赤瀬川が消えた

今朝、新聞で赤瀬川原平 (77歳)の訃報を知った。

先日、コラムで書いたばかりだった、好きな作家や芸術家が旅立つのは胸を締め付けるほど寂しい。

今年に入って、赤瀬川原平の展示会がやたら多いのに気づく。

又の名を尾辻克彦、何れも同一人物である。

画家と作家を行き来するアーティスト、こちらから見ればなんと欲張りなと言いたいぐらいの才能の持ち主、羨望の的の一言に尽きる。

また赤瀬川には6歳上に兄がいる、赤瀬川隼、小説家として名を馳せる。

兄は直木賞”白球残映”、弟は芥川賞”父が消えた”と兄弟揃って小説界の金字塔を打ち立ててしまうのだから、天賦の才としか言いようがない。

 

芥川賞の弟、昨年体調を崩し入院していたと風の便りで聞いたが……まさかが当たってしまった。

今年の赤瀬川原平の露出度は高く、2月の”直接行動の軌跡展”や”ネオダダ展2013-2014”等のグループ展に出没し、その頻度が余計に胸騒ぎを起こさせてくるのだ。

実のところ当人は元気だと、否そう思いたい、若い頃の毬栗頭に張りのあるエラがこれまでたくさんの作品を制作し、そして小説も執筆してきた赤瀬川怪人。

10数年前には老人力という新たな言葉を造り、ある種のカリカチュアライズで時代を切り取り、世の憂いをユーモアで切り取っていく、その目線の鋭さに驚かされる。

老人力にはこんな言葉が書かれている、”そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。

というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。

例外はない。

時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ”と。

 

この方はとにかくまめだ、何をするにも徹底している。

今回、”町田市民文学館ことばらんど”で催されている”赤瀬川原平×尾辻克彦-文学と美術の多面体展”の展示物を見て再確認したくらいだ。

展示は5章で構成され、”第1章ニラハウス”は路上観察学会の友、藤森照信建築史家のアドバイスを取り入れ建てた模型やデザインスケッチや写真が紹介されていた。

ニラは赤瀬川のアイデアではなく、知らずの内に藤森先生が屋根に取り付けてしまったのだと微笑ましいエピソードも添えてあった。

第2章はあの有名な “千円札裁判以降”、自筆で拡大模写した”復讐の形態学/殺す前に相手をよく見る”

宰相伊藤博文の模造千円札に自前のポットを包んだ”梱包作品”、紐の結び方が実に見事でかなり完成度の高い作品だ、紙幣が包装紙に包まれる様は腹を抱えるほど笑えた、赤瀬川の絶妙なエスプリとウイットに乾杯である。

他に燐寸蒐集のコレクションが秀逸で、よくもこんなに集めたなと思えるほどに色取り取りの燐寸が化粧箱にきっちりと収められていた。

そして芥川賞(父が消えた)を受賞したときの懐中時計、想像していたよりも小さかった。

燐寸コレクションを通じ、赤瀬川のこだわり体質がはっきり見えた。

自身と娘の生活をテーマにした”肌ざわり”で中央公論新人賞を受賞したのが作家としての始まりだった、興味を引いたのは”父が消えた”の草稿だった、B5版の用紙に顕微鏡で覗かなければ見えないほどの文字で几帳面に書かれている、文字は性格を表すと言われているが、かなり繊細な人物であることが窺われた、因みに原稿用紙に書かれた原稿は見つかってないということだ、几帳面な性格でも時にそんなポカをやることが分かりホッとした。

第3章では“櫻画報”では朝日ジャーナルと懐かしい青林堂が刊行していた“ガロ”が展示され、当時の風潮をパロディ化した漫画で埋め尽くされていた。

インターネットもない時代に世間をアッと言わせるジャーナリズム精神は、赤瀬川の真骨頂と言える。

第4章は”尾辻克彦の誕生”では高校時代に使った絵の具箱と筆が展示され、よくも捨てずに取って置いたなと感心するも、几帳面な性格がそうさせるのだろう。

第5章“カメラのまなざし”では、カメラのイラスト原画のほか、ライカ同盟や猫の宇宙、超芸術トマソンの資料が事細かく紹介されていた、赤瀬川と言えばカメラ、カメラは赤瀬川と言うくらいカメラ好きとして有名だ。

路上観察学会では、そのカメラが武器となり仲間たちの南伸坊や松田哲夫たちと共に意味不明な”モノ”を被写体として撮り”超芸術トマソン”という芸術上の概念までぶち上げ、無用の長物にこそ芸術の存在があるのだと豪語しながら街を闊歩していた、とにかく人の気づかないモノに面白がる精神は赤瀬川の得意とするところだ。

以前、新聞記事にこんなことが書いてあった。

”世の中とは関係なく、いくらでも想像や妄想を広げられる小さなブラックホールを隠し部屋のように自分の中に抱えておく生き方もある。現実の世界とは違う内面での価値観です。それだけで生きていくことはできないから、それを隠し部屋のように持っておく。まあ俗にいうと趣味ということになるかもしれませんが、生きる助けになると思いますね”と。

妄想や想像は誰しも持っていると思う、但しそれが強いか弱いかが勝負の分かれ道、現実の世界から逃避できるほど日本人は隠し部屋を持ってないように思われる。

妄想を留めておく場所が無いと、人間は牙をむきだし超えてはならない行動へ走る、それが今の日本ではないだろうか。

できればなにびともブラックホールを持てることができたらこんな嬉しいことはない。

 

今回、町田で行われた赤瀬川原平×尾辻克彦-文学と美術の多面体展、これまで見てきた展覧会とは比べものにならないほど堪能し、腹の底から笑えた展覧会はなかった。

次は千葉市美術館で”赤瀬川原平の芸術論展”が10月末より始まる、そこで何が登場するのか楽しみだったが、その芸術論展が遺作展になろうとは夢にも思わなかった、心安らかにと祈るだけだ。

 

 

 

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