蝉しぐれ、盛夏にさんざめく

そびえ立つ木々の隙間からけたたましく聞こえる蝉の鳴き声、都内某所で初めて聞いたのが7月15日だった。

その声の主は蟪蛄(にいにいぜみ)……蝉の仲間で先に鳴くのは蟪蛄だが自信はない。

東京の梅雨明けは7月22日だった。

毎年気に掛けているわけではないが、蝉の第一声少し早いのではないかと思ったりする。

毎年暑さのペースが早くなり、地中で眠る蝉も暑さに負けて飛び出しているのかも知れない。

その鳴き声につられて大木の根元を見ると数匹の蝉の抜け殻、木肌にもその痕跡があった。

昆虫には成虫になる前の呼び方がある、蜻蛉の幼虫は水蠆(やご)、蛾や蝶の幼虫は芋虫とか青虫と呼ばれている。

蚊は孑孒(ぼうふら)、薄翅蜉蝣(うすばかげろう)の幼虫は蟻地獄、では蝉の幼虫は……実は名前がない、他の虫たちは成虫と幼虫に分けられ名前が付いているのに、なぜか蝉には”幼名”がない、理由は不明だ。

関東地方は褐色の不透明な翅を持つ油蝉と透明な翅持つ蛁蟟(みんみんぜみ)が大半を占める、しかしこの数年蛁蟟は劣勢で、油蝉の種の保存が凄まじくダントツなのだ。

 

小学生時代、夏休みの殆どは捕虫網で甲虫や鍬形、蝉を捕まえるのに明け暮れていた。

採集しては昆虫に注射を打ち(注射から殺虫管に変わったようである)、昆虫針を刺し固定する、そして標本箱に収めるのが通常のやり方だった。

最近は、捕虫網で昆虫を捕まえる子供たちの姿も見かけなくなった。

そんな処に、公園の森を散歩していると、ミーンミーンと鳴く蛁蟟を捕まえたのである、蛁蟟は油蝉よりすばしこく逃げ足が速い。

家人に見せると化け物でも見たかのような奇声を連発し、逃げ回る次第。

当方呆気にとられ、唯々笑うほかなかった。

しばらく掌に蝉を忍ばせ、少年にプレゼントしようと探していたがなかなか現れない、やっと母親連れの少年と出会い蝉を渡そうとしたら、親子共々吃驚し後ずさり、喜ぶどころか犯罪者のような顔つきで母親は私を睨んでいた。

平成育ちの男の子はもはや昆虫には興味がないのだろうか……逃がしてやろうと思っていたとき、また母親連れの男の子に出くわす、怖がるかなと思っていると男の子は嬉しそうな顔してミンミンゼミをもらってくれた。

その時の男の子の表情が面白かった、”どうやって捕まえたの”を何度も連呼し、不思議そうな顔で私を見ていた。

今時の男の子たちは捕虫網を振り回すよりも、インドアでゲームに興じる方が楽しいのかも知れない。

蝉は虫の仲間ではもっとも寿命が短い、その儚い人生の大半を幼虫として過ごす。

蝉は地中で幼虫として7年間過ごし、ようやく大人になったかと思うと2習慣ほどの命、なんと生命の短い昆虫だろうか。

寿命の短さは人間からの解釈であり、彼らにとっては長い長い”蝉生”なのかも知れない。

 

7年間でも昆虫としては異例の長寿なのに、アメリカ(北アメリカ)には17年も地中で生きる蝉がいる。

名前は17年蝉と言う、日本であればもう少しベストネーミングを考えるところだが、ひねりが無いところがさすがはアメリカ。

17年蝉、昆虫の仲間でもっとも長寿を誇る種類なのだが、この蝉の驚くべきことは17年ごとに大発生することである、これを周期蝉と呼ぶ。

国内の蝉は毎年登場して鳴きまくる、何かの加減で大発生したとしても通年の倍程度といったところだ。

だが17年蝉はそうはいかない、17年ごとに大発生する礼儀正しい蝉なのだ。

そうそうアメリカ南部にも長いこと土の中で眠る蝉がいた、名は13年蝉、これだけ眠るというのは国土の広さによるものなのだろうか。

なぜこんなことが起こるのか、仮に一匹一匹が17年生きるとしても各々がずれて行けば、年中発生することにならないか……17ごとに一斉に顔を出せば競争相手も多くなり、主たる生命の目的である種の保存が怪しくなりはしないか、はたしてなんの恩恵があるのか? これは推測の域をでない話だが、他の動物の餌になりづらいというのが大本にあるようだ。

大発生した17年蝉を餌にする鳥たちは、潤沢な餌によってたくさんの雛鳥を巣立たせることができる。

成育した鳥たちは翌年繁殖期を迎える、しかし当てにしていた17年蝉の姿形はどこにも見えない、翌年も明くる年も……このようにして鳥たちの脳の中に情報の記録が書き込まれいつしか17年蝉は当てにしてはならぬという法則が生まれる。

というものの、当の17年蝉たちにとっても危険な賭であることは重々承知のはず、何十年来地球の異常気象は絶え間なく続いている、となれば彼らだって種の保存は危うくなる。

しかしそれでも尚17年蝉は周期を繰り返すという手段を、危険を承知の上で選択してしまったのだ、地上にヨーイのドンで出ることを選んでしまった。

聡明とも愚かとも言えない、壮絶な蝉生を送る17年蝉たち、それでも彼らに幼虫の名はない、殆どの虫に幼虫名があるが蝉という蝉種、彼らはそれで満足なのだろうか……そんな下らぬ絵空事に現を抜かすのは人間界だけかも知れない。

そして夏休みも終わりに近づくと大手をふるって鳴いていた油蝉や蛁蟟は消え、空蝉や蜩が盛夏を名残惜しむように”ツクツクボウシ、ツクツクボウシ”はたまた”カナカナ、カナカナ”と秋を招くように鳴き始める。

そして秋の出番と言えば、コオロギ、マツムシ、スズムシたち、早く彼らの声を聞きたいものだ。

関連記事

アーカイブ

ページ上部へ戻る