美術館とは? 

神奈川県立近代美術館が、2年後(2016)に閉館されるという記事を昨年新聞で知った。

まだ確実ではないようだが、またかという懸念が湧いてくる、この国はウワモノばかり造ることに汲々とし不要となればいつでも壊す、その歴史を明治時代より営々と続けてきた。

美術館は誰のものと言いたい、私的美術館であれば生かすも殺すも自由である。

だが公は別だ、一握りの施政者の一声で解体もしくは門を閉じるなどあってはならない。

閉館の理由として財政難が取り上げられている、元々この土地は鶴岡八幡宮が所有者で、大家と店子の関係にあり更新時期が迫る中、売り上げ伸びないという”理屈”で更新をしない、ということらしい。

まだ断定していない事柄をあれこれ突っつくのは控えねばならないが、このようなことは日本国中いつくもあった。

神奈川県で言えば、一昔”みなとみらい21”というプロジェクトの中に、あの山下公園周辺にF1を走らせるというワクワクするような話があったが頓挫してしまった。

まぁ、理由はなんとなく理解できる、公道の中を走らせるのは危険であるし、騒音も相当なものである。

たとえペイできても事故でもあったら云々とさぞかしお役所的発想で取りやめとなったのだろう。

個人的には直線コースの日本大通りを疾駆する勇姿を見たかった、当時はナイジェル・マンセル、ネルソン・ペケ、アラン・プロスト、ケケ・ロズベルグ、アイルトン・セナと言った80年代を代表するF1の最も面白いエポックメーキングであった。

だが、この神奈川県立近代美術館はF1とは意味が違う、観光のためでもなく、文化遺産のためでもない、アヴァンチュールを伴ってこそ美術館なのだ。

美術館が格式や伝統を持つとろくな事はない、アーティストは己と格闘し美と対峙しながら恣意的な世界へ没入していく、アートは独りよがりで良い、人生訓など吐いたものならそれはただの紙芝居に過ぎない。

61年間の歴史の中で紙芝居もあっただろうが、金銭とアートを同じ土俵で勝負すること自体お粗末だ、神奈川県立近代美術館からか細い声でもっと愛撫を、という囁き声が聞こえてくるのは幻聴だろうか。

 

人は言う、文化遺産を失くしてはならいと、文化はくせ者であり、いかがわしいもの、だから面白い。それをお行儀良く甘ったるい言葉で文化なんて言うのは、少し筋違いというものだ、と私は思っている。

文化は目に見えない、文明は一目で見える、その不可視なものに人間は媚び、時に頭を垂れ、無邪気なほど人間は無防備になる。

また美も同じだ、正面からではなく、背後から覗いて見る、美醜が漂っている、美は醜であり醜は美でもある、人の心の中には常に反乱が蠢いている。

昔、東北出身の作家が文化を称してハニカミとルビを振った、まさしく含羞そのもの、それがなければつまらないではないか。

そこで、国内にどれくらい美術館があるか調べてみた。

文部科学省の調査(2005年)によると、美術館数は423、1993年は281、計算は苦手だが確実に増えていっている、それも142ものハードがあちこちで造られているということだ。

どこにそんな大金があるのだろうと首をかしげたくなる、日本は企画展(メジャーな画家)を開催すると長蛇の列、来場者たちは一目土産話にと画家の名前に吊られてやってくる、それはそれで良い、それが日本の偽らざる実情なのだから。

しかし、小屋はいつも大物とは限らない、名も知らぬアーティストも登場する、それこそがその美術館の価値を知らしめるところなのに、来館者は指で数える程度。

ヨーロッパは別として、日本人は本当に絵が好きなのか、と意地悪にも疑いたくなる、今回のバルテュス展がそうだ。

なんと来場者数が10万人を突破したそうな有り難い話である、どこに魅了されたのか正直私には分からない。

というか、広告戦略が功を奏したとでも言えようか、”称賛と誤解だらけの、20世紀最後の巨匠”とサブタイトルが付けば、”巨匠”と言う言葉に引き寄せられ人は動くらしい。

アーティストの殆どは誤解と称賛の谷間で絵筆を執る、けれども哀しいかなバルテュスのように上手くいったためしはない。

チラシには”バルテュスを愛する人々”と銘打ち、作家・作曲家・女優・美術評論家・カメラマン等々の気味悪い言葉が寄せられていた。

最近の新作映画は一般人を巻き込みCMで流す、”感動した””涙が止まらない”云々、それに乗じて絵画の世界まで胸算用をする。

かような仕掛けをしなければ人は絵を観てくれないのか……まるで”ハーメルンの笛吹き男”の童話のようだ。

音程の外れた笛に触発され絵を観ることに異論はない、少女の何かに刺激を受けたのか知る由もないが相も変わらず成熟度の低い国、のように思える

美術評論家諸氏は飯の種にいろいろとアーティストたちの生涯を語り、論評を重ねるが、果たしてそれが正しいかどうかはだれも分からない。

美に対する眼差しは等しくはない、ひとそれぞれで良いのである、現代美術のどこが面白いの、と知人から問われることもあるが、押し並べて好きなわけではない。

好きか嫌いかは、個人が決めることであり、他者の意見は無用。

単純に言えば好悪の類で決まってしまうのが絵だ。

有名か無名かの差はとても大きく、漫画のような造形物で名を馳せる者もいれば、才能あふれる力を以てしてもチャンスに恵まれないアーティストもいる。

それも実力の内かも知れないが、せめて美術館を閉館するくらいなら冷や飯を食っているアーティストたちに一声かけても良いではないか。

絵を観て文化を語ってもしょうがない、絵は個人の集大成、それを理解していればもっと眺め方が面白くなるのに……。

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