月を踏む、闇と森の世界

寝苦しい夜が続く、生まれ月は夏だが至って暑さには完敗である。

寒さは衣服を重ねればなんとかなるが、暑さだけは自身で防ぎようもなく唯々手をこまねいているだけだ。

熱帯夜……いつまで続くのだろう、就寝前にエアコンのタイマーをセットし眠りに就く、タイマーの時間は2時間と決めている。

生来エアコンは苦手である、子どもの頃は扇風機だけで充分凌げた、だがこのうだるような暑さは扇風機など何の役にも立たずエアコンと扇風機併せ渋々使っているというのが実情。

しかしそのセットも虚しくタイマーが切れると同時に寝苦しさが再び襲う、寝返りをなんども繰り返している内に自ずと目を覚ましてしまう。

むくり身体を起こしベランダに出る、そこから眺める景色は漆黒の闇などなく煌々と照らす街の明かりが瞬き、まるでそこはイカ釣り船のような世界が蠢いていた。

夏の夜空を見上げた、星は微かに光を放ち宇宙の果てを淀みなく流れている。

眼下では車のエグゾースト音が過不足なく耳元を通りすぎていく。

ベランダからの満月、ちょうどその日の月齢は満月のピークを指していた。

17世紀のゲルマン文化に於いて月は冷たい処女、その一方で淫乱と、ロマン主義的叙情性に結びつけ喩えられていた。

彼らの神話はなんと官能的だろうか、それは冷たくそして暖かい審美の鑑識によるものなのかもしれない。

森に闇が訪れれば木々の隙間から月明かりが陰影となって夏草を照らす、方や眠らない街のビルの谷間に寄りかかるようにぽっかり月が浮かんでいる、月明かりはビルが林立する都会には似合わない。

深閑とした森の中で闇は本領を発揮するものだ、音も無く静かに迫り来る闇……子どもの頃は森の闇がとても怖かった、全方位が闇に包まれ身動きひとつできないからだ。

だがその闇も時間の流れの中で研ぎ澄まされて行き、見えなかったものが視えてくる。

闇の中に明かりがあることをその時知ったのだ。

だがその体験も虚しく、大人になると忘却の谷間に置き忘れてしまうようだ。

街の電飾や外灯そしてビルの照明の明るさにすっかり慣れ、人間が本来持っている五感という武器も錆び付き、本能が失われていく。

月夜の晩に、道端にできた水たまりに月が浮かび暫しそれと戯れる。

手の届かない月をこの水たまりで掬うのだ、掬っても掬っても掌からこぼれ落ちる月、そして最後は足で月を踏む、月は一瞬弾かれるものの38万キロの彼方にある月は何事もなかったように宇宙の大海を静かに泳いでいる。

今思えばたわいもない無邪気な児戯だが、それも遙か昔のこと。

森に雨が降り、やがてその慈雨は大地に吸い込まれ森の養分となって生き物たちに潤いを与え、謎と魅惑に満ちた循環が我々の足下で行われているのだ。

そんなことをつらつら考えながら寝室に戻った、だが眠れない、汗が身体を占領し睡眠の邪魔をする。

 

仕方なくラジオを付けた、不眠に悩まされ時に聴くのが”ラジオ深夜便”、深夜に聴くには調度良い番組。

他局は音楽もパーソナリティの声もかまびすしく聴くに堪えない、唯一この番組だけは睡眠導入剤のように心地よく安眠を誘導してくれる有り難い番組である。

その時聴こえてきたのが闇にまつわる話だった、語り手はナイトウォーカー体験作家中野純さん。

ナイトウォーカー……聞き慣れない肩書きである、本業は夜の山や街をテーマにエッセイなどを書く文筆家とのこと。

ここ最近深夜に散歩するナイトウォークが静かなブームを呼んでいるとか、その中心的人物が中野さんらしい。

中野さんが暗闇に夢中になったのは、電車の乗り換えを間違え終着駅に着いたのが高尾山近くの駅だった、何を思ったか中野さんは真夜中の高尾山を登ったという。

昼間では感じられない木々や土の匂い、そこに棲む生き物たちの息遣い、東から昇る光りの束が徐々に単調な色あいから色彩豊かになっていく様に感動したのだという。

それからというものナイトウォークに病みつきになり、闇を求めて歩くのだという。

4回シリーズの最後しか聴けなかったが、睡魔どころの騒ぎではなく耳を澄まして聴いてしまった。

闇と言えば、ダイアログ・イン・ザ・ダークがある。

1988年にドイツで、哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたイベント、世界の130都市で開催され、700万人以上が体験したと言われている。

尤も中野さんが提唱するナイトウォークとは趣を異にしているが、限られた空間の中で鳥のさえずりや川のせせらぎ、水の質感、葉を踏む感触、果ては擦れるグラスの音等々を完全に光を遮断した空間の中で体験するのも、ある種五感を研ぎ澄ますには打って付けの実験かも知れない。

会場の暗闇は人間の行動にどんな変化が現れるか、距離が狭まる中で初めて人間と人間が触れあう、人がいることを認識しつつも驚くに違いない。

夏の名物”お化け屋敷”がそうだろう、とは言えお化け屋敷はゲーム性の高いイベント故ダイアログ・イン・ザ・ダークとはちと意味が違うか。

中野さんが言う闇の世界の心地よさ、それはアンドレアス・ハイネッケが唱えるものとは全く違っていた。

中野さんは日本の闇は柔らかいと明言する、たとえば茶事に参加すれば狭く暗い茶室で主人が茶釜の湯を沸かすと、立ち所に温暖で湿潤な柔らかい闇が出来上がるのだと力説する、実に風流だが庶民の範疇にはほど遠い。

そこで中野さんはその感覚を風呂で体験できることを教えてくれた、電気を消して風呂に入るのだそうだ。

これこそ温暖で湿潤な日本の柔らかい闇だという、キャンドルもいらない、お湯を少しぬるめにして電気を消すだけ。初めはまごつくかも知れないが、すぐ慣れて闇とお湯に浸かっていることがどんどん心地よくなって母の胎内にいるような安らぎを感じるのだという。

さらに闇の世界を味わいたければ、夜の山登りなどの闇歩きが一番らしい。

しかしハイキングの経験薄な人が夜の山に入るのは危険である。

そのために準備期間としてナイトハイクのツアーなどに参加するのも一案だ。

夏の夜の森は濃密で、森に棲む生き物たちの息づかいを感じる、蝉の幼虫は白く羽化して夜鷹や鵺や時鳥の鳴き声が聞こえるという。

月下に照る広葉樹は青白く月がゆらゆらと漂い、針葉樹の針葉をすり抜け地面に届いたかすかな月は、まるで発光生物のように光っていると中野さんは嬉しそうに話していた。

中野さんの話を聴いていると、森の闇はけっして怖くないことがびしびしと伝わってくる。

怖いのは人の心に棲みつく闇だ、それを浄化するためにも緑深き森に分け入り闇夜の月と戯れることを一度体験してみようと思う。

夏もあと少し、秋のナイトウォークもまた風流かも知れない。

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