水天宮界隈が所以だろうか。

ジャズを聴きながら団子を喰らう、その片手にはコーヒーがいつもあったJ・J

チャーリー・ミンガスマイルス・ディビスアルバート・アイラーセシル・テイラーを敬愛していたJ・J、蒐集したレコードは約4,000枚にものぼると言われている、そのコレクションは現在タモリが買い取り所有しているとか。

 

植草甚一が唯一連載していたスイング・ジャーナルは休刊となり、様々な視点で文化を発信し牽引していた植草翁、向こうの国で何を思っているだろうか、それともニューヨーク辺りをあの風体で闊歩しているかもしれない。

なぜなら、ニューヨークはぼくの恋人と言っていたし、また”ぼくのニューヨーク案内”と言う本まで上梓している。

ニューヨークと甚一爺さん、ぴたりとはまる街だ。

だがニューヨークへ出かけたのは人生半ばをすぎた66歳の時と言うから長旅はかなり堪えたであろう。

当時ニューヨーク映画界では、フェデリコ・フェリーニ”アマルコルド”が映画批評家協会より作品賞と監督賞の2部門を受賞している、フェリーニ監督自身の体験をもとにした作品だ。

ニューヨークへ行く前からニューヨークに詳しかったと豪語していた甚一爺さんだが、観るもの聴くもの新鮮の一語であったと思う。

ありふれた場所は行かないだろう、さぞかし地下鉄のホーム辺りに出かけて行って、名も知れぬサックスプレイヤーに聴き惚れていたに違いない。

プレーヤーの滑るようなインプロビゼーションに身を乗りだし身体を揺り動かしながら、ニューヨークを謳歌していた。

またニューヨークの路上のアートや、東京の何十倍もの書籍を扱う古本屋、古レコード屋に圧倒されたというから、博覧強記の甚一爺さんも驚きの連続であった。

ジャズは” コメディア・デラルテ(即興)である。

ジャズには楽譜がない。

あってもそれは単なるアウトラインにすぎない。

それに肉体と魂をいれるのが音楽家だ。

重要なことは、楽譜にはなく、音楽によって表現される仕方にある”と言ったのは花田清輝、まさに甚一爺さんの生き方そのものがコメディア・デラルテに思えてくる。

アメリカ物語を著した永井荷風とどことなく似ている気がしてならない、中身は全く違うものだがなにか相通ずるものを感じてしまうのは私だけか。

行ったことはないが、街のどこかでいつもジャズが流れ、摩天楼の影に潜む狂騒と惑乱がニューヨークという街をそっと包み込み人はそれに呼応し歓喜する、そんなイメージがニューヨークにはある。

そのニューヨークで、人気の高いジャズクラブが「ディジーズ クラブ コカ・コーラ」だと愛読する雑誌に掲載されていた。

ジャズクラブと言えばマンハッタンが中心でバートランド55Bar、言わずと知れたブルーノートスモークヴィレッジヴァンガードイリディウムetc、ざっと数えても70件はある。

そんな中、雑誌はディジーズ クラブ コカ・コーラのトッド・バルカンに注目し紙面に取り上げていた。

バルカンは元々ピアニストとして活躍していたが、現在はこのクラブのプログラミング・ディレクターとして八面六臂の活躍ぶりだという。

彼自身のジャズピアニストとして才能もさることながら、深夜から始まるアフターアワーズのセッションで無名のミュージシャンを発掘することが彼の人気を一段と高め、マンハッタン界隈では一目置かれている存在。

もちろん一流どころのレギュラーステージ調整も忘れてはいない。

年間175組みのアーティストをブッキングしているというから、身体がいくつあっても足りないくらいだ。

無名アーティストたちはバルカンを慕い、このクラブに未来を掴むためやってくる。

未だニューヨークには希望がたくさん眠っているようだ、アメリカという国は好まないが、人間臭い街としては申し分ない。

甚一爺さん、終生孤独を愛したと言われているが、果たして真相はどうだったったか。

いまごろニューヨークのジャズクラブを物色し、新生ミンガスを探しているかも知れない。

 

1974

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