雪のホライゾン、マルク・リブーと遭遇す

アラブ諸国で起きた惨劇後、あらゆるメディアで報道写真家、あるいは映像ドキュメンタリストたちに関心が集まっている。

その先陣を切ったのが”ちょっとピンボケ”で名を馳せたロバート・キャパ(本名はフリードマン・エンドレ・エルネー)、キャパは”崩れ落ちる兵士”で一躍報道写真家としてスタターダムにのし上がり、世界の注目を浴びた。

だが後年この写真は共に戦場で”直中(ただなか)”を撮っていたゲルダ・タロー(女性報道写真家)との共同写真であったことが明らかとなる。

誰が撮ったにせよ、写真に偽りがあるかないかではなく、そこに起きた生々しさを撮るのが報道カメラマンの宿命であり、彼らのタスクなのだ。

報道写真はアートではない、”時間の写し絵”を切り取る情報の勇姿と言える。

キャパが生きた時代、国内に於いては岡村昭彦沢田教一がいた、そして大分後に一ノ瀬泰造などが戦場カメラマンとして登場してくる。

戦禍の中をくぐり抜け、どんな美辞麗句を並べ立てようが私にとっては”獲物”としか思えない、命を掛けると言うことはそういうことだろう。

被写体の瞬間をカメラに収める、ある種スナイパーのような目が必要だ、狙った獲物は決して逃さない、そこには正義などという言葉は存在しない、むしろ邪魔だ。

シャッターを切る、人差し指は写真家の運命を一瞬にして分ける、戦場という所はそういうところだ。

 

キャパは後に仲間たちと国際写真家集団”マグナム”を結成する、その仲間の一人にマルク・リブーという男がいた。

リブーは今年で92歳、現役かどうか分からないが写真を見る限り、その眼差しは柔らかいと言うより鋭い目つきに思える。

 

シャネル・サクセス・ホールでリブーの個展が開かれた(1/16〜2/15)、入口にはAlaskaというタイトルが掲げられ、ギャラリーの全体が白で統一されていた。

このシャネル・サクセス・ホール、新たな才能との出会い、アートとの出会い、人々との出会い、芸術を愛し支援したシャネルの”ピグマリオン(Pygmalion/才能を信じ、支援して、開花させる人の意)”をコンセプトに文化事業の一環として、無名のアーティストたちを支援していくホールだという。

このような事業がファッション関係やコスメ関係だけでなく広く伝播していくことを切に願う。

テーマはAlaska、マルク・リブーとジャーナリストのクリスチャン・ベルジョノーはルポルタージュを得意とする週刊誌”パリ・マッチ”の特派員として、アラスカ・ハイウェイを目指しデトロイトを旅立った(1958年)。

目的地のフェアバンクスでのルポはTimes誌の”アラスカの人々”をモチーフとした取材であった。

7日間に及ぶルポルタージュは今回、日本で初公開とのこと。

51点、全てモノクローム、 被写体は人間と自然そして動物でギャラリーを覆っていた。

撮影場所はシベリアの対岸にあるコッツビュー、初めて聞く地名である。調べるとこのコッツビュー、6月の初めから6週間あまり、太陽は沈むことがないという。

太陽が沈まない……一体どんな気持ちになるだろう。光がないのも不安だが、光りまばゆい太陽の下での暮らしというのも日常から逸脱した感覚であろう。

コッツビューは、極北アラスカで暮らす先住民の最大集落のひとつと言われている場所、80%の住民がイヌピアットの居住区だ。

リブーがシャッターを押した彼らは、我々と同じモンゴロイド、人懐っこい表情で笑顔を振りまいている、その顔つきは昔どこかで見たような錯覚に陥ってくる。

アラスカにはイヌピアット以外に”ユピック”という先住民族も住んでいる。

イヌピアットはイヌイット民族と同種族だが、ユピックはイヌイットではないという。

どの国にも様々な人種がいる、東南アジアの場合で言えば、カチン族・カヤー族・カレン族・チン族・アチャン族・ラカイン族・タロン族等々、彼らも同種モンゴロイドの仲間だ。

他にもクメール族やモン族と数限りないほどの人種や族がいるのだ。

日本に於いても、古事記の時代より遡っていけば何かしらの族に振り分けられるかも知れない。

やはり、目に焼き付いたのは入口近くにあった写真だ。

雪の轍が長く続いている、その先には親子とおぼしき2人が地平線に被るように映っている、鬼ごっこか……それともこの2人、地の果てに向かっているのだろうか。

空と地上の境が判然としない、アラスカという地に生きる人々は、地平線を眺めながら何を思うのだろう。

360度見渡しても雪、雪、雪、雪、そこに2点の黒い影が忽然と現れ、その背後に轍がくっきりと彼らを追うように窪みとなって2つの線は消えることなく続いていた。

 

イタリアの写真家マリオ・ジャコメッリはモノクロームについて言葉を発した。

”白、それは虚無だと。

そして黒は、傷痕……興味があるのは時間。

時間とはすなわち死だ。現実空間はない。

あるのは自分の記憶の空間に置き換えられた空間だけだ。

必要なモノは距離と対象物だけだ”と。となれば、無限に拡がるコッツビューの雪は虚無、それは無限の宇宙や大空を表しているのだろうか。

一方の黒、轍の先に連なる黒い2つの影(人間)は過去に生きた証が雪上に現れ地平線に2人が佇んでいる、リブーはその瞬間を見事に捉え、蜃気楼となって浮遊する亡霊の”直中を撮ったのだ”。

因みにマリオ・ジャコメッリとマルク・リブー、国は違えど同時代を生きた写真家である、互いに魂の底から沸き上がる作品はどこか通底しているように思える、リブーが2歳上であった。

”見るという行為は、他の感覚機能と同様、独自の歓びを有している。

しかし、見ることによって歓びを得るには、他の感覚より訓練を必要とする。

間違った音は耳障りで、酸味は口蓋をひりひりと刺激する。

適切に鍛えぬかれた目も同様に視覚的な誤りに敏感なのだ”と、リブーは語る。見る、触れる、嗅ぐ、味わう、聞く、全ての器官がセンシティブでなければ獲物は捕らえられない、歓びを得るにはそれ相応の覚悟が必要なのだ。

 

写真をじっと見た、見れば見るほどかすんでくる、それはその写真自体に実体はなく、実体はその先にあるのだ。

 

marc riboud

 

マルク・リブー(Mark Riboud)

1923年、フランス・リヨン生まれ。

14歳の時、父親にもらったカメラで写真を撮りはじめる。

第二次大戦中はレジスタンスのメンバーとして反ナチス抵抗運動に参加。

その後、リヨンの国立高等工芸学校で工芸を学び、リヨンの工場でエンジニアとして働く。

休暇中、リヨンの演劇祭を撮影したのを機に、フリーランスの写真家となる。

1953年、マグナムに参加・1957年、初の中国訪問。以降40年以上にわたり断続的に中国を撮影。

1958年来日。

”Women of Japan”を出版する。

1975年〜1078年、マグナムの会長を務める。

1980年、マグナムの寄稿家に転向。

1966年、1970年には海外記者クラブ賞受賞。

ニューヨーク、パリをはじめ世界中で個展が開催されるほか、多くの写真集が出版されている。

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