スノッブな苦い水……カカオ

チョコレートに目がない、常時仕事机の抽斗の中に板チョコあるいはフィンガーチョコレートの何れかが入っている。

長いこと机に向かって作業をしていると、つい甘いものが欲しくなる。

ケーキや和菓子の類ではない、カカオの芳ばしい香りに引き寄せられ、一粒の快楽をひとり楽しむのである。これは今に始まったことではない、幼い頃よりチョコレートはなによりの好物で、それがあれば飯など要らないほどだった。

チョコレート、またはカカオ中毒患者と言っても良い、そうそう緑茶もあった。

チョコと緑茶……緑茶は芽茶に限る、茶葉の先端の蕾だけを集めたのが芽茶、煎茶以上に濃厚な味わいである。

コーヒーは一切飲まない、好きではないし、旨いとも思わない。

20年前、日本に誕生したシアトルからやってきたコーヒーのチェーン店、いまや日本の至る所に棲みつく恐れを知らないチェーン展開。

それによって個人経営の喫茶店も閉店の憂き目に遭い、日本国中グリーン色の人魚セイレーンに押しつぶされそうな気配だ。

 

さてそのチョコレートだが、なるべくなら不純物が少ないものが良い。

カカオマス(カカオ豆の胚乳を発酵、乾燥、焙煎、磨砕したもの)、カカオバター、砂糖で作られたものがベストといえる。

少し値は張るが、甘く薫り高い一粒は媚薬となって口中に広がりを見せ、惜しみない歓びに浸ることができる。

仕事机の抽斗から取り出しワンピースだけ口に含ませる、その味覚はまるで快楽の知的媒介のような味わいになる。

尤もその感覚はいつも現れるとは限らない、よほど脳が疲れ切っているか、もしくは空腹時に訪れるようだ。

その楽しみが突如消えることがある、隠していたチョコレートを愚娘に盗られてしまうことが度々あった。

私同様、娘もチョコレートに目がなく、どんなにうまく隠していても失敬していくのだ。

なんたる娘かと怒鳴りたい気持ちを押し殺し、何事もなかったように、またスーパーへ買いに行く。

娘の”癖”は小学高学年まで続いただろうか、秘密の場所に隠していても、彼女は私同様特殊な匂いをかぎ分けるDNAを持ち合わせているようで、隠し場所にはかなり閉口したものだった。

人様から見れば大人気ない行為だが、唯一の楽しみを奪われるのは、とても口惜しいものだ。

純度高いチョコとは別に、フィンガーチョコレートも好物だ。

だがこの数年お気に入りのフィンガーを見かけたことがない、エンゼルマークのフィンガーチョコレートを。

あの銀紙に包まれたサクサクした感触が好きで子どもの頃から食べていた。

色は銀や金などに混じって赤もあったかと記憶している、いや薄桃色とでも言えば良いか……。

ネットで検索してみるとどうやら販売中止の商品らしい、これも浮き世の流れというものか、もはやこの手の商品は人気がないのだろうか。

某インターナショナルスーパーにも、エンゼルマークとは違うフィンガーチョコが置いてあった、これはこれで納得いくものではあったが食感がいまひとつなのだ、サクッといかない、ぼやけた食感なのだ。

従って、エンゼルマークのフィンガーは2度とお目にかかれなくなってしまった。

馬齢を過ぎ、チョコレートに現を抜かす私だが、このチョコレート好きは年と共に薄れていくものだと思っていた、だがそうではなかった、ますます好きになっていくばかりである。

食卓に並ぶ食材よりも、カカオの魅力の方が勝るのだ、1度味わった感覚はさらに進化を遂げその舌はエッジが強くなっている、気がする。

 

魅惑のカカオ、テオブロマ(ギリシャ語)……神々の食べものという意味だ。

人は、カカオという植物に古来よりさまざまな伝説を祀らわせていた、つまり貴重な食べ物であり、飲み物でもあり、そして薬品でもあったことからそのような神話が生まれたのだろう。

神の使い手であるテオブロマ、スウェーデンの植物学者リンネ(Carolus Linnaeus /1707-78) によって至高の名を命名したチョコレート。

Theos(神)とbrom(食べ物)というギリシャ語を合わせた、ある時は万能薬として、時に貨幣、スパイス、媚薬、そして最高の美味として、古代アステカ王国より今日まで、時代を彩りながら世界中の人々を惹き付けてきた。

小さな一粒には、奥深い歴史と物語が宿っている、その媚薬とも言えるカカオで命を落とすほどの人の生き死にが数多あった。

木の幹に直接実がなる不思議な植物、カカオ。

原産地中南米で、古代から貨幣や、生贄のかわりとしても使われたカカオの実。

この”にがい水”がヨーロッパ文明と出会い、砂糖の普及する18世紀になって、ようやく嗜好品として注目されるようになる。

 

カカオ生産国という点で言えば、コートジボアールが群を抜く、次がガーナかインドネシア辺りだろうか、しかしここへ来てペルーのカカオに専門家たちは躍起になっているらしい。

その理由として、人類が収穫したカカオ豆の中で最も古い品種を使用していることが原因らしい、このカカオ豆は長い間自国で生産し、自国で消費していたためによその国とは比べものにならないほどクオリティの高いカカオなったのだ、国内で言うなら京野菜がそれに当てはまる。

仮にこの古い品種の豆が他国で生産されれば希少価値はなくなる、土壌品質しかり、肥沃な土だからこその結果と言えるだろう。

カカオ……見た目は俗物、スノッブそのものだ、だがその硬い森の悪魔の実が弾けたとき、享楽の世界が手ぐすね引いて待っている。

最期の晩餐も、純度高いカカオで〆るのもおつなものだ。

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