椅子に座ることが宿命のような生業、従って腰痛には大分悩まされ続けた。
その中で想像を巡らす、だがその思案もいい加減なもので幾度も己自身との誘惑がせめぎ合う。
要は気が散るのだ、車の音、女性の悲鳴、カラスのゴミ漁り、ひいては床に髪の毛一本落ちているものさえ気になり出す。
集中度はものの数分で途切れ散漫になり、気がつくと机を離れ雑駁なものと格闘している自分がいる。
腰の痛さを理由にあれこれ手を出し、気がつけば1日があっという間に過ぎていく、挙げ句の果てには己に言い訳がましいご託を並べ課題を翌日へと引き延ばす。
仕事が進まないのは椅子の所為だ、座り心地の良い椅子なら仕事はスイスイ片付くと連れ合いに能書きを垂れる、相手はこちらの戯言など耳も貸さず何事もなかったかのように台所で作業をしている。
そんな譫言が何年続いただろうか、言ってみるものである、とうとう念願の椅子を手に入れた、ハーマンミラー社のポスチャーフィット型アーロンチェアを。
使い始めて四半世紀は経つだろうか、今でこそ手に入れるのは容易くなったが当時は市場に少なく探すのも苦労した。
きっかけは東京デザインセンターのショールーム、カラフルに座席部分と背もたれがメッシュ加工されたアーロンチェアがいくつも置かれていた、それは身体を包み込むようなフォルムで一瞬にして心を奪われるマチエール、気持ちがざわめくのも当然だ。
アーロンチェアをいつか手に入れたいと念じていた、念ずれば叶うわけではないがこちらの切なる微力な魔法が見事にかかってくれた。
いつしか腰痛からも解放され、座った瞬間のフワリ感がなんともと不思議な感覚で長時間の作業にも持ちこたえてくれる、だが本業は相変わらずの調子である。
時代は移り、アーロンチェアを編集スタジオなどでもよく見かけるようになった、オペレーターたちは長時間座りながら作業をする、トイレや食事を除いても20時間はざらだ、座っていても疲れない人間工学に基づく設計ということからあちこちでも使われるようになったのだろう。
このアーロンチェア、デザインしたのはジョージ・ネルソン。
彼がプロダクツ・デザインする照明やテーブル、チェアなどは機能性を兼ね備えた斬新なものばかりだ、近代のデザインを確固たる地位まで作り上げた代表がジョージ・ネルソンだ。
アメリカに於いて新しい家具の考え方、軽快なオフィスのあり方をあらゆる角度から提言していった。
ネルソンが手掛けたデザインを一目見ようと、国際巡回展が行われている目黒美術館(2014-7/15〜9/18)まで出かけて行った。
平日は空いているだろうと思っていたが、その予想は外れ会場にはたくさんのギャラリーが鵜の目鷹の目で眺めていた。
気分良く入館したものの、いつもの撮影御法度の紙が壁に張り出され高揚感はすぐに萎えた、最近は撮影できる美術館も増えてきていると言うのに。
仕方なく展示品のキャプションを携帯でメモしていると中年女性監視員からNGのお達し、撮影ではなく記事を携帯で打っていると説明したが”規則ですので”と堅い微笑を浮かべながら制止させられた。
なぜにこうも日本の美術館は規則だらけなのかといつも感じる、今回は日常で使われた家具やオフィス用品、撮影したところで傷むものでないだろうと思うのだが、至る所に監視員の目が光っていて落ち着いて見る雰囲気ではなかった。
従って展示品は言うまでもなくアンタッチャブル、眼を細めながめるだけ、展示品のマチエールがどんな質感を持っているか触れてみたかった。
展示された作品、作り手は一体どんな気持ちだろうか、人の眼に晒され評価がそこで生まれる。
触れさせたくないなら公共の場に展示は控えた方がよろしいではないか、と嫌味のひとつも言いたくなる。
ネルソンが旅立ってから30年が経つ、そのディスプレイされた書き物机や椅子に時計、そして一連のオフィスもの全てが未だ輝きを放ち時代のフレキシビリティーを失っていなかった。
ネルソンが使っていたというベッド、そのデザインはシンプルでありながら先進性に富みコンテンポラリーアートにも通ずる美しさだ。
彼の発想の元はどこから来るのだろう……ネルソンの印象的な言葉が会場の隅に書かれていた。
”コミュニケーションとは送信者から受信者へメッセージを送ることで、メッセージを受信するにはそれ相応の準備がなければならない。
商売がなんであれ、どの会社にも独自のイメージがある。
言葉ではっきり表現できないことがほとんどだか、会社にとっては貴重な財産になる。
顧客がA社の製品でなくB社の製品を選ぶとする、決め手となるのはイメージである。
それは日々の活動の積み重ねから生まれる漠然とした感覚のようなものなのだ”と綴ってあった。
経験を積んだ”大人”はイメージなんかで仕事はできない、もっと具体性に特化し論じろと若者を論破する。
具体性とはイメージを集積したものが形となって初めて具体的になる、感覚は無敵なのだ、と思いたい。
私自身頭に浮かんで来るものは限りなくぼんやりとしたイメージばかり、それをかき集め分析し構築する、それでなんとか飯を喰ってきた。
想像は創造の賜であり、それがやがて武器となり後ろ盾となって活躍してくれた。
19世紀のアメリカの家具と言えばヨーロッパの家具に強い影響をうけ、それを模造するだけの影のうすい存在であった。
帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト、彼も家具デザインをしたと言われているが、家具はあくまでも建築の延長線上にあると意識していたようだ。
ライトはどちらかというと建築のコンセプトが家具に及んで、建築と家具を一体化させた作り付けの家具に興味があったようである。
そんな中、プロダクツ・デザインで頭角を現したのがジョージ・ネルソン、彼はたくさんの貌を持っていた。
デザイナー、建築家、ライター、教育者と幅の広い見識とアート性を兼ね備えたクリエーターだった。
ハーマンミラー社はネルソンをデザイナー兼コンサルタントの役割を持つデザインディレクターに起用する、それまでのハーマンミラー社は家庭向け家具を作るどこにでもあるような家具メーカー過ぎなかった。
そのコンセプトを切り崩し古くさい伝統家具からモダンへと一変させたのがネルソンだった、ネルソンの卓越した才能があったからこそこの会社は有名になり成長していったといえるだろう。
尤もネルソンの才能を見抜く力がハーマンミラー社にあったことも事実だ。
ハーマンミラー社で25年もの長きに渡りモダン・デザインを作り続けてきたネルソン、クリエーターとしての才能も勿論だが若手の才能発掘にも長けていた。
無名だったチャールズ&レイ・イームズやアレキサンダー・ジラードたちの才能をいち早く見出し、世に送り出したのもネルソンだった。
チャールズ&レイ・イームズ、いまではチャールズ・イームズの冠で合板やプラスティック、金属などの素材を駆使した椅子が世界で使われている、まさに工業製品のデザインに大きな影響を与えた人物と言える。
但し個人的趣味として、イームズの椅子は好まない、フォルムは奇抜だが性能という観点から見ると長時間座るには辛いものがある。
プロダクト・デザインで名を成し遂げたネルソン、その才能を独り占めすることなく多くの才能あるクリエーターたちに”技”を教え若手に大いなる伝承を送り続けてきた。
仮にネルソンが日本の一子相伝というような方法でプロダクト・デザインを考えていたなら今日のモダン・デザインは生まれなかったかも知れない。