本屋に蜜の在処をさがしに

机の周りには読みかけの書物がいくつも散乱している、ハードカバーやらペーパーバックそして出版社からのPR誌と、どれもこれも中途半端のままだ。

読みたくて書店へ注文するも、栞は前半のところに挟まって弁当箱のように重なり合っている。

読破したときの気分……至福もあればその場から逃げたくなるような三文小説もあったりする。

喜びは別にあるのだ、物語に潜む数行のセンテンス、自分にとっての官能的な言葉をいつも探している。

飢えているのだ、言葉を、文字を。

毒を盛られた小説なんて何十年もお目にかかったことがない、それともこちらが気づかずにいるだけのことなのか。

活字から狂気と正気が見え隠れするくらいの本を読みたいのに、売絵ならぬ売本ばかりだ。

今の私の身体は、五感を感じることが出来ないくらい病んでいる、絶望的なほど。

救いは、書物から放たれる滑稽と不思議と驚異を待ち望んでいる。

感動なんて薄気味悪い、ケダモノたちが喜ぶ腐った肉片のようなものだ。

私自身がケダモノだから、それを一番知っている。

消えゆくものの微かな喜び、一度で良いから味わいたい。

 

この数ヶ月、友人、知人たちの不幸がいくつも重なり微笑というものがどんなものかも忘れてしまうくらい辛い日々だった。

虚しさが去来し、身体の不調は様々な幻覚を呼び寄せる、本に言いがかりを付けるのもその所為か。

その荒んだ気持ちを埋めるために本を探しに出かけた。

行きつけの本屋は既になく、仕方なく大きな書店へ潜り込んでしまう、図体は大きいがこちらが望むような書店はなかなか見つからない。

 

昔、渋谷の西武に”カンカンポア”というスタイリッシュな書店があった。

入口は狭くうなぎの寝床のような造りであったが、書棚にはこちらをワクワクさせるような書物が所狭しに置かれていた。

その狭い空間で何時間も立ち読みをし、注意されるかとビクビクしながら読んだこともしばしばだった。

必ずしもお目当ての本が街の中心街にあるとは限らない、街外れにある場合だってある、大手書店は売れ筋の本が書棚を占有し、他は誰もが知っている作家ものばかりだ。

最近はキャッチコピーよろしく手書きポップが主流のようで、平積みされた本の横にマンガの吹き出しのように書かれているのが目立つ。

そこには腹を抱えて笑うものや感心するようなポップが臆面もなく飾ってある、人目に付くことは大事だが書店はここまでやらないと売れ行きを伸ばせないのかと首をかしげたくもなる。

加えてポップの勢いは止まらず、そのハウツーものまで出ていると言うから商魂たくましい。

だが私にとってポップも売れ筋の本も必要ではない、未だ日の目を見ない倉庫の奥に眠る名も知れぬ本と出会いたい、そこには夜曲のような悦びと慈しみがある、ただ願うはそれだけだ。

 

これはあくまで私感だが、街の成熟度を表す尺度は本屋だと思っている。

その街がどんな街であるか、その街の住人の趣味嗜好がどんなものであるかが全てお見通しのような気がしてくるのだ。

まさに街の顔が書店で分かってしまう、故に本屋がその街にないというのは致命的にも思えたりする。そのような中で、今書店は端境期の時期に来ているようだ、小さな書店が消える中でメジャーな店舗がたくさん出来つつある、書店が増えていくのは歓迎だが、右へ倣えの陳列だけは勘弁して欲しい、それは郊外型ファミレスのように思えるからだ。

いろいろな形の書店があって良いはず、それがどこかの鉄道会社の駅舎のような四角四面の造りでは魅了されない、本を盛るには遊び心と色気の器があってこそ映えるというものではないだろうか。

 

街を散策しながらめぼしい書店を探したが、大きな書店以外見つからなかった。

その大きな書店で面白い雑誌を見つけた。

ブルータスのムック本、特別編集合本“本屋好き”という雑誌。

雑誌を開くと函館の蔦屋書店が見開きで紹介されていた、”わざわざ行きたい新しい本屋のカタチ”というサブタイトルが付いていて、その建物の大きさとデザインに驚いた。

蔦屋書展函館

ここの蔦屋書店は地域の公園をコンセプトにデザインされた書店らしい、外観は要塞のようにも見える、やはり北海道という土地柄もあってスケール感が違う。

オープンしたのは昨年の12月、オープンしてまだ1年も経っていないが人気は上々のようだ。

さらに注目すべきは子どもが遊べる空間が充実している、遊具に絵本というセットはさして珍しくはないがこの写真を見る限りその開放感たるや想像を超える。

代官山の蔦屋書店に始まったプロジェクトは、津々浦々に拡がっているようだ。

さらに目を見張ったのは海外の書店、ポルトガルの第2の都市ポルトにあるLivraria Lello(レロ書店)という書店、これが書店かと見まがうほど凝りに凝っている建築だ。

ポルトガルは財政面では困窮を極めいろいろ騒がれているが、書物に対する情熱は相当なものだと感じる、内部はまるで寛容の桟敷のようなアール・デコ趣で、このような空間で本を読む、それは贅沢というものだ。

当然の如く世界遺産に指定されたレロ書店、この書店を見たら函館の書店が小さく見えてしまうくらい圧倒的存在感に目がくらむ。

この美しい曲線の深紅の階段は“天国の階段”と呼ばれポルト市の観光名所にもなっているそうだ。

天国の階段……上り詰めた先には天使がいるのだろうか。

観光名所に興味はないが、これは別格だ、飛行機が乗れたらとつくづく思う。

雑誌にはもう1箇所紹介されていた、アルゼンチンはブエイノスアイレスにあるEl Ateneo書店、これも息を呑むほども美しい、贅を尽くしたオペラ劇場のようだ、ジェラシーしか湧いてこない。

このエル・アテネオ書店、やはり元は”Grand splendid(1919創立-オーストリア移民のマックス・グルックスマンによって建てられた)”という名のオペラやコンサートを上演する劇場だったとか、アルゼンチンという土地柄故さぞや色々な経緯があったのだろう、その結果として書物という鞘に収まるところ日本では考えられない見事な技だ。

世界の美しい本屋ランキング2位という話、ランキングが何番目かなんて関係ない、やはりあちらの人々は時間の楽しみ方が優雅だ。

これから、じっくりと時間を掛け優雅に勝るとも劣らない書店を探しに行こうと思う。

Livraria Lello2

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