ラジオ、ラジオ、ラジオ、ネットラジオ予想をこえて

新聞にネットラジオが好調だと載っていた、これは大変喜ばしいことだ。

ついこの間までリスナーの減少を食い止めるためにはどうすれば良いかと、各ラジオ局は頭を抱えていた。

紙面に依れば、IPサイマルラジオの利用者は約4割が新規のリスナーたちだと言う。

パソコンを通じて、ラジオを聴く、キーボードを打ちながら各々が好きな番組を”ながら族”として愉しんでいるわけだ。

 

調査の内訳(2万2075人/朝日新聞)はというと、ラジオを再び聴く復活組みが、34.4%、初めての人が10.0%、残り12.6%は通常のラジオ放送からトランスファーした人たちだったという。

待てよ、12.6%という数字はこちらの予想を遙かに超えた数字、実はコンマいくつか程度くらいだろうと高を括っていたのだ。

この現象はテレビが面白くないという声が聞かれて久しい、その反動がラジオ愛好者へと繋がったのだろうか。

テレビの世界で生きてきた身にとって、甚だ歯がゆくそして言わずもがなと言う他ない。

テレビ局が製作する大半の番組は、製作会社が請け負っている、今や8……いや9割と言って良いかも知れない。

優秀な製作者は局には居らず、製作会社にいる、私自身も製作会社と侃々諤々しながら番組作りをしてきた。

あれよあれよという間に本家はふぬけ同然となり、牙を抜かれた象のようなものになってしまった。

身体だけはでかいが、ただそれだけの存在、彼らは学ぶことをせず薄っぺらな紙を数えるのに懸命で、ゴールデンタイムもプライムタイムも出てくるのはお馴染みのお歴々、これでは視聴者のテレビ離れも致し方ない。

本家は危機感を感じつつも、その現象に指を咥えて眺めているだけ、としか私には見えない。

コンテンツ、コンテンツと”何とかのひとつ覚え”のように連呼し汲々としている。

しかし、製作会社は働けど働けど楽難しが今も続く、給与体系は局と製作会社の差は雲泥の差だ。

一昔前までは花形の職業であったが、今もなお汚名高き3Kが続いている状態だ。

さてそのラジオ、大昔受験勉強中に深夜放送を聴いた程度、電波の発展はパソコン登場によって大分様変わりを呈してきた、その波が新たなコンテンツを生むかもしれない。

深夜放送と言えば、先日知人から素敵なエピソードを聞かせてくれた。

その知人は深夜に風呂に入るのが日課だという、浴室にラジオが備えてあり、静まりかえったひとときをラジオに耳を傾け一日の疲れを取るのだそうだ。

知人は番組名と名前は失念してしまったが、内容は鮮明に覚えていた。

フランスの高名な詩人にテレビ局のインタビュアーが”この世でひとつだけ遺したいと思うものは?” と問う。

詩人は”日本人”と言い放ったという。

彼曰く”知性に富み、つつしみ深く、高貴であるから……”と。

これを聞いた日本人は吹っ飛ぶほど喜ぶに違いない。

それもあの差別主義絶大なフランス人からお墨付きを頂いたのだからなんとも不思議な感じがする。

詩人は武士道の精神を思い浮かべて吐露したのだろうか、日本人は、今あることの審判を待っている、国の行く末である。

そんなところに揶揄でない魂が揺さぶられるほどの賛美を頂いた。

でもである、よくよく考えれば、他国への賞賛は他ならぬ自信と矜持があってこその発言なのだと痛感もした。

但し、詩人はサイショウの中にそれは見てない気がする。

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