嬉しい知らせが飛び込んできた、昨年コラムで紹介したドキュメンタリー映画”まちや紳士録”がサントリー地域文化賞を受賞したとTV番組制作会社のK氏よりメールが届いた。
受賞理由は地域の文化遺産である町家を一軒でも多く残すため、独自のファンドシステムで保存・再生し、暮らしの中で活用している点が高く評価されたとのこと。
当方、賞には全く縁の無い人生を送っているが、知人の受賞の知らせに触れ我事のように嬉しい。
今国会でも地方分権改革担当が廃止され、代わって専任の国務大臣”地方創生担当大臣”が置かれ、初代の地方創生大臣が誕生したばかり。
この動きを見ても日本が地方再生に躍起になっていることが明らかだ、さりとてどんなに踏ん張ったところで再生への取り組みの成果は一夜にしてはならずである。
正直、今頃になって地方地方と犬の遠吠えのように騒ぐのも奇異な感じがする、町が疲弊し始めたのは”泡が弾けた”後、それも雪崩のように日本列島は転げ落ちていった。
そして、生まれたのは格差社会、それが今もなお強力な粘着力となって剥がれないでいる。
一昔前、若者たちが就職回避の条件に3K(きつい・汚い・危険)という言葉があった、それにより就労者を確保できず求人難倒産に追い込まれるという企業も出たくらいだ、その一方で女性たちは結婚条件としての3K(高身長・高学歴・高収入)を高々と掲げ、身の程知らずのレディが泡の時代を一層加速させていた。
そして今、高学歴でありながらも職に就けないという深刻な状態が後を絶たない有り様だ。
豊かさとは一体なにか、考えれば考えるほどトンネルの出口は見えにくく茫洋とした風景しか浮かんでこない。
そのような背景の中で、地方再生のヒントとも言える作品が受賞したことは大きいと言える。
地方が生まれ変われば人は自ずと集まる、働き手が増え、町や村が生き生きと昔のように蘇ってくるのだ。
魅力的な町にするには、ハードの器などではなく、そこで生まれ育った人たちの連綿と息づいてきた知恵や歴史的遺産をどのように活用し形にするかにかかっている。
町の財産はモノやゆるキャラなどではなく人間なのだ、ということをこの映画は知らせてくれた。
地方の人口はますます加速度的に減少している、それを繋ぎ止めるための方策として市町村合併という苦肉の策が生まれだが、功を奏したとは言えない。
自治体の施策を見ていると、まるで西洋医学の施術の如く対処療法が依然として行われている、効き目はあるが完治ではない、病巣を究明するには漢方薬のような息の長い根本治療が必要なのだ。
10月23日、代官山のヒルサイドプラザホールで”まちや紳士録”の上映会が開かれた。
コラムを書いたとき映画は未見だったため、プロデーサーのK氏にお祝いの言葉をと思っていたからちょうど良いタイミングであった。
映画鑑賞後、暮らしとまちを考える会が催され、ゲストトークとして地域雑誌”谷根千工房”の元編集人であり、ノンフィクション作家の森まゆみさんを迎え、建築家の元倉眞琴さんの進行でトークショーが始まった。
映画の内容は先のコラムで書いたが、そのあらましをもう一度紹介しておこう。
高度経済成長の波に押され、効率優先のスクラップ・アンド・ビルドの思想のもと、壊されてきた多くの伝統的な町並み、その中でかろうじて残った町並み保地区のひとつ、福岡県八女市八女福島地区。
この地に越してきた監督と妻がそこに暮らし見たもの……そこには現代日本から失われつつあるさまざまな豊かさが残っていた。
1991年、大型台風による被害で空き家になっていた町家の内一棟が取り壊されたことに危機感を覚えた住民有志が、”八女ふるさと塾”を結成し、町家の保存活動やまちづくりに乗り出す。
ここ八女福島には、これからの日本にとって大切な何かがあると監督は言う。
外からの景色を撮るのではなく人口7万人、百年以上の町屋が並ぶ八女福島の内側から何が見えるのか、それを撮りたいとカメラを回し始めた。
街並みを遺すために監督と町の住人たちの奮闘ぶりが始まる、驚きと発見が交差する365日の記録である。
町の保存と言えば京都に倣うところが大きい、鰻の寝床と呼ばれる古い民家をゲストハウスやカフェなどに改装し、当時の風情を活かしつつ一新していくあたり先見性ある京都人の粋さが垣間見える。
この試みは京都を発信基地として全国に広まりつつある、そのひとつが八女福島であり、古くて新しい”まちや”の顔があちこちの地方で見られるというのは嬉しいことだ。
願わくは観光にならないことだ、物珍しさで人は集まるがそれもいっときだけ、地元の人たちが活用しなければ町は元の姿に戻る、かもしれない。
映画が終わり、お二方のゲストトークが始まった。
進行役は建築家の元倉眞琴さん、そのゲストトークに参加した人数は約30名程だったと思われる。
代官山で”暮らしとまちを考える会”と言うのはいささか無理があると感じた。
福岡県八女市とおしゃれな代官山(昔は蔬菜類を主とした農家の集落地帯)とでは、あまりにも現実離れしているのではないかと思ったりした。
元倉眞琴さんはヒルサイドテラス・アネックスを設計した方で、芸大の教授もしているということだ。
森まゆみさんと会話が始まるのだが、なぜか会話がかみ合わない、教授はあまりにもアカデミック過ぎて、一方の森さんは谷根千工房の編集者と言う事もあり実に事細かに土地にまつわる話をかみ砕いて話して下さった。
町作りは抽象では無く具体に執しなければならない、それが鉄則だ。
アカデミックな話は象牙の塔がよろしいようで、と言いたくなるくらい何も目新しいものが無かった、見かけは良くても実がないとこちらに迫るものはない。
教授は八女市のまちやと代官山の比較論を論じていたが、先ず住民の民度が違う。
失礼な物言いになるが、生活レベルは代官山の住民と八女市とでは雲泥の差である、教室で生徒たちと未来像を語るのであれば納得もする、だが、テーマは”暮らしとまちを考える会”、暮らしの実体を分からずして自分流のロジックを語ったところでそれは自慰行為に過ぎない。
目線は足下から始まるものだとだと思う、そもそも町屋は、商人や、職人などが居住し業を営む建物に始まる。
どんなに立派な建築物を作ったところで、その建物は露地物で無くビニールハウス栽培のような味わいの薄い薄っぺらな野菜のように思えてしまう。
これを企画したのは知人の制作会社のK氏……だと思うが、折角の映画がコンセプトから離れていくのには忍びなかった……代官山は都内で唯一散歩する最高の場所と思っている、同潤会アパートがあったころから好きな町だ。
近くには西郷山公園もあり、住まいには申し分ないほどの町である。
しかし、地方を語る上で、代官山という選択はないと思った。