ペーパー スカラプチャー@銀座

その画廊はディープな場所にあった。

葉書の地図をたよりに画廊へ向かうのだが、一向に辿り着けない。

狐につままれたような思いでなんどもその周辺をグルグル回った、葉書に記された青テントを手がかりに入り組んだ路地という路地を汗かきながら探したのだった。

路地と言えば、”ルパン”が近くにあることを思いだした、過去に友人と数回行ったことがある。

そこは地下1階にあり、調度品は船室を思わせるような雰囲気のバー、灯りも仄かで親しい友と静かに飲み交わすには調度良い。

ルパンと言えば、太宰治が椅子に座った写真が有名だ、創立から86年の時が流れている。

時折テレビなどで紹介されることもあるが、浮き沈み激しい銀座でいまも看板を下ろさず続いている、ホステスを仲立ちにしたバーは数多あってもこのようなバーはいまや数えるほどだろう。

銀座も表通りは高いビルが聳えているが、一歩中へ入ると細い路地の多さに驚く。

否、路地が多いのは知っていたが、その思いは予想を超えていた。

大人ひとりがやっとの通れる路地、昼間でも薄暗くビルの壁からなにか飛び出てきそうな気配、子どもはこんな所が好きだ。

こちらはワクワクするどころか、たどり着けない苛立ちが時間を追って増してくる。

先日も路地の中を歩いた、知ったかぶりしてビルの間をショートカットしたのである、ところが目的の場所は見当たらなく路地入口で長蛇の列に出くわした。

行列を横目にその行方を眺めるとラーメン屋の看板、見るからに4〜5人入れば満杯という具合だった。

旨いか不味いかは各々の舌によって様々だ、舌ほど当てにならぬものはない。

だが道に迷うのも悪くないと思った、路地には不思議な魅力が潜んでいるから。

 

人生に迷うことは何度も経験しているが、道に迷うなど殆どなかった、仕方なく近くにあった宅配便の事務所に入って道を尋ねた。なんのことはない、そのビルの真裏が画廊だったのだ。

日本料理店の路地を抜け、それも肩を狭めてである、すると路地の一角で紫煙をくゆらす数人のサラリーマンに出会った、彼らにとっては僅かなひとときなのだろう。

銀座一帯は禁煙ゾーン、いや都内全域禁煙のマークが睨みをきかしている、まるで戒厳令が敷かれたように。

煙草については以前書いたので、憂さはこれくらいに。

 

画廊がやっと見つかった、確かに青いテントが張ってある、しかしここを見つけるのは至難の業と言えよう。

いや、それが良いのかも知れない、大通りにでんと構えている画廊よりもどこか情緒があってそしてコンテンポラリーな建物、一見矛盾に思えるかも知れないが、まさに隣は小料理屋が控えており高級下町商店街としては申し分ない風景だろう。

 

以前にもこのコラムで紹介したファインアートの安座上さん、彼女の作品が9月1日〜30日まで催されていた。

入口は一面のガラスで覆われていた、外から安座上さんの作品が見えた。ノブを回すと鍵が掛かっていて入れない、ガラス戸を軽く叩いた、出てきたのは年配の女性、申し訳なさそうにドアを開けてくれた。

外からも作品は充分に眺められる、今回は女性が身につけるブラジャーがテーマだった。

多分若ければ即退散したかも知れない、壁一面にブラジャーが展示されているのである、たとえそれが紙であっても目は伏せがちだ。

色取り取りのブラジャーが青、赤、黄色、茶色、紫、薄緑等々の四角いジェッソボードの上に飾ってあった。

胸元(そう読んで良いのか分からないが)には花柄が施してあり、男と違って肌着まで装飾に美を見出す処、女性の心理が覗えた、それに比べて男は無粋だ。

話は飛ぶが、開高健が男女の悲哀についての名言がある。

”春の肉体に秋の知恵の宿る理屈はあるまい。

男は具体に執して抽象をめざそうとしているが、女は抽象に執しながら具体に惑溺していこうとする”、 安座上さんの作品、つまりブラジャーを拝して男女の思考はどんなに歴史を踏もうが相容れない心理が底に沈んでいるように思われる、それはゴルディアスの結び目のように。

私にはその作品がある種お花畑のようにも思えた、こんな事を書くと彼女に叱られるかも知れないが、作品1つひとつから香りが放ってくる、花の匂いが。どの作品も尋常でないほどの力作で、この作品の工程にどれだけの時間を要したかとそればかり考えてしまうくらい作りは緻密で、ため息が出てしまうほどだった。

 

安座上さんが今回の作品について触れている。

 

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“なぜブラジャーなのか? なぜ60個なのか? なぜ紙なのか?

「物」を、「道具」として捉えることによって、それを使う人間の日常感、生活感を表現したいと思っています。

女性が使う「道具」としてテーマにしたのが、今回のブラジャー。

「あえて見せる物ではない存在」から「表舞台に出て来る存在」になった、と言う経緯が、女性とも共通します。

女性が、そのがんばりに対して正当に報いられるような世の中に、早くなって欲しい、と言う願いがこめられています。

ちなみに欧米では、ブラジャーでフェニズムを語るのは60年代に流行りましたが、日本の女性の地位向上は。50年遅れていると言う自戒の意味もあります。

1つの作品だと、単に「小さい、可愛い」で終わってしまいがちですが、60個を1つの固まりにして、それを1つの作品と捉えてもらいたいと思います。

60と言う数は1,2,3,4,5,6,10,12,15,20,30,60と、約数が多く、展示のバランスを考えたときに、非常に飾りやすい数です。

西洋で紙が使われるようになったのは比較的新しく、ルネッサンス以前は、羊皮紙が用いられていました。

羊皮紙は、ひどくかさばって高価なため、1部の限られた人たちの物でした。

一方、日本では古くから和紙が使われ、庶民にも普及し、そのために様々な形で歴史的記録を残すことが可能でした。

私たちが当たり前に使っている紙ですが、日本には紙の長い伝統があります。

そして、子供でも何か作ろうとすればまず紙を思い浮かべる、基本的で当たり前の素材です。

また、軽さ、儚さ、壊れやすさを持っているからこそ、素材として使った時に現実の物の重たさから、見る人を解放してくれます。

私が海外で「紙で立体作品を作っている」と言うと、必ずと言っていいほど「それは折り紙か?」と聞かれます。

日本人にとって紙は、私たちが思っている以上に日本的なものなのです”と締めくくられていた。

ブラジャーの展示は因習(男どもへの)へのメタファーであり強固な警句とも言える、そしてヌーメラシーが弱い私にとって60と言う数字が割り切れる整数であることなど一切頭に浮かぶことなく作品を眺めていただけだった。

今回の作品はいつもとは様子が違っていた、今回の展示品は一点のみ、これまではバラエティに富んだ作品が会場を占めていたが、60個という作品が収斂しひとつとなった。

安座上さんの思いは紙という素材を通し、社会への挑戦状を叩き付けのかも知れない、それは何も変わらない世の中への歯がゆさと認識の甘さに檄を飛ばしたのかも知れない、ああこれも誤認識かも知れぬ。

 

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