偏愛に寄生した怪人、種村季弘(すえひろ)

知性の旗手、異端者、奇人、希代の美術評論家、詐欺師、怪人、雑学王、博覧強記……どの言葉を以てしてもぴったり来る言葉が見つからない。

あらゆる面相を持つドイツ文学者”種村季弘の眼 迷宮の美術家たち”展が幕を閉じた。

本展は没後10年を記念し企画され、種村季弘の審美眼を通し妖艶な美術世界に迫らんとする内容であったらしい。

らしいとは……つまり観てないということだ。

このチャンスを逃すものかと鶴首で予定表に入れておいたのに、身辺にいろいろと起こるモンダイを対処する間に一月ほどあった展覧会は終わってしまった。

本当に残念と言う他ない、没後10年の次は20年になるのだろうか……。

没後10年で中心になるのは、ゾンネンシュターン、カール・コーラップらドイツ語圏の作家と、美術家の赤瀬川原平、井上洋介、吉野辰海、四谷シモン、舞踏の土方巽ら同時代の日本の表現者たち。

彼らの作品を種村はどのように解釈し、どう観ていたのか、殊に生粋の狂人と謳われたゾンネンシュターンの作品は際限なく好奇心を搔き立てる。

怪物、贋物、魔術といった妖しい称号が飛び交う迷宮展、決して一筋ではないアーティストたちの毒気に観客たちは翻弄されることだろう。

みな曲者揃いの面子、満を持していけば良かったと後悔しきりであった。

今年物故した赤瀬川源平、さぞやあちらの世界の路地裏を二人仲良く探検しているのではないだろうか。

赤瀬川は路地裏探検の大家として名を馳せたが、実は種村も路地裏を歩く名人だったらしい。

路地裏にこぼれ落ちるほどのネタを見つけては、拾い、折りたたみ、粉砕し、遡上に載せ種村流文法でマスを埋めていったのだと思う。

側聞だが生来の引っ越し魔だったとか、もともとデラシネの質でひとところに落ち着けない性分だったらしい。

住む環境によって人の意識は変わる、それを種村は熟知し迷宮の扉へと近づいていったのだ。

 

種村季弘という作家を知ったのは渋澤龍彦の著作を渉猟するうちにこの奇才と遭遇した、手始めに読んだ”書物漫遊記”、中身は書物をめぐる不思議な幻想世界が繰り広げられていた。

奇人、クランクと言った種村に負けず劣らずの作家をあぶり出し、そして抽出し調理していく、お行儀の良い書評とは一線を画す漫遊の旅する読書案内なのだ。

頁には懐かしい作家たちの名前がずらり並んでいる、全てこの現世界にはいない人たちばかりだが、喪失してしまった心を取り戻すのにはちょうど良い一冊である。

種村はこの本のあとがきに、下記のような言葉が綴ってあった。

“……折り目正しい読書論や読書案内なんか書けませんよ、と私は編集者に念を押した、ぼくらの世代は系統立った本の読み方をする余裕なんかなかった。

物心つくと焼跡闇市でしょう。

戦死した学徒兵の遺品や筍生活の切り売りの古本が、その頃どっと闇市に放出されたんです。

戦中の本も、明治大正昭和の本も一緒くたにね。

それに仙花紙(くず紙を漉き返して作った粗悪な洋紙)の戦後本が混ざってゴッタ煮みたいになったのを、手当たり次第に読んだ。

必要に迫られて共時的読書法を発明していたわけです。

教養のアナーキーが基礎になっているんだから、とても秩序立った読書法を人様に勧められるような柄じゃありません”と、東大学生新聞部で机を並べた旧知の友、依頼人である編集者の丸元淑生へ語っている。

しかし、焼け跡の中でゴッタ煮本を読んだからと言って本線を外してしまったとは思えない、芽生えるべき本質は既にあり、偏愛主義を貫くというヘキは生まれながらにして持っていたのだと思う。

 

展覧会へ行けなかったが、チラシだけはあった。

頭に被っている帽子は鰯製の帽子だという、笑顔ではないが自ら気に入って被った帽子であろう。

でなければチラシのカットには使わない、まさにマニエリスムの雄ここにありという感じだ。

マニエリスム……美術評論家ではないので簡明な説明はできないが、辞書の力を借りれば”極度に技巧的・作為的な傾向をもち,時に不自然なまでの誇張や非現実性に至る美術様式”と列記してある。

もっと平ったく言えば”自虐的な悪戯”あるいは”冷やかし”と言う隠喩が浮かんで来ようというもの。

少し言い過ぎたかも知れぬが、当方のこんな誇張をものともせずドイツロマン派を牽引する種村先生は徹底した表象論を展開し、虚実の皮膜を剥ぎ取るように種村論を打ち出し展開していった。

 

さて、この帽子誰のデザインだろうか、調べると魚や野菜や衣類などをモチーフにシャッターを押す写真家、今道子さんだと言うことが分かった。

彼女のテーマは死生観や祈りの寓意であると言う、”神、肉体、生、死、時間という言葉は、子供の時から美しさや恐ろしさや不思議さのイメージとともに、自分の中で大切な言葉です。

魚を写真に撮る事により生物への贖罪の気持ちや永遠性を求めたり、魚を”もの化”することにより再生を望んだり、作品を作ることにより、これらの言葉の意味を私なりに考えて行きたいと思っている”と、彼女が発する言葉は、あらゆる生き物への深い尊厳がこめられている気がする。

種村はそれに呼応したのか不明だが、彼女のアトリエで鰯帽を見つけたのだという。

種村の独文翻訳は言うに及ばず、鰯帽を被っては錬金術師の風貌、この人にフィールドの限界というものはあるのだろうか、好奇の対象物を舌なめずりしながら独特の観察眼でイメージ化していく作家は種村措いて後にも先にもいない。

かつて寺山修司も迷宮の中で思う存分遊び、あらゆる言葉を奮迅の如く創り上げ”どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう”と読者を寺山ワールドに誘い入れる、言葉の束を巧みに操る錬金術師だった。

だが、種村という摩訶不思議な怪人は寺山の才能を以てしても、巷溢れる物象をことごとくマニエリスムという装置で攪拌し、知の雲海を思うがまま浮遊する怪人そのものだった。

近代の文学者の中で飛び抜けた存在、その爪の垢を分けて欲しいと願うのは失礼だろうか……。

 

 

種村季弘の足跡

東京生まれ(1933年~2004年)。

57年、東大独文科卒。編集者などを経て、初翻訳のグスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」(矢川澄子と共訳の共訳。

66年、美術出版社)や映画評論「ジョン・フランケンハイマー論」が評価され文筆活動に。

以後、マゾヒズムの語源となったマゾッホなどのドイツ語圏の世紀末文学を紹介。

作家、渋澤龍彦の盟友。

翻訳のほか評論・エッセーの分野でも和洋の古典に通じた博覧強記をもって文学・演劇・美術・怪物・山師・奇想・温泉・旅・食物を縦横に論じ万華鏡さながらの独自の世界を構築した。

 

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