食の安全という神話、そして鎮魂@オーガニックEXPO 2014

11月中旬、ビックサイトに於いて” BIOFach JapanオーガニックEXPO 2014”が催された。

 

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このイベントに毎回招かれ時間の許す中で出かけている、この展示会は2001年にスタートし、世界6都市で開催される有機製品専門の展示会。

タイトルが示すように、環境・身体に負担を与えないオーガニック製品(食品・酒類・化粧品・衣料・雑貨) 等々を展示し、プロモーション(バイヤー・一般消費者)する展示会、スタートはドイツが嚆矢である。

毎年行っている訳でないのでなんとも言えないが、今年はオーガニックEXPOの展示会の流布が認知されて来たのか来場者は相当な数であった。

原発事故以来、食への感心はますます高まっていく、なにびとも安全な食べ物をと願うのは当然のことと言えるかも知れない。

自然食品と呼ばれるスーパーマーケットが東京に登場したのは半世紀以上前になる、住まい近くにあったためそこで調味料などをよく購入していたが、口に入れて安全という代物は味よりも安全を優先するためか味気ないものが多かったような気がする。

そしてその25年後、青山を基点にNというスーパーが登場しオーガニックブームの先鞭をつける。

その後を追うようにオーガニック食品を扱う店がいくつも登場し、時代経過と共に素材も少しずつ改良され、旨味も増し食べやすくなった。

価格帯は通常のスーパーに比べると高いが、調味料などはなるべくこの手のスーパーで買い求めている。

その理由は明確、大量消費・生産の中で市場に登場するものは添加物を取り入れ食品を長持ちさせるものが少なくない、また季節を無視した野菜が出回ることも奇異な感じがする、それによって人間の身体が脆弱になったとも言えるのではないだろうか。

季節に準じた露地物を食べたい、それは人間の本能であり、けっして大袈裟なことではないと思う。

流通が進化し地方の食べ物も手に入り易くなったことは大歓迎だが、果たしてそれがありがたい話かどうか判定を下すのは早計だが理解に苦しむ。

尤もオーガニック食品を求める消費者は都市部や地方都市の一部に限ってのことで、地方では未だ遠い存在なのかも知れない。

口に入れる物、安全に越したことはない、そのような背景の下で農業に生活を求める人間が増えているというのも偽らざる事実だ。

 

オーガニックとは有機を指す、では有機と無農薬の違いはなんだろう。

一般に有機農産物=無農薬だと認識していると思われるが、必ずしもそうではない。

農薬や化学肥料は原則使用しないと謳っているが、有機農産物に使用する防除方法だけでは有害動植物(農作物に重大な損害を与えるとして、農林省が指定した害虫)を防ぐことが出来ない場合に限り、30種類の農薬の使用が認められていると言うのがオーガニック農産物。

一方の無農薬、これは100%農薬を使っていない、そのためか時折葉物野菜などに虫食いの痕跡など残っているものもあったりするが、その箇所を千切れば問題ないはず。

見かけは悪くとも身体に影響を及ぼさない食べ物をできることなら食したいというものだ。

 

オーガニックEXPO 2014で展示されている商品アイテムは国内共同出展者含め297社と言うから、そのブースの数に圧倒された。

何を初めに見たら良いか迷うほど展示品が多く、中でも食品はバラエティに富んでいて味見するだけで胃袋は満たされていった。

会場は展示品と食事をするコーナーの半分に仕切られ賑わっている、日本酒にワイン、そしてチョコレートに米、ついでにバケット、おせんべい等々とついつい手が出て卑しい舌が食欲を誘うのだ。

だらしない試飲と試食を繰り返す中、あることが頭を過ぎったのだった。

 

禁断の森へ突き進む男がいた、いまから18年も前のことである。

そこはチェルノブイリ原発事故によって放射能汚染を浴びたある村だった。

深閑の中に野鳥のさえずりだけがこだまする、辺り一面人っ子一人いない雑木林を男は歩く、すると老朽化した木造の建物に出くわす、そこには老夫婦が佇んでいた。

男は禁断の森で生活する人々を見、驚き、そして戸惑いながら近づいて行った。

老夫婦は長いこと”人”に会っていない、人に飢えていたのだ。

男は老夫婦の歓待を素直に受け入れ、家の中へと案内される。

その男とは役者の石橋蓮司(当時55歳)、劇団第七病棟の主宰者でもある。

テレビに映る石橋蓮司、いつもとは違う彼のただならぬ面貌が画面から放出されていた。

某地方局記念番組としてオンエアーされたドキュメンタリー番組”20世紀黙示録 もの食う人びと”、演出は深作欣二、何れも強烈な個性の持ち主、固唾を呑んで観た。

この番組はドキュメンタリーと言いつつもドラマ仕立混じりの深作ならではの演出方法であったと記憶している。

この番組は、辺見庸の著作”もの食う人びと”が下地となって、辺見が体験したことを石橋蓮司が再度行うというスタイルで番組は構成されている、辺見が未だ共同通信社に在籍した頃”食う”という命題を切り口に世界を旅した。

選んだ国は、ドイツ、ポーランド、クロアチア、ユーゴスラビア、オーストリア、ソマリア、エチオピア、ウガンダ、ロシア、バングラディッシュ、フィリピン、タイ、ベトナム、韓国の14ヶ国で舌と胃袋を試したのだった。

テレビはその中の韓国・ウガンダ・そしてチェルノブイリの3箇所にスポットを当て、食の原子を石橋は喰って喰って喰いまくるルポルタージュで作られていった。

その喰いっぷりはある種神々しくも思え、その映像を観た途端目の縁辺りにピクッピクッと引きつるのを感じたのだった。

それはまるで命の聖餐式、なんということだ汚染されたと思しき食べ物に石橋はなんら躊躇することなく口へと運んでいく、それは役者としての域を超えていたと思う。

喰らうということの意味、生きるということは”覚悟なのだ”と石橋から突きつけられた気がして身体を震わせ観ていた。

そして演出する深作欣二も実は覚悟していた、ガンと言う病巣と向き合いながらカメラワークを指示していたのだった、生と死の執着は”もの食う人びと”へと仕向けられ拘泥していく。

深作は最期の最期まで生きることへの希望を生涯のテーマとした監督、それが暴力映画にも通底する深作独特の映画手法だったのだろう。

 

辺見は大地の産物を言葉で表すのではなく、己自身の身体に直に入っていく感覚を味わいたいと旅に出た、それもよくある旅番組の食レポートではない、それを奮い立たせたものとは一体何だったのか。

辺見庸は”もの食う人びと”を書くに当たり、冒頭には以下のようなことが記されていた。

”私は、私の舌と胃袋のありようが気にくわなくなったのだ。

長年の飽食に慣れ、わがまま放題で、忘れっぽく、気力に欠け、万事に無感動気味の、だらりぶら下がった、舌と胃袋。

だから、こいつらを異境に運び、ぎりぎりといじめてみたくなったのだ。

人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。

あるいは、どれほど食えないのか。

ひもじさをどうしのぎ、耐えているのだろうか。

日々もの食べているという当たり前を、果たしてどう意識しているのか、いないのか。食べる営みをめぐり、境にどんな変化が兆しているのか。

うちつづく地域紛争は、食べるという行為をどう押しつぶしているか……それらに触れるために、私はこれから長い旅に出ようと思う。”

と持論を披露した。

辺見の文体からそこはかとなく表出するものは、ゴツゴツしたコンクリートのような硬質なイメージがある、決して流麗とは言えない石の塊が随所に散りばめられ触れると痛い、その痛さの先にはどこか懐かしい日本人の愚直さを感じてしまうから不思議だ。

喰うこと、それは“生と性”がコインの表裏のように深く関わっている、それは生きるか死ぬかの闘いであり、そして欲望をむき出しにしたホモサピエンスの生態なのだ。

老夫婦は石橋蓮司に笑みを浮かべながら語る、一度は村を捨てたが戻ってきた、住み慣れたこの村に住んでいたいと言う。

村人の殆どは街へと移住していった、当然の出来事である。

老夫婦はこの村で一生を終えたいと話す、倅は孫たちと一緒に街で住もうと言ってくれるが、やはり生まれ育った村が一番だと。

それに家畜たちもひもじい思いをしている、どんなにこの土地が危険であると言われても知らない街へは行きたくない。

この言葉、福島で被害に遭った方たちからも聞こえてきた、生まれ育った土地に執着するのではなく、彼らにとって掛け替えのない土地なのだと言うことがひしひしと伝わってくる。

長い時間掛けて土壌を改良し耕す、そしてようやく肥沃な土を獲得することが出来た、だが一瞬の惨事によって一変する。

人間の基となる食べ物を奪ってしまったのだ。

幾世代にも渡って土地を守ってきた人々の嘆き哀しみはどこへ向ければ良いのだろう、絶望という瓦礫の山を修復するには想像も及ばないほどの時間が必要で、積んでは壊し、また積み上げると言う行為が繰り返し続くに違いない。

 

ビックサイトで行われたBIOFach JapanオーガニックEXPO 2014、そこに集う人たちは満面の笑みで食品に何も添加されない食べ物を口へと運んでいく、その一方で世界にはいまだ飢えに苦しむ人々もいる、なんとも言い難い光景だ。

私自身も含めて食品の安全という神話に一喜一憂し、オーガニックEXPOへ来た。

だが時間が経つ内にものを食うとはなんなのかと、喉元に槍を突きつけられた思いがした、安易に喜んで口を頬張るわけには行かない気がしてきたのである。

 

 

 

 

 

 

 

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