先進国に襲った動揺、スコットランドではイギリスからの独立を目指す政治運動が高まっている。
キャメロン首相は独立の是非を民意に任せると言った、反対か賛成かの採決が9月18日に出る。
両国の対立は今に始まったことではない、ローマ帝国の支配を受けていたブリテン諸島時代より両国は争い事が絶えなかった、今もスコットランドやウェールズそしてケルト系住民の間ではブリテン諸島という呼称を認めていない。
この対立のキーは何か……1970年代にスコットランド近くに北海油田が開発したことをトリガーに独立是非の論争が始まったという噂があるが、真実は藪の中だ。
またサッチャー政権時代にスコットランドの重工業は悉く閉鎖されそれに従事する人々は職を失い生活を奪われ、その燻りは未だ消えないという。
人間はどうやら富の分配と言うものに対し、卑屈なまでに浅ましく、何事も等しくとは行かないようだ、カトリック教徒の多い国で”何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ”という黄金律はどこかに置き忘れてしまっているらしい、それは隣国の国にも同じようなことが起きている。
いかなる宗教を以てしても人間は”現実”を最優先する生き物だということをしみじみ痛感する、いがみ合っている場合ではない。
本来イギリスの正式名称は、“グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国”と言う、元々イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国から構成されているのだ。
仮にスコットランドの分離独立が首尾良く行ったとして、1つ欠けたグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国の未来はかなり厳しい状態に陥るだろう。
グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国の出自は複雑だ、現在のイギリス王室のほとんどがドイツ人の血を引いている、特にハノーヴァー選帝候の家系の出身が中心である。
18世紀初頭、スコットランド出身のアン王女が亡くなったとき、彼女に後継者がいなかったことで当時の議員たちは遠い血縁筋から国王を迎え入れたと言うのが事の始まりだった。
従って、女王の顔立ちもどことなくドイツ人の風貌に見えはしないだろうか。
それは大英帝国に限らずヨーロッパの殆どの君主はドイツ系で占められている、ヨーロッパの世襲君主制に於いてドイツ系でないのはスペイン(ブルボン家でフランス系)、スウェーデン(ベルナドッテ家でフランス系)、モナコ(グリマルディ家でイタリア系)のみ、いかにドイツの血がながれていることか。
これも後継者争いを避けるための方策だったのかも知れないが、今回の独立問題と絡んで民族間の火種にならねば良いが。
独立かそれとも元の鞘に収まるか定かではないが、いずれにしても血で血を争うようなことがないことを祈りたい。
そのイギリス人、昔からマナーを重んじると国民性と言われ、ウイットに富み、その一方で精神風土がお堅いというイメージがあった。
そのイメージにピッタリのエピソードを紹介したいと思う。
学生時代、ロンドン生まれでイートン校からオックスフォード大出身の教授にQueen’s English を執拗にたたき込まれた経験がある、とにかく怒り出すと手が付けられないくらいの性格で、気に入らなければ教室から追い出される、そんなことが何度もあった。
名前もはっきり覚えているが、まだ存命と思えるので名は差し控えたい。
少しでも発音がおかしければ赤鬼のようになって、Queen’s Englishでまくし立てる瞬間湯沸し器の体。
その光景はあたかも宮殿内で諍いの一場面を見ているようで、滑稽で面白かった、だがこちらに浴びせる言葉は辛辣そのものだった。
ある時、授業中には余分な話など一切しないその赤鬼が、なぜかイギリス人の国民性を話し始めた、まるで狐につままれたかのような時間であった。
赤鬼がスーツの衿を掴みながら、ある1語について語った。
ロンドン、メイフェアー地区のクラブ、ここでは厳格に守らなければならない2つのルールがある。
まず第1は、夕方ここのバーで会った見知らぬ者同士は、お互いに話しかけあって談笑するよう努めなければならない。
第2は、翌朝朝食のテーブルで知らぬ人が一緒になったときは、挨拶のほかはお互いに口をきくのを控えなければならない、という。
2番目のルールは、いかにも英国人らしい。朝は、1日が始まるとき。
人は新聞を読みたいかもしれないし、1人で予定を考えたいかもしれない、とにかく相手の邪魔をしない、ということなのだろう…。
その1語とは、Connive(知らんふりをする)という言葉だった、仮に日本人同士であれば、”夕べはどうも”なんて言って話しかけてくる、相手が朝イチで交渉事に急ぐ中でも、Conniveは出来ないのが日本人だろう、必ず声をかけて挨拶するのは日本流だ。
かの地では、やぼと受け取られやすい、気をつけるべし。
人に迷惑をかけない、というのは”個”の尊重から来ているのだろう。
でも、行き過ぎると”偽善”につながる。この微妙な虚実の皮膜が国の熟成なのかも……。
良くも悪くもロンドンにはそれがある。
Conniveは美徳だ、だがその美徳が今、カラカラと音を立てほつれ始めている。