全てのものに、完全な美を求める男

食や飲み物に関するCMに時折顔を出すその男、その顔つきは温和というよりも傲岸不遜を由とする表情に思える。

自信たっぷりの様相、凡人など近づくものなら一喝して蹴散らす、それくらいその男からは独特の厳めしい匂いが漂っていた。

かつて笑みを浮かべたことなどあったのだろうか、それとも夜な夜なひとり床に就いては思い出し笑いをしていたかも知れぬ。

この男、生まれながらにして幸にあらず、養家を転々とした人生だった。

実父は割腹自殺、妻の不貞から世を儚み自害に至った。

その不貞から生まれたのがこの男だったのだ、実母は失踪、血のつながりは否応なしに消える。

人生のスタートは闇に閉ざされ生きる術を失い、親戚中をたらい回しにされ蟠りは生涯消えることはなかった。

だがこのような体験はこの男だけではない、おしなべて幸せが転がっているとは限らない、誰もがどん底の人生はあり得る。

平成の世はもっと残酷で悲劇は数え切れないほどに子供たちを苦しめている現状だ。

生まれ来る赤児に責任はない、実母の快楽によって堕ちた男……それを知り自棄になって道を外すことだってある、だがこの男は違った。

 

“俺が芸術家であり得る自信さえ出来れば、俺は一刻の躊躇もなく実生活を踏みにじっても、親しいものを犠牲にしても、歩み出す方向に歩み出すのだが……”これは有島武郎の”生れ出づる悩み”の1節、主人公は画家の夢を持っているが、才能に自信なく、経済的に安定した生活を捨ててまで画家の道を歩むことが出来ない男の話である。

この主人公のように、なにびとも浮かれるほどの夢はある、だが現実は違う。

その9割は実利を選ぶ、賢明な生き方である、才能を持っているからとして成功するとは限らない、その微かな才能に人生を掛けることほど無謀なものはない。

 

底知れぬほど非凡な才能をもって、日本を、否世界に、知れ渡る男、その名は北大路魯山人。

この名前、1度くらいは聞いたことがあるだろう。

書、篆刻、日本画、漆芸、陶芸、そしてなにより無類の美食家、北大路魯山人は76年間の生涯にわがままなまでに美の探求を求め続けた。

昨年、世田谷美術館にて魯山人展が開かれた。

魯山人と交流のあった元利根ボーリング社長・塩田岩治氏旧蔵による魯山人作品、150点が一堂に会した。

魯山人とは深い親交があったようだ、いわゆるパトロンという間柄だろうか。

昔は才能ある芸術家に対して惜しげもなく支援する事業家が大勢いた、好悪は別にして縁の下からのサポートは有難いものだ。

今や芸術家に肩入れする事業家など僅かしかいない、と思う、もしくは全くいない、そんな気もしないではない。

魯山人は独自の審美眼を持ち、いかなる名声を持った人物でも気に入らなければ毒舌を容赦なく浴びせる、見ているものはさぞや冷や汗ものであったろうに。

そんな不遜な態度に魯山人の下を去って行くのは当然で、とにかく敵は多かったと言うことだ。

名のある芸術家や批評家をお構いなしに罵倒し続け、相手を敬う気配など微塵もなかった。

この物言いが徒となり、延いては自身が顧問であった美食倶楽部の会員制料亭(全国の旬の食材を取り寄せ、自作の器に料理を盛り客人をもてなした)”星岡茶寮(ザ・キャピトルホテル東急の地にあった)”からも退く運命となってしまう。

“私は昔から良く言う世間の誤解というものが恐ろしい、しかしもし世間が私を正解としたならそれこそなお恐ろしいことだと思っている”と魯山人は言う。

自分自身の性格を知りながら、敢えて悪口雑言を垂れる、それにより誹りを受けるのは当然なのに、それを制止することなく突き進む、矛盾に満ちた人生だった。

敵が多かった魯山人であったが、12歳年下の塩田氏は魯山人に対し、親身になって公私ともに存分な計らいをしてくれた、塩田氏にとって魯山人はどんな人物に映っていたのだろう。

魯山人は敵も多いが、その破天荒ぶりを由とする著名な人物もいた、まるで目糞鼻糞を笑うが如しである。

その傲慢とも言える態度、人を人とも思わない立ち振る舞いは自身の生まれついた”疵”によるものなのだろうか。

 

魯山人の出自は不幸そのものであったが、生い立ちが逆に魯山人を奮い立たせ、独立独歩の道へと鍛え上げていった。

北鎌倉の山崎に築いた星岡窯で、九谷・鉄絵・赤絵・瀬戸・刷毛目・志野・織部など、あらゆる焼物に挑み、その作風は流派にとらわれることなく陶磁を自由に取りこんでいった。

古典をきわめて絵付、加飾に斬新を盛るなかに強烈な魯山人の個性が発揮されていく。

さらには作陶に盛る器に飽き足らず、美食家としての腕前も冴え渡りあらゆる食材に腕を振るった。

兎にも角にも、魯山人という男は全てのものに、完全な美を求める希有な存在であったことは確かだ。

ある種たくましい美の消化力とでも言えば良いか、魯山人の特質は一筋手縄では行かない剛胆さを秘めている。

 

魯山人は器に”赤色”を多用している、それはまるで怒りのように力強く、夢のように優しく映る。

このチラシに映っている赤呉須徳利、魯山人自身の身体のようにも思えてくる。

よくよく眺めると羊と銘が入っている、他の器にも何かしらの銘が入っているのだろうか……この徳利に限って言えば今年の干支をあしらいチラシとして使われたものなのだろう。

九谷や赤絵の陶磁器は赤が特徴だが、個人的にも赤絵のものが好きだ。

さらに言わせてもらえば古伊万里を一番好む、陋屋のカップボードには大皿、小皿等々の古伊万里がある。陶器より磁器ものが良い、色合いもそうだが、あのピーンと張り詰めたような感触がたまらなく好きなのだ。

 

魯山人を魯山人と言わしめる文章がある、”魯山人味道-道は次第に狭し”の一文から抜粋する。

“日本のように世界随一の美食宝庫の国にあって、食道楽を極めないものありとするなら、そいつは文化人だの自由だの言う資格はない。

どこそこの天ぷらが旨い、いずこのうなぎか良いと決めつけ、自分は味覚の通人であると自任しながらその実なにも分かってない人々がいる。

これらの手合いにはトリックを用いるのが一番よい、普通の大根を尾張の大根と薦めてやれば良い。

すると、尾張の大根は美味いという先入観念があるから、これは美味いと自分だけの能書つきで美味く食うのである。

あらゆる美の源は自然であり、美味の源泉もまた自然にある。

こんなことは非常に簡単なことなのだが、なかなか一般人にはわからない。

だから料理ひとつにもつまらない小細工をして余計な味を付けたり、絵ひとつ描くにもむやみに絵の具を乱用する。

私が現代に画人がなく、料理人がないと断言して憚らないのは、実にこの自然界が持つ美を掴みうる人がいないからに他ならぬ”と、言いたい放題に大ナタを振るう。

グルメ通と言われている人物を揶揄し、吾こそ美の守護神であるかのような物言い。

まるで裸の王様のようだ、だがこの男にはそれを言わしめる確かな腕と確かな目があった。

完全な美を求める人間であればあるほど、人は離れていく、それは己しか見ていないからだ。

魯山人が亡くなって56年、近づけば毒舌をまくし立てる、かわいらしさなどひとつもない、それでもなおこの男の人気は不動のものだ。

なにがこの男を魅了させるのか、生き方か?それとも美に執着した男のエゴ?それが転じてアートになり、ある種の世界観を創り上げた。

魯山人76歳の時、肝吸虫(古くは肝臓ジストマという寄生虫)にしてやられ亡くなった。

つまり魚(淡水魚)の刺身かなにかにより当たってしまったのだ。

食い道楽であり美の求道者は、己の野心に向かい合いながら、その野心とやらにフィッシングされこの世を去った。

魯山人、命あるときに実母と会えただろうか……哀しいかな魯山人は血のつながりを持つ人間とことごとく絶たれた生涯であった、つまり” 完全な美を求める人間であればあるほど、人は離れていく”

 

 

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