美の化身-草間彌生

喉元を鋭利な刃物で突きつけられた思いがした。身体は硬直し、じっと水玉を凝視する、丸だったものが徐々に形を変え変幻自在のフォルムへと変貌していく。

瞬く間に意識は深海の底まで連れて行かれ、身動きが取れない。それが生きる美の化身、草間彌生の凄さだと思った。

草間の絵はまどろみを誘い来場者たちの瞼をゆっくりと塞いでいく、眼の奥にある創造の中で草間と来場者たちはジャムセッションのように廻遊するのだ。

生き物など生息しないその世界は狂気と享楽が垣間見え、忽然と浮遊する夥しいカボチャや水玉模様の群れ、草間は誰も真似できない世界でアートを愉しんでいる、のかと思ったりした。

 

しかし、そのイメージは一瞬で覆された。草間自身特殊なメンタリティを持っていることへの苦悩、それと向き合わねばならない宿命が彼女の今日を支え続けてきたと言って良いのだろう。

芸術家には負がつきまとう、また負を持ち合わせているからこそ美を見る力が健常者よりも強いのだ、と思う。

芸術はマイノリティの産物であり、孤独な作業のなかで己自身と格闘し藻掻き続けていく、その不可視なマチエールを越えたところにものの本質が初めて見えてくる。

美に対する不断の力強い眼差し、それは弱さの中で完成され鋼となって美は光り輝く、だからこそ尊いのだ。

 

手許に翻訳家の友人から頂戴した日英対訳版”草間彌生版画集”がある。

友人には申し訳ないが読まずにそのまま書棚に置いてしまった、あれから10年以上は経っていると思われる。

その名声は以前より届いていた、しかもこの眼でしっかりと過去に実物も見ている、その印象が冒頭に認めたものだ。

でもページを捲ることはしなかった、草間の絵から放つ一言では言い尽くせぬ呪縛のようなものを感じていたからだった。

なぜこの本を書棚から取り出したかと言えば、2年前にNHKで放送されたドキュメンタリー”水玉の女王 草間彌生の全力疾走”、

さらには埼玉県県立近代美術館で開催された”草間彌生 永遠の永遠の永遠”がきっかけだった。

爾来、草間彌生の呪縛は解け、新たな”美の化身が”懐へすうっと這入り込んだのである、なんとも身勝手なイメージだろうか。

もっと端的に言えば永遠に続く水玉に恐怖を感じのだ、あの絵にたまらなく。

そして埃が被った草間彌生版画集を開いた、草間彌生の50年に及ぶ全活動史と、全版画作品157点を自身のコメントでたどるドキュメンタリーの体裁になっていた。

草間は1957年に日本を離れ、ニューヨークに活動の拠点を構えた草間は帰国するまでの16年間、

ニューヨークを始めとしヨーロッパにも活動の幅を広げ精力的に作品を発表し、今日も尚あらゆる絵画のパフォーマンスを試みながらキャンバスに草間ワールドを創り続けている。

草間が描く水玉は、平和を意味するとこの本で知った、世界はいまだ喧噪の中にある、いつになれば静寂を掴むことが出来るのだろう、

その切なる願いが草間の水玉に潜んでいたとは想像だにしなかった。

 

草間弥生(1929生85歳)、未だ絵に対する筆力は衰えることなく、その創作意欲の姿勢には目を見張るものがある、

とにかく毎日1点ないしは2点作品を仕上げると言うから驚かずにはいられない。

草間の絵の描き方が実に面白い、画家ともなれば習作を描きそして下絵へと進む、だが草間は逡巡することなく突然本画を描く、

一気に描いていくのだ、迷いなど一切ない。筆を取ったら自由自在に筆を走らせどんどん描き進んでいく、そのシーンはドキュメンタリー番組の中でとても印象的な場面だった。

感情が筆を走らせるのかと思うほど草間の勢いは凄まじかった、番組の中でインタビュアーが草間に、”次は何を描きますか”と訊ねる、

草間は悩むことなく”私の手に訊いて下さい”とエスプリの効いた応えが返ってくる。

大家ともなれば無言、あるいは厳しいお叱りの言葉が日本画壇ではよく見かけたものだが、草間の応えはなんともお茶目な応えだった。

草間は偶然性に身を任せ浮かんだイメージを描いているのではないらしい、

キャンバスに向かった瞬間、その刹那の中で全体像のビジョンが既に見えているのでないかと、埼玉県県立近代美術館館長の建畠晢氏は解説していた。

 

数年前より草間の絵に変化が見られる。

タブローは抽象的なパターンもあれば、所々に具象のイメージが描かれ人の顔やカボチャ、眼鏡、植物といったものがインサートされ画布のなかに登場する、

具象性が草間の絵の中に新たなマチエールとして加わったのではと邪推な推測が頭をもたげる。

 

過去の作品では水玉の模様が無限に反復しパターン化するという具象性のない作品が多かった。

それは子どもの頃からのオブセッション、いわゆる強迫観念があったことに起因していたとも言える、

同じ事を繰り返さないといられない常道反復という衝動にいつも駆られそれが絵に反映したのだろう。

展示されている絵の中に、その一端が現れていたものがあった、それは赤を基調としたミミズのような絵が強烈に証明していた、

常道反復で空間を埋め尽くしている、否せめぎ合っているとでも言えば良いか。

びっしりと同じパターンで繰り返される絵が草間の真骨頂だったが、埼玉での展覧会は様子が少しだけ違っていた。

常道反復を示すパターンは変わらないが、それだけでは終わらなかった、

アニメチックな愛嬌あるマチエールが草間の中で開花し始めたようだ。

強烈な造形力と同時に不穏なイメージは消え失せ、チェコの民族舞曲のようなリズムカルでウキウキするポルカへと転調したのかも知れない、

Polka dotsは生まれ変わる、草間彌生のアヴァンギャルドな美の化身はこれからも続くに違いない。

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