アンデスの大地に刻まれるアース・アート 17

ナスカに継承されたパラカスの民の文化

~ ペルー パルパの地上絵 1 ~

ナスカの地上絵は世界的に広く知られ、数々の幾何学図形や動物、植物の図柄が描かれる広大なパンパの上空には、一日中絶え間なく遊覧フライトが飛び交っている。

ナスカに訪れた人々の大半は、地上数百メートルを飛行するセスナ機から乾燥しきった大地に描かれるアート作品を鑑賞する。

 

ナスカのキャンバスは、東西40キロ、南北50キロにも及ぶ気の遠くなるような面積をもって広がっているが、このエリアばかりではなく周辺にも地上絵が描かれているところがある。

ナスカの町から車に乗って、パン・アメリカン・ハイウエイを約30分、北上するとパルパと呼ばれる地域がある。

ナスカはほとんど起伏のない大平原だが、パルパ地方には切り立った山の峰が繋がる。

北東に聳えるアンデス山脈の山々から土砂がなだれ込んでできた堆積物が、アンデスから流れ込む水によって浸食され小刻みな切れ目ができあがったのだ。

 

パルパの堆積層は大きく3つの層に分かれる。

ドイツ人考古学者のマルクス・ラインデルは発掘調査によって、上層部は紀元後250年から450年の中期ナスカ時代、中間層は紀元前400年から紀元後200年のパラカス時代、下層部は紀元前600年頃に作られたものと推定した。

紀元前1800年から800年頃には、北西の半島部に暮していたパラカスの民がこの地に入植してきた。

当時のパルパ地域は豊富な水が土地を潤し、牧草を育てることも可能であったという。

初期ナスカ時代には、パルパの人口は増加し、東部の山岳地域、西部の海岸地域の人々とも盛んに交流を行っていた。

ところが、気候の変化によって水不足の問題が生じ始め、乾燥した大地は砂漠化する一方で、突発的な大洪水が集落を襲うようになった。

パラカスの民は住み慣れた土地を離れざるをえなくなり、移住先をさらに南東の方角に求めナスカを目指したのだ。

パラカスの民は、旅する民なのだ。

周囲の環境を考慮に入れると、旅することを強いられた民となったと言う方が適切かもしれない。

 

「パラカス文化」と呼ばれることもあるパルパ地方のアートの最高傑作は、ナスカの地上絵よりも古くに描かれたパルパの地上絵だ。

パルパのエリアを取り囲む小高い丘の斜面に数々の絵柄が描かれている。

パルパの地上絵は、ナスカの地上絵の源流と考えることができる。

ナスカで大きく花開く文化が、その少し以前に近接するパルパで熟成されていたわけだ。

両方の地上絵の共通点を挙げればきりはないないが、ナスカの大地には幾何学図形や動物、植物の絵柄が数多く描かれているのに対して、パルパの山の斜面には人型の図案が多いことが際立った相違点だ。

パルパのエリアに2007年に建設された観測塔のミラドールの正面には、一つの斜面に4人の人間の姿が描かれている。

子どもの落書きのようにも見えるが、どの図柄も極めて個性的でユーモラスだ。

敵意、悪意などの影など全く感じられず、人懐っこい親近感を覚える。

図案はシンプルではあるが、リアルな写実性を損ねるものではない。

創作したアーティストのデザインのセンスを充分に感じ取ることができる。

でもどうして、ナスカの地上絵では描かれなかった人間を図案のモデルとしたのだろうか。

ナスカの一段階前のアートとすると、最も身近な造形である人間を描くことから創作を始めたと想像することができる。

描かれた人物は、この地方の支配者や、土地の所有者なのだろうか。

それとも宗教的な意味合いを象徴しているのだろうか。

ナスカの地上絵ほどの研究が進んでおらず、現段階では定説はみられない。

写真(アンデス17-2)

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