厳しい熱帯の陽射しの下、人の手で陸揚げされる米袋
~ ミャンマー ヤンゴン ヤンゴン川岸の米運搬人 ~
現代の市民生活は分業によって支えられる。
年を追うごとに新たな職業が産み出され、多種多様の職種が分業化をさらに加速する。
原始時代であれば食料、衣服などの生活必需品は全て自らの力で工面しなければならなかった。
誰から力を頼りにすることなど許されなかったわけだ。
自分自身で田畑を耕すばかりでなく、農耕に必要な農耕具すら自らの手で作らなければならない。
各々が創意工夫を凝らす中で、人によって得手不得手があることが明らかとなり、分業という仕組みが築き上げられたのだろう。
農耕民族である日本人は、かつては大半の人が田畑を耕し、自給自足が基本的な生活様式であった。
ところが、工業が発展するにつれて田畑を持っていた人々が、先祖から受け継いだ土地を手放すようになる。
都市が拡大するに従って工場や商店に勤めに出るようになり、給与という形の現金収入が生活を支えるようになる。
自分の汗を流して食料を調達するのではなく、スーパーマーケットなどの商店に並ぶ商品を購入することが標準となった。
日本人にとって欠かせない主食の米も、スーパーマーケットに行けば容易に手にすることができる。
ところが、農村から店先に並ぶまでには、数えきれない人々の手を必要としている。
水田を耕す農夫は勿論、産地から消費地まで運搬する人、消費地で流通させる人、誰かが欠けると家庭に届くことはない。
ミャンマーの首都を流れるヤンゴン川の河原で、米袋を担ぐ人を見ることができた。
ミャンマーも周辺のアジア諸国と同じように米を主食としている。
主食の米が国内の全ての家庭にゆきわたらないと、国民は生きてはいけない。
運搬人が担いでいる米は、国内の穀倉地帯で収穫され、ヤンゴン川の流れを利用し船で首都に運ばれたものだ。
船に満載された米袋は人の力によって陸揚げされ、そのまま川岸に停められたトラックの荷台に積み込まれる。
お互いの体が触れ合うことのない間隔で一列に並び、目標に向かって歩を進める。
一つ一つの米袋には米がぎっしりと詰まり、きっと重量は数十キロになるだろう。
日本の関取のような人であれば簡単に持ち上げることができるだろうが、非力な人が触ってもびくともしないだろう。
しかも、熱帯の厳しい陽射しが容赦なく照り付ける中での作業だ。
相当な腕力と体力を要するハードな職務だ。
重労働ではあっても、ヤンゴン市民の生活を支えるためには必要不可欠であることに違いはない。
似通った光景は日本の都市部からは消えてしまったが、江戸時代に遡れば城下町で毎日のように見かけられたことだろう。
濠などを利用した運河から蔵屋敷まで、領内で収穫された米が運び込まれた。
日本であれば藁を円柱の形状に編んだ米俵ということになる。
俵状の包みは、袋状のものと比較すると積み上げた際の安定度を欠くようだが、担ぎ手にとっては肩にフィットして持ちやすいといえるかもしれない。
ヤンゴン川で陸揚げされた米袋は、領主の蔵屋敷に積み上げられるのではなく、市内の市場や商店に運ばれ市民の台所に届く。
ヤンゴン川での米袋の陸揚げ作業は、今後どれくらいの期間繰り返されるのだろう。
数年後に突然、川岸にベルトコンベアのようなものが設置されることもありえるだろう。
何もかもが自動化される現代ではあるが、米一粒とってみても、数限りない人々の手から手に受け渡されることによって、自分の口にまで運び込まれているのだ。
機械に頼らずに家庭に運ばれた食材には様々な人々の苦労が染み込み、味わいに深みが加わることにつながるだろうか。