「どちらがアート的であってアート的でないのか?」

アート作品と向き合った時に感じるものは、どこか音楽と似ているような気もします。

グッと引きずり込まれていくような、深い世界観のものや、サウンドトラックのようにサラッと聞き流せてしまうようなもの。

それは、アートと音楽双方に通じる何かですよね。

しかし、どちらが良いと言う訳でも無く、どちらが悪いという訳でもありません。

両方において、それはアートという境地で作られるものですし、どちらが簡単でどちらが難しいとか、そういった意味とも少し違って行きます。

 

例えばなのですが、こんな話がありました。

音楽として、しっかりとした物語を作る音の場合は、聞く側がぐったりと疲れてしまう…と、いうことでした。

そして、同じフレーズとテンポが繰り返されるようなミニマムミュージックの場合、これはまた別の世界であり、聞き流せて深く感情を揺さぶるようなものではありません。

変な話、聞くものの目や耳を留まらせるような、そんな威力を持っているかは疑問です。

とはいえ、こういった方向性を作り続ける人の場合ですが、より音楽的であると聞きました。

確かにアートでも似たような事が起こるかもしれません。

1枚の絵に全身全霊をつぎ込み、見ているだけでこちらがその作家の人生や伝えたい事をグッと受けてしまう。

こういった作品と、数時間様々な形で対面していると、それは当然疲れてしまうだけでなく、お腹いっぱい…と、いう感じにもなります。

しかし、人の心に深く残るという観点で考えてみると、それはまた別で有名になりやすい…と、いうか語られやす事も事実です。

逆に、連続した何かをサラッと描いていることで、どんどん物は生み出されて行きますが、それは、人の心にはあまり残りません。

そのときは、心に響くものがあるのでしょうが、刺激的に頭を貫くような衝撃というのはあまり無いでしょう。

しかし、作家としてみれば、その何も無い無から生まれるものを数点描き続ける…という製作過程は、これほどクリエイティブな事は無いでしょう。

無意識をより意識的にしていく…と、いうことなのかは分かりませんが、とにかく苦しい時間というよりは、楽しい時間になるはずです。

これが、与える側と与えられる側の違いかもしれません。

とはいえ、中身の無いものを作り続けていてもラチはあきないので、一向にヒットに恵まれない可能性もあります。

そこが、とてもアーティストとしては難しいですよね。

しかし、意識的に作りすぎてしまうものは、時にはその作品の持つ“いやみ”に、とても胸を痛める可能性があります。

狙っている…と、いうものでは人の心を動かす事は難しいですし、クリエイティブではありますが、残った作品に関しては自分も恥ずかしい可能性だってあります。

丁度、その中間を狙えればよいのですが、それって、まぁないものねだりですよね。

狙いが敢えてヒットすることもありますし、見ている方とすれば、色々考えてしまいます。

ただし、生み出し続けることができる、という作家の方が心はのびのびしているかもしれません。

形が決まっていないだけに、常に新しいものを作る必要がありますからね。

自分のキャラクターは大切でしょうが、常にぶれぶれと、いうスタンスもアリと言えばアリです。

自分にはどちらが合っているのか、そういった所を見極めていけば、良いものが生まれるかもしれません。

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