夢を繋ぐ、ヴァイオリニスト森悠子

チェリスト青木十良が亡くなって4ヶ月が経つ、未だご遺族との挨拶を交わせずにいる、心苦しい思いである。

先日、朝日の夕刊の惜別欄に青木が紹介されていた、”自然な響き 気品問うた反骨家”という見出しに頷き、その反骨精神はゆるぎないものであったことを改めて痛感する。

生前、”あらゆるものに屈することなく自由でありたい、僕は自由人ですから”と屈託のない笑顔で語っていたことを思い出した。

青木は自由を尊ぶ音楽家、日本の洋楽は鋳型にはまった堅苦しいものばかりを教えてきた、もっと豊かでのびのびとした音楽を伝えていきたい、それが青木の夢だった。

 

その夢を抱いた人物がもうひとりいた、ヴァイオリニストの森悠子さん(70歳)である。

森さんとは8年前に青木宅でお目にかかった、青木の音楽に共感した森さんが愛弟子のチェリスト堀江牧生君(当時高2、現在モスクワ音楽院に在籍)を伴い、青木の音楽を伝授して欲しいと40年ぶりに訪ねてきたのである。

2人の会話は、40年と言う歳月を忘れてしまうほど濃密で音楽談義は長時間に渡って続いた。

その光景に一瞬戸惑いを見せた堀江君だったが、自身のチェロ演奏に入るや堂に入った演奏ぶりを披露し青木を驚かせた。

独奏が終わり、自分の若かった頃に比べ幸せだ、と青木は静かに言った。

それはきっと戦争で音楽の道を断念せざるを得なかった悔しさが、つい口を衝いて出てしまったのだろう。

弦よりも弓に神経を注ぎ、力まず柔らかく弓を弾くことが大切ですね、と優しくアドバイスしていた。

 

青木と森さんは音楽論で盛り上がっていた、森さんはソファに座っていたかと思うと、やおら立ち上がり即興でヴァイオリンを弾き始める。

遂には、互いの弓についての論議が展開し始め2人の会話は熱を帯びてくる。

響きあう2人の音楽ヌーヴェルバーグ論、フランスに渡り、音楽の核心を掴んだ森さん、科学者から音楽家に至った青木の人生を互いに時を埋めるように語っていた。

2人はいつのまにか演奏することの意味を”空飛ぶ感覚”と言う共通の言葉に置き換えた。

空飛ぶ感覚とは、地上から浮遊したような感覚で弾くことだと、2人の音楽観は見事に合致していった。

 

森悠子さんは桐朋学園大学卒業後、齋藤秀雄教授の下で助手を務める。

その後、旧チェコスロバキアそしてフランスへ留学する。

その留学先パリで、国際電話が入った、”すべてを整えるから、すぐにも日本に戻ってきて欲しい”これは齋藤が病床の床から森さんへ電話をかけた時の言葉だ。

齋藤は森悠子さんの教育者としての才能をいち早く見抜き、彼女に後進の指導を託すことを約束していたのだった。

森さんは言う” 齋藤先生との約束を、忘れたことは1日もありません…”と。

“型に入れ。そして、型から出よ”が口癖だった桐朋学園創立者の一人、齋藤秀雄。

彼は優れたチェリストであり、指揮者そして何よりも偉大な教育者であった。

門下生の代表と言えば小澤征爾であるが、実は、森悠子さんもそうだった。

現在、森悠子さんは長岡京室内アンサンブル(1997年発足)の代表として、後進の指導及び世界を駆け巡る日本を代表するヴァイオリニストである。

森悠子さんの音の求め方は、教え込まれない、演奏者自身に発見させるレッスンだ。

“私は学園に残り齋藤先生の下で3年間子どもたちを指導してきたが、学びの欲求は収まらず心はヨーロッパへと駆り立てた。

私には苦い思い出があります、齋藤秀雄先生との約束が果たされなかったこと。

私は74年9月、チェコからフランスへ、ちょうどパイヤール室内管弦楽団に入団したばかりだったため学ぶべきことのあまりの多さに、”40歳になるまで待って下さい”、と先生からの申し出を断ってしまったのです。

その時の先生の声がいまでも脳裏に焼き付いています、その電話から一週間後先生は息を引き取ってしまう。

悔やんでも悔やみきれません…”と。

人は時に運命に翻弄され、その運命に引き裂かれることもある、仮に森さんが留学先から帰国し桐朋学園で教鞭を執っていたら、森さんは学園で自由に羽ばたけただろうか……青木は自由でありたいと、その言葉がとても深く響く。

 

長岡京室内アンサンブルがリリースした第2弾の曲目は、齋藤秀雄ゆかりのチャイコフスキー”弦楽セレナーデ”と、モーツァルト”3つのディヴェルティメント”、このアルバムには森悠子さんの深い思いが凝縮されている。

音楽のあらゆる要素が含まれているとして、齋藤秀雄が音楽教育の現場で何度も繰り返して演奏した、いわば齋藤秀雄のテーマ曲ともいえるものだった。

齋藤秀雄はアンサンブルを通して、指揮者、弦楽器奏者を中心に、世界に通用する数多くの演奏家を徹底的に鍛え上げた。

ルネッサンス、バロック、古典から現代音楽、オペラにいたるあらゆる時代の音楽と演奏様式を貪欲に学びとってきた森さん、その背景には恩師とのこうした約束があったからだと言う。

その約束を果たしたのが、1997年に創立した長岡京室内アンサンブルだった。

森さんは後悔の念に苛まされていたが、こうして齋藤秀雄の意志を違う形で成し遂げたのだから恩師は喜んでいるに違いない。

“ガウディが設計したサクラダ・ファミリア教会は、着工して130年たった今も意志を継ぐ人々が工事を続けている。

齋藤先生が日本のクラシック音楽界のガウディだとすれば、私は現在の現場監督のひとりです”と。

しかし現場で工事を監督する人間ほど厳しいものはない、図面は間違えば消しゴムで消せるが工事はそうはいかない、常に緊張の連続だ。

 

森さんは30年にも及ぶ海外での貴重な体験が、長岡京室内アンサンブルに投影されていると思う。

青木はクラシックの基本はアンサンブルにあると言っていた、また森さんも優秀な指揮者はあまたいるが、アンサンブルのトレーナーがいないと愚痴をこぼしている。

ジャズも似ているところがある、トリオ、カルテット、クインテット、セクステット、オクテットと曲によって編成はいくつも成り立つ、だがやはり基本はトリオだと思う。

奏者が増えれば増えるほど音は密になるというより、複雑さを増し音のバランスが崩れていくような気がするのだ、恣意的な意見で申し訳ないが。

 

日本で初めて世界に通用する響きが誕生した長岡京室内アンサンブル、これからますます長岡京室内アンサンブルの演奏が目から離せない。

長岡京室内アンサンブルは第7集CD発売を記念し、今年2月に東京文化会館小ホールで演奏会が予定されている。

アンサンブルを率いて17年、森さんの音楽活動は空飛ぶ感覚のように空高く舞い上がり、さらに聴衆を魅了していくことだろう。

 

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森悠子

6歳より才能教育でヴァイオリンを始める。

72年バイヤール室内管弦楽団入団。

77〜87年フランス国立新放送管弦楽団に在籍。

88〜96年リヨン国立高等音楽院助教授。

90年、京都フランス音楽アカデミー創設。

97年、長岡京室内アンサンブル設立。

99〜2004年ルーズベルト大学シカゴ芸術大学院教授。

10年、著書「ヴァイオリニスト空に飛びたくて」を春秋社より刊行。

11年より、淡路音楽塾指導者。

13年より、指導者の飯森範親とオーケストラ・室内楽特別セミナーを行う。

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