人と獣の狭間で、したたかに動物を捏ねるステファニー・クエール

入口近くに茶色のブタがソファに座っていた、視線をずらすと、サル、シカ、ヴァイオリンを奏でるアナグマもいた。

襲われはしないかと、おずおずと動物たちに近づく、獣臭もない、鳴き声もあげない、彼らは襲うことなく静かに佇んでいた。

そこに控える動物たちはなんとセラミック素材で造られた造形物、一瞬粘土細工にも思えたが、作品全てがセラミックによるものだとギャラリーの女性が説明してくれた。

全体の作りは荒削りである、けっして丁寧な施しとは言えない、だがその”生き物たち”には味があった、ナイーフあるいはプリミティブとでも言えば良いのだろうか。

中でもアナグマの表情が愛くるしい、少し首をかしげ音を奏でる様はこちらの気持ちを和ませてくる、しかしただの愛玩具のような雰囲気ではなかった。

通常このような造形物……彫刻は、アルベルト・ジャコメッティの作品にも犬や猫などの作品が数点あったと記憶している、どこか風合いが似ている気がした。

ジャコメッティの特徴は線が細く、人間の欲望を全て剥ぎ取ったかのような彫塑が多いが、方やギャラリーにいる動物たちは深い”生”への矜恃のようなものが感じられ、こちらの浅はかさを全てお見通しのように無言でどっしりと構えている。

 

この彫刻を制作したアーティストはイギリスを拠点に活躍するStephanie Quayle(1982生/ステファニー・クエール)、彼女は生まれ故郷のマン島の農場で育ち、一時期ロンドンの美大へ進学したが、卒業後は帰郷し、農場の自宅兼アトリエで創作活動を続けている。

夫婦揃ってアーティストだという、互いにアーティストとなると主張が強く、時に諍いや意見の衝突もあるだろうが、農場がアトリエという環境も手伝って自ずとライフスタイルや制作過程も穏やかになるだろう。

それは、動物たちの顔に表れている、険しさなど一切ない、彼女自身の感情がそのまま指へと移入し彫像しているからだと思う。

制作過程は、まずドローイングをし、そのイメージが覚めないうちに一気にセラミックをこね、窯で焼いていくのだそうだ。

中には大作もあるそうだ、だが大きすぎてアトリエから移動することも出来ず、窯に入れることも出来ない。

従ってその大作物は、跡形もなく処理されるという。

マン島のどこにアトリエがあるかは分からない、自然と向き合い制作活動をする……聞こえは良いが島での生活環境は厳しい、過酷だと推測する。

そのような生活の中で”動物たちとの交流”が始まり、作品が生まれていったのだろう。

 

動物をモチーフとした作品はフォービズムを彷彿とさせる、躍動感が漲る彼女の作品は都会の美大で学んだものではなく、直接動物たちと触れあう中で会得していったのだと思う。

よく聞く話しだが、人間と動物たちの共生……これは人間の傲慢としか言いようのない言葉だ。

人間は本能が壊れた動物、これほど始末に負えないものはない。

一方の動物たち理性はないが本能をわきまえ、無慈悲な自然環境と向き合い、常に眼前の命と格闘している。

それを実感し、気づいた時、クエールは無性に動物から目が離せなくなり、セラミックを手に取りこね始めた、そんな思いがこの会場からひしひしと伝わってきたのだった。

 

この会場は恵比寿の”POST”で開催されていた、ギャラリーを備えたアートブックショップ、ビルと住宅街に挟まれた一角。

今年で9年目を迎えるとのこと、以前は早稲田に店を構えていてと言う。

店内の設えも面白い、我流で作った書棚やキャビネット風のものがアートブックをより華やかにしている。

ステファニー・クエール、今年の夏頃に信楽焼の里を訪れ二ヶ月ほど滞在するという。

セラミックではなく、信楽の陶土を使って制作するとPOSTの女性が話してくれた、信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強く、大物づくり、小物づくりにおいても細工しやすい粘性のある土。

さて、どんな象ができるか楽しみだ、まさかたぬきではあるまいな。

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