道化師は人の影、そのものだ

新宿にあるパークタワーへよく出かける、それも自転車で。

窮屈な満員電車に揺られながら出かけるのはしんどい、その点自転車は神経を使わなくて済むから気楽だ。

自転車に乗るようになったのは、大分前に地下鉄の永田町で乗り換える際、身体に異変を感じ大変な思いをしたことがきっかけだった。

その異変はしばらく続き、恐る恐るクリニックの扉を叩く、ドクターは心の病という診断をいとも簡単に下したことに起因する。

今で言う”パニック障害”である。

ドクターの配慮に欠けた診断に大いに失望し、爾来地下鉄での利用が出来なくなってしまったのだ。

あれから数十年、あの忌まわしいヤマイはなんとか脱出することができたが、一度すり込まれた脳はくせ者で時に当時の記憶を呼び起こしてくる、実にやっかいだ。

それは仕事でも過大な影響を及ぼす、地下鉄しか利用できない場所にはバスで迂回し、距離が足らなければ歩く、こんな些末なことを何年もしているのである。

仕事関係者からは冷笑を含んだような顔で見られたこともしばしばだった、時間厳守をしているのにも拘わらず嘲笑の目で見られるのにはかなり閉口した。

地上を走る電車は平気だが、高層ビルのエレベーターや出口の見えないトンネルは全くのNG、従って海外の仕事も全て断っているという現状だ。

情けなくなるが、仕方ない。

それでも良いこともある、道に詳しくなる、下町は未だ走破していないが入り組んだ路地をするすると走り抜け見たこともない風景に出会ったときの爽快感は得も言われぬ悦びだ。

 

前置きが長くなってしまった、それで自転車というわけである。

拙宅より目的の場所はロードバイクで20分ほど、電車よりも速い、自慢するほどのものでないがなぜか得した気分になる。

そのパークタワーの階上にあるインテリアショップに足を運ぶ、日頃の憂さを解消するために出かけるのだ。

目的の買い物を済ませ、しばらく目の保養というか逸品物がないかと店内をうろつくのである。

このインテリアショップ以外にも楽しめる所があり、あっという間に時間は過ぎていく。

美術館や博物館と言った趣で楽しめるアミューズメントタワーと、自分では思っている。

 

エスカレーターで1階に降りると、出口近くのデリカテッセンがある。

今回、知人へ贈りものを買うために入った。

 

KC3Z0066

 

見慣れた風景なのだが、入る度に気になる物がその店内の壁面の至る所に飾ってある。

彫像である、天使のような、あるいはクラウンのような意匠を凝らした造形物。

ガラスケースに入っている総菜よりも塑像の方にどうしても目が行ってしまう、どこか妖しく妖艶な像に見ほれる自分がいた。

アーティスティックな彫像物の正体を知りたいのだが訊くに訊けない、そしてようやく訊けるチャンスが巡ってきた。

この彫像を造ったのは、女優の結城美栄子さんと教えて頂いた。

結城さんには失礼だが若い方たちにはピント来ない名前だろう、元々彼女は劇団”雲”に所属していた舞台女優だ、その合間にテレビなどにも出演し、シリアスなものからコメディまで八面六臂の活躍をしていた方だ。

いつだったか忘れてしまったが、テレビ番組に出演した際、紙粘土で造った人形を見たことがあった、その時も日本人離れしたフォルムに感心し、職人というよりアートを強く感じた。

この数年、彼女をメディアで見る機会もなく女優業は辞めたのかと思っていた。

女優業を辞めたかどうかは分からないが、活躍の場が陶芸や彫刻家で手一杯と言った方が良いのだろう。

スタッフは贈り物を箱に包みながらこう言った、この像のテーマは”道化師なんです”と、多分包装してくれた若いスタッフは結城美栄子の顔を知らないと思う。

客に尋ねられたら”結城美栄子”と応えなさいと上司に言われている、そんな感じが言葉の端々から受け取れるのだった。

包装紙も道化師の絵が描かれていた、それも一気に細い線で描かれたラフなタッチ、色は黒一色だ。

その才能に油断ならないものを感じ、そしてため息が出た。

彼女のHPを見ると、活躍の場に驚く、銀座の画廊はもちろんのこと、デパートでの個展、さらにはニューヨーク、そして地方の美術館や東京都現代美術館等々、作品のお披露目は数限りない場所で行われていた。

 

テーマが道化師……道化師は人の影そのものだ。

何故かフェデリコ・フェリーニの”フェリーニの道化師(フェリーニがテレビ局RAIの依頼で監督した、特異な小品。

イタリアでは1970年の12月25日にテレビ放映され、同月27日から劇場公開された)”が浮かんだ、この物語はドキュメンタリーと幻想が複雑に入り組む、サーカスと道化師に捧げた一大オマージュ、フェリーニ50歳の時の作品。

私自身も少し関わった”私は映画だ-夢と回想(フィルムアート社)”の著書の中でフェリーニは語っている。

”私が道化師というとき、私はオーギュストのことを思い出す。

実際のところ、道化師の2つのタイプは白い道化師とオーギュストだ。

白い道化師は優雅、気品、調和、明暗を代表するが、これらの性質は理想的で、ユニークで、疑問の余地のない神性として道徳的に位置づけられている。

だから、オーギュストにはこれらの否定的側面が持たされる。

というのも、こんなふうに白い道化師は母、父、教師、芸術家、美しいものに、つまりつくりあげねばならないものになるからである。

オーギュストはズボンを汚す子ども、この完璧さに反逆して酔っ払い、床の上を転びまわり、はてしなく抵抗する子どもだ。

白い道化師とオーギュストは教師と子ども、母親と幼い息子、そして輝く剣を持つ天使と罪人でさえある。

つまり、彼らは人間の2つの心理的側面である—1つは上昇志向の、もうひとつは下降志向の—2つに分かれた、分離した本能である”と。

ある心理学者が”人間は本能が壊れた動物だ”と揶揄した記述があったが、この2つのタイプは異なるように見えるが、いずれも人間の本質をあぶり出している。

我々がサーカスなどで見る道化師はオーギュストに近い、だがあの哀しそうな目つきをする時、それはまるで自問自答しているように思える。

故に、人は道化師という虚像に惹かれそして同一化し愛しい存在であることを再確認するのだ。

 

パークタワー1階にあるデリカテッセンに飾られた道化師、柔らかな光が道化師を射している、大きさは幼児ぐらいだろうか。

その彫像は白い道化師なのか、それともオーギュストなのかと邪推な想像をしながら店を後にした。

きっと結城美栄子さんはフェリーニのことなど関係なく、思いのままに粘土を捏ね作り上げていったのだと思う。

結城さんは張りのある声が特徴だ、鼻に抜けるような声で”いい加減にして頂戴、あなたにとやかく言われる筋はないわよ”って言われそうだ、否それとも微笑を降り注ぐだろうか。

今年4月に”KARASU カラス展”が銀座の画廊で催されたとウェブ上で知った、惜しいことをした。

次回は是非とも彼女の作品を直に見てみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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