浅草の朝日に酔う

ビルの隙間から東京スカイツリーが見えた、こういうものを眺めると足が竦んでしまう。

仄聞したところでは634という数字は旧国名を捩ったものとか、東京・埼玉・神奈川の一部を含む地域に因み昔の国名、武蔵国をイメージさせる数字にしたという。

東京タワーが何メートルか失念してしまったが、何れも高いところは苦手だ。

なぜに人は高いところを喜々として上るのか、臆病な者にとっては理解に苦しむ。

先日、そのツリーを横目に浅草を歩いた、浅草はこれで2度目。街外れにある靴職人のアトリエを仕事で訪ねたのである、この界隈は靴問屋が多く、革製品や靴墨の匂いがどこからともなく風に乗り鼻腔を通りすぎていく。

詳らかなものは省くが、靴問屋の謂われは皮革取締りの特権を得た1人の男の功績が靴の街を作ったと言われている、それも鎌倉時代より皮革産業の大拠点だったというから驚かされる。

皮革産業は徳川時代も発展を遂げ、明治維新後も営々と続き栄華を極めていった。

明治に入るとさらに靴工場を拡大し、中国からは3人の靴作りの教師を雇い、アメリカからは1人の製靴技師を招聘するという大規模な靴工場改革を行った。

だがその情熱も失敗する、鎌倉時代より得ていた特権が別の人間にすり替わったのである、巨費を投じた事業は頓挫し監督権も失い男の野望は潰えてしまった。

当時富の象徴とも言える千坪以上ともいえる広大な邸宅も人手に渡ってしまった。

1代で皮革事業を興した男、その夢は儚くも消えてしまったが、今日の浅草の礎はその男の力によるものであろう。

 

最初に訪ねた浅草と今回の風景がどのくらい変貌したか分からないが、さぞや桑海の変であっただろう。

浅草には全く縁が無い、この街で浮かぶのは浅草寺と三社祭とかっぱ橋の道具街程度、却って外人の方がこの辺り詳しかったりする。

足を延ばせば上野にぶつかる、ここには絵画やコンサートを聴きに何度も行く機会があるのになぜか浅草まで足が向かないのだ。

強いて言えばざわざわ感が苦手なためだと思う、人混みをかき分けながら街を歩くには少し勇気がいる、そんな些細な理由からこの浅草を遠ざけてしまったのかも知れない。

 

その浅草で、何十年も昔のことだが思いもしないことを経験した。

今回は少し毛色の違う話を書いてみようと思う。

番組製作会社のディレクターから突然連絡が入った、”XXさん浅草行ったことないでしょう”と言われたのだ。

あまりにもその言葉が唐突だったため、言葉に窮してしまった。

彼の言葉通り行ったことはない、また行く理由もなかった。

強引にも思えるほど且つ積極的に彼は浅草へ誘うのだ、彼の住まいも近くにあって浅草の魅力を電話で長々と話すのである。

”料理好きじゃないでかXXさん、浅草に旨いおでん屋があるんですよ、大多福という。それと神谷バー、聞いたことあるでしょう? ここは明治にできた日本初のバー、食べた後行きましょうよ是非”と、彼は早口でまくし立てた。

根負けし、渋谷から浅草へ2人で向かった。

電車内でも浅草のあれこれを説明してくれのだが、実は殆ど聞いてなかった。

熱い言葉は正直骨が折れる、毎日完徹の中で余りあるエネルギーはどこから来るのかと不思議に思えた。

ディレクターはカルチャーものやドキュメンタリー番組が主で、何度か一緒に創った経験がある。

あうんの呼吸というか、感覚も似ていて2人ともテレビ向きというより実験映画を好む性格故、イメージ作りにも念入りで嗜好がピタリと合って非常にやりやすかった。

浅草の駅に着き、彼のリードで目的の場所”大多福”へ向かう、木枯らし吹く夜の街を歩くのは身体に堪えた。

夜だったので判然としないが確かのれんは朱色だったと記憶している、その朱色地に白抜きのお多福の絵が描かれていた。

のれんを潜るなりざわめきが聞こえてきた、店の中は人人で埋まっていた。

大多福の主が言う”ごめんなさい、こんな具合なんで一時間ほどしたらまた来て下さい”と、感情のない声が我々に響いた。

取りあえず予約をし店を出た、彼は混むことを予想していなかったようだ。

仕方なく時間を潰すため他の店を物色する、しかしどこも混んでいてなかなか見つからない。

しばらく歩くとがら空きの小ぢんまりした店を見つけた、まるで屋台のような作りで寒々とした感じが滲み出ていた。

店内は4人入れば満杯と言う具合で、とにかく寒さよけに入ったのである。

L字型カウンターから見える品書きもほんの数点、身体を温めるには日本酒が合うが、取りあえずの1杯としてビールを頼んだ。

足下からは底冷えするような風が容赦なく吹いていた、酒の話題は色香が一番だ、だが彼は仕事の話題に終始した。

そこへ40代前半と思しき男が店に入ってきた、その男は店主と馴染みのようで競馬の話で盛り上がっていた。

“XXさん、面白い番組作りましょうよ、レーティングなんか気にしていたら何も作れませんよ。”ディレクターは大きな声で私を説き伏せるように話しかけてくる、仕事の話は酒場では話さないのが私の持論。

彼の言葉は嬉しかったが、”まあ、いつかそういう日が来ると良いね”と少し冷ややかな言い方で言ってしまった。

気持ちの内は燻り続ける火種が眠っている、いつでも着火の用意は出来ている、だが飲み屋であからさまな話は好きではない、飲み屋の鉄則は脳天気な話が一番良い、誰も傷つけないから。

身体も徐々に温まり酔いも幾分上がってきた頃、斜め横に座ったあの男が声を掛けてきた。

”お兄さんたちの話、面白いね。一緒に呑もうよ、親父、お兄さんたちにビールあげてやって”と言い出した。

その男が右手を上げたときシャッツの袖から入れ墨が一瞬見えた、土地柄いてもおかしくない、と思った。

すかさず、私はディレクターの足を軽く蹴り、合図を送った。

ディレクターは蹴られた意味が分からなかったのか、XXさん痛いじゃないですかと言い寄る、仕方ないので鞄からシステム手帳を取り出し蹴った理由を書いた。

納得したディレクターは愛想良くその入れ墨男のもてなしに満面の笑みでコップを上げ挨拶した。

その時頭に浮かんだのは、恐喝の2文字、呑んだ後でいろいろ締め上げられるのだろうと、そんな浅ましいことしか浮かばなかった。

そして3人の妙な盛り上がりの時間が過ぎていく、2人ともすっかりおでん屋大多福のことは忘れてしまっている。

男が店主に声を掛けた”親父、お愛想!いやぁ今日ほど酒が旨い日はない、お兄さんたち有り難うな”

これで帰れるなと安堵したとき、名刺が欲しいとせがまれた、やはりそう来たかと覚悟した。

覚悟とは、恐喝でしかない。躊躇しつつ渋々名刺を差し出した、嬉しそうな顔で男は名刺を受け取ると”どんな番組作っているの”と訊いてくる。

適当に応え、その場から早く出ようとそればかり考えていた、もし絡まれたら……覚悟は出来ていた、まだ若かったし2人でならやれるとそんな愚かなことを思っていたのだ。

見た目はその筋には全く見えず、言葉は下町言葉で歯切れの良い中年の男、強面には見えなかった。

お礼を言い、店を出て帰ろうとしたとき”待ちなよ、まだ帰るには早い、お兄さんたち浅草初めてだろう。じつくり案内するから俺と付き合いなよ”、この言葉から何を連想するだろうか。

脅ししかない、どこかの事務所へでも連れて行かれ、身ぐるみ剥がされ身体にはアザが……そんなことしか浮かばない。

言われるままにその男の後ろを歩いた、時計は9時を指していた、浅草のメインとも言われる新仲店通りを歩いていると、男の顔を見るなり誰もが直立不動のような挨拶をする、心臓が張り裂けるようだった。

よほどの大物あるいはこの浅草を根城とした組織の頭目かと、そんなことが頭を過ぎる。

とんでもない男と出会ってしまった、どうすれば逃げられるかそればかり考えていた、それはディレクターも同じだった。

歴史的建造物の前を通ればその謂われを解説する、この男は一体何者なんだと訝るしかなかった。

そして男は1軒目の店に入った、今で言うラウンジバーのような雰囲気の店、場所柄おしゃれとは言えない。

そこでスコッチを飲む、30分ほどだろうかすぐまた席を立たされ次の場所へと移動する。

次は洋食屋、そこでいくつか男はメニューも見ずにオーダーしていく、次々と運ばれてくる料理、既に腹は満たされていたのだ。

しかし勧めてくる、食べないわけにはいかない、これが最期の食事かと思いながら胃袋へ強引に落としていくのだった。ここもまた1時間と居ない、すぐまた次へと向かう、まるで生け贄のように足は重く、しかし顔は笑みで繕っていた。

3軒、そして4軒5軒と続いていく、全て支払いはキャッシュ、付けではない、何が何だか分からないまま時は過ぎていく。

そして6軒目の中華飯店、椅子に座り呆然と我々は座るだけ、元気なのはその入れ墨男のみ。

男が言った”もう遅いし、これが最後、さあ思い切り食べて”食べられるわけもないのに勧めてくる、これはグァルティエロ・ヤコペッティ監督の残酷映画を凌駕するくらい恐ろしく、腹は膨らみ下を向くのが苦痛でしかなかった。

時計の針は1時半を指し、帰るにも電車は既に止まっていた。

“今日は遅くまで付き合ってくれて本当に有り難う、お兄さんたちと出会えて嬉しかったよ。浅草って良いところだよ、それをお兄さんたちに教えたくてさ、少し強引すぎたかも知れないけれど。また是非忘れないで訪ねてきて欲しい”

帰れる、だがタクシーで帰れるほど財布には入っていない、ディレクターは歩いて帰れる程の距離に住まいがあり自宅にと勧めてくれたが早く1人になりたかった。

中華飯店を出ると“これ少ないけど、タクシー代持って行って”驚く、なんという人だろう、なぜこんなにも我々に親切にしてくれるのだろう、その歓待ぶりに礼の返しようがなかった。

誘われたとき、悪意に満ちた男が我々を恐喝し金銭をふんだくることしか想像してなかった、そんなことしか思えない自分がさもしく、げすで卑劣な、それこそこちらがゆすりたかりを地で行く人間なんじゃないかとさえ思ってしまった。

男に別れを告げ、深夜の街を歩いた。

タクシー代として頂いたお金は2万円、2人で分けろと渡してくれたものだった。

ディレクターは、サウナで時間を潰し、始発の電車で帰ることを提案したくれた。

2人とも興奮冷め止まずの状態で、サウナの休憩所に於いてもなかなか寝付けることが出来なかった。

朝日が昇るってくるのに時間は掛からなかった、身体も洗うことなくそのままサウナを出た、その時目にした冬の朝日がとても眩しく、清々しい心地で朝を迎えたことにどこか後ろめたい気持ちがあったのは言うまでもなかった。

システム手帳に、鉛筆で書いた男の住所と名前がうっすらと残っている、彼は元気だろうか……。

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