仕事に行き詰まると、PCのメニューバーにブックマークしてあるラジオストリーミングサービス” Radionomy(ベルギーに拠点を構えるインターネットサービス企業)”をクリックする。
そこにはChill-out・Classic・Country・jazz・Electronic・Latin・Metal・Urban・World……etc、あらゆる曲が24時間流れていて、音楽ファンには垂涎の的。
特に耳をそばだて聴くものと言えばJazz、昼夜関係なく聴いている。
Jazzも一括りではない、カテゴリーに分類され、Acid Jazz(1980年代にイギリスのクラブシーンから派生したジャズで、ジャズ•ファンクやソウル•ジャズ等の影響を受けた音楽のジャンル)、Free Jazz、Classic Jazz、Smooth Jazz、Jazz、Bebop、Jazz Rock、Swing と広義に渡っている。
ネットラジオはRadionomy以外にもたくさんあり、ジャズに特化したラジオ局もあるが、RadionomyのClassic Jazzが殊の外和ませてくれる。
そんな中、アルトサックスのスローなテンポで始まる曲目に耳をそばだてた、少し掠れた女性アーティストの声に睡魔も飛んで行きそうなその声質に惹かれていった。
外は薄暮時に差し掛かる頃だった、うすぼんやりとした感覚の中で一層眠気が襲う時間帯である、ついボリュームレベルを上げてしまった。
曲目は”If I’m Lucky”、ヴォーカルはメロディ・ガルドー、初めて聞く名前だった。
この曲は過去にペリー・コモが歌っていた小品、スタンダード曲とまでは言えないが聴けば聴くほど味わいのある旋律でどこか侘びしさが漂う曲だ。
カバー曲として様々なアーティストたちが歌っている、カーメン・マックレー、ジョニー・ハートマン、何れも同名の曲が入っているCDを持っているが、メロディ・ガルドーの声は彼らを凌駕していると、思う。
詩は恋歌で至ってシンプルそのものだが、彼女から発声されるトーンの襞は煌々と闇夜に照らし出す月明かり、やわらかい光の放射、オレンジ色とも黄色ともつかない色彩のように感じられた。
それもそのはず、メロディ・ガルドーを取り囲む中心プレーヤーは7月に亡くなったベーシストのチャーリー・ヘイデンだ。
If I’m Luckyは” Sophisticated Ladies”のアルバムの中に収められたコンピレーションアルバム。
ヴォーカリスト6名の中にSophisticatedにはふさわしくない人物、名前は控えるが、チャーリー・ヘイデンの演奏と言うことで鞘に収めることとしよう。
チャーリー・ヘイデンはかなりの気むずかし屋として知られている、当時骨董通りにあったBlue noteで聴いたとき、まだ店内が禁煙になってないにも拘わらず、ヘイデンの一言で店内は禁煙の箝口令が敷かれてしまった。
それを聞いたときは、一瞬気分を害したが2度と無いチャンスに今更おめおめと帰るわけには行かなかった。
通常このようなライブハウスは人の熱気とガヤ感で満たされるものだが、この日だけは特別だった、誰もが息を凝らしてヘイデンのベース音に聴き入っていた。
ヘイデンはただのベーシストではない、トータル・ミュージシャンとしての活動は言うに及ばず政治的色合いの濃い曲目なども取り入れたりする。
中でも異彩を放つのはリベレーション・ミュージック・オーケストラ、これはスペイン市民戦争をテーマとしたヘビーな曲だがドラマティックで何かしら心に響く音楽だ。
そのような鬱々とした演奏をするかと思えば、叙情的で美しく流れるような曲もある。
某レーベル会社の代表である友人からヘイデンのCDを戴いた、冒頭に書いたSophisticated Ladiesである。
戴いたというよりこちらからお願いしてもらったと言うのが正しい、どうしてもメロディ・ガルドーが歌う、If I’m Luckyを聴きたかったからなのだ。
昔から悪い癖で欲しいと思うとその日に手に入れたくなる性分、ネットやCDショップなど待っていられない、迷わずその友人に連絡を入れ当日入手した。
弁解がましくなるが、その悪癖は音楽に限っての話だけであって、それ以外のものは辛抱一筋である、語るに落ちる前にこの話はこれ位にしておこう。
メロディ・ガルドー、29歳。
彼女の人生は波乱に満ちている、19歳の時、自転車で帰宅する途中壮絶な事故に遭う、信号無視のジープに轢かれ生死の境を彷徨うほどの重傷を負った。
その時の模様がイギリス紙のThe Mail On Sundayに載っている。
“地面に倒れるときに、想像を絶する、血も凍るような音を聞いた。
高い悲鳴で、ある意味、激痛の波より恐ろしかったぐらいでした。
そして、それは私の声だと気づいたんです。
私自身が叫んでいました”とメロディはある種冷静とも思えるような言葉を吐露した、生命の危うさを味わったというのに。
病院に運ばれ意識を取り戻したとき愕然とする、メロディの下半身はマヒし感覚がなかった。
骨盤は打ち砕かれ、頭部損傷による短期記憶障害、会話もままならぬ状態に陥ったという。
メロディは寝たきりの状態で1年間過ごすこととなる、希望は絶たれ絶望の淵へと追いやられてしまった。
快復の兆しは少しずつであったが、光線・聴覚過敏症を患いサングラスを欠かすことができない身体になってしまった。
聴覚過敏症から引き起こされる前後の音の不協和音、それら雑音を回避するための機具を耳に装着している。
いまだ骨盤の痛みは消えず、杖は片時も放せない。
事故時に遭遇した短期記憶障害が時折襲うという、”シャワーに入って何をしたらいいのか分からなくなることがある。
シャワーから出たら、身体を洗ったのかシャンプーを使ったのか覚えてない。
歩き方は3度覚えた”と、健康な肉体から一瞬にして全人生の自由を奪われてしまったメロディ・ガルドー。
しかし、彼女はその病に屈することなく立ち向かっていった。
仮に、己自身に降りかかったとしたら前向きに生きていくことができるだろうか、想像すらできないほど落ち込み人を恨む人生を歩んでいることだろう。
彼女は歌以外にも作曲の才能もあった、そのきっかけを作ってくれたのはリハビリを担当する医師、その医師が音楽セラピーを勧めてくれたことで曲を書き始めたのだという。
偶然とは言え、”もし私の運がいいというのなら”がちらりと見えた。
生まれながらの才能はここで開花する、しかし短期記憶障害が禍することからテープ・レコーダーに録音し、忘れないために記録に留めておくという。
当たり前のことが当たり前でなくなるということはどういうことか、日常の暮らしもままならないというのに彼女はめげずに一歩一歩目的のものに向かって歩んでいる。
彼女の歌う姿を見て、重度な障害を持っているとは思えないほどメロディの唄声は人を優しく包み込む強さがあり、そしてその声にうっとりとし魅了される。
たまたまRadionomyから流れて来たメロディ・ガルドーのIf I’m Lucky、訳せば”もし私の運がいいというのなら”だ。
ひとつも運がいいとは言えない、だが彼女はカバー曲としてこの曲を選んだ。
中身は恋のせつなさを歌ったもの、誰もが1度や2度恋に溺れ見自分を見しなうことがある、彼女はそんな恋をしただろうか……。
“もし私の運がいいというのなら、あなたは言ってくれるはず、気になり 私たちが決して離れることはないと。
もし私の運がいいというのなら、これは決して軽はずみなんかじゃなくて 初めから永遠の恋のはずよ。
もし私の運がいいというのなら、月が輝き まわりは昼のように明るくなるわ。あなたは私の手を握り、理解してくれるの 私が言えないことを。
もし私の運がいいというのなら、 いつかどこかで、 あなたが私にキスし、 二人で抱きしめ合うの。その時には 私がいままでに 夢に見たどんな願い事も 叶うのよ。
もし私の運がいいというのなら、 やり遂げられるわ、 あなたとずっと一緒に”
不慮の事故がなければ……人生に”もしも”という言葉はない、だから面白いのだ。