信仰が育んだシェーカーボックスと曲げわっぱ

弁当箱のような形状、その形は曲げわっぱによく似ていた。

横長に延びた曲線のフォルムを際だたせるためにスワローテイル(燕の尾)を象り、それを純銅のリベットでかしめてある、その造形物と何十年かぶりに住まい近くのアンティーク雑貨店で見つけた。

シェーカー家具のデザイン性に魅せられたのは、10代にも満たない頃のことだった。

母親が裁縫箱として使っていたオーバル型のシェーカーボックス、その中にはほつれを修正するための針や糸、そしてボタンなどが入っていた。

それがシェーカーボックスであると気づいたのは大分経ってからのことだった。なぜ我が家にあったのかは不明だが、あの卵形をした柔らかな形状は子供ながらも装飾を排した機能美の見事さに見入ってしまった。

気づくまでの間、シェーカーボックスがなんであるかも分からず、その楕円形の容れ物はどこの家庭にも置いてあるものだと思っていた。

その裁縫箱がシェーカーボックスであることを知ったのは、藤門弘と宇土巻子夫妻の”アリスファーム”という家具工房で紹介された作品からだった。

70’年代前半の頃、アリスファームは飛騨地方の山里でシェーカー家具の復元を中心とした家具工房を立ち上げた。

それに付随し染色や農業なども取り入れ、当時としてはかなり珍しい生産〜制作〜販売までを行う集団であった。

代表の藤門氏はシェーカー教団が実践した自給自足の生き方に共鳴し、志を一つとして15名のスタッフたちと共に集団生活を送ることとなった。

現在は岐阜の工房から北海道へと拠点を移し、工房運営を休止とし(シェーカー家具は0Bが引き継いでいる)、ホテル運営を柱にブルーベリージャムの生産や販売を行っている。

70’年代はアリスファームばかりでなく、富山のKAKI工房そして岐阜のオークビレッジと、これまで日本になかったスタイリッシュな家具工房が一斉に芽を吹き出した時代だった。

序でに言えば家具工房から発信されるデザインに刺激され、アリスファームやKAKI工房の作品をヒントに家具を作ったことがある、とは言うものの当時の勢いは失せ小物しか作れなくなってしまったが……対象物がたとえ小物であれ、木と戯れるのはこの上ない悦びである。

200年以上前に誕生したシェーカー家具、しかしその団体はいまや存在しない。

”美は有用性に宿る””規則正しいことは美しい””調和には大きな美がある””言葉と仕事は簡素であること”、シェーカー家具の土台を作ったマザー・アン・リー代表が文盲の中で生み出した言葉だ。

シェーカー教徒たちはキリストの信仰を尊び、俗世界との繋がりを絶ち、牧畜と農業で生計を立てながら自給生活を営む中で緩やかなシンプル性を持ったシェーカー家具が生まれた。

教徒たちの厳しい教義と共に編み出された家具は、ボストンのシェーカーワークショップで忠実にオリジナルを復元しているという。

アーティスティックで洗練されたフォルムは、アメリカ以外に日本の家具職人たちにも多大な影響を及ぼした、その代表的な人物が藤門弘だった。

今回街のアンティーク雑貨店で見つけたのは、アリスファームのものではなく、やはりこのデザインに惚れ込み作り続けている長野の若き家具職人だという。

そこで売られていた素材は桜材が使われていた、桜材と言えば日本茶を容れる茶筒などがポピュラーだ、但し桜材と言っても山桜の樹皮を使って作るのだが。

18世紀後半にシェーカー教徒たちが作った純正ボックスは、本体がメープル材で、蓋と底は松材が使われていたという。

丸みを帯びた純正のシェーカーボックス、手に入れるのは難しいだろう、博物館でも行かない限り見ることはできないかも知れない……と思っていたらシェーカー教徒たちと寸ぷん違わず作っている職人がいた。

アリスファームで働いていたOBがシェーカーのオリジナルとまったく同じ材料と工程でシェーカーボックスを作っているという。

もちろん本体はメープル、底と蓋は松材とのこと、時代を超え手法も同じ、作り手が違うだけ。

200年の時を経て息づいているシェーカーボックス、あのマザー・アン・リーが見たらなんと言うだろうか。

”調和には大きな美がある”それとも” 美は有用性に宿る”だろうか。

いずれにしてもアン・リーの遺したシェーカーイズムは細部にわたり、それを愛する新シェーカーたちに引き継がれていることだけは間違いなさそうだ。

母親が裁縫箱として使っていたシェーカーボックスだが、リベットがダメになり数年前に捨ててしまったという。

なんと勿体ないことをしてくれたのかとつい詰ってしまった、シェーカーボックスの印である燕の尾の部分に留めてあるリベットは交換できるのだ、捨てる前に言って欲しかった。

今や電化製品や車は一度壊れるとアウトである、昔は壊れたパーツを修理することができた、だがそんな時代は疾うに終わり、壊れた箇所全て交換する時代になってしまった。

壊れたら直す、だからこそ愛着が出る、シェーカーボックスと電気製品や車を一緒くたにすることはお門違いの話だが、やっぱり好きなものは直せるものがベストだ。

母親のシェーカーボックスは手に入れることは出来なくなってしまったが、それと同じように気に入った箱があった。

秋田の曲げわっぱ、弁当箱である。

何度も銀座の某デパートへ出かけてはその曲げわっぱを眺めていた時期があった。

何かを我慢すれば買えると自分に言い聞かせ、デパートを出る、それを繰り返している内に店員と親しくなり、いや恥ずかしい話だが顔を覚えられてしまったのである。

そうなるとすんなり帰るわけに行かなくなる、蛇に睨まれたカエル状態だ、唯々店員に対し笑みを浮かべるほかなくその曲げわっぱを見つめていた。

いつ踵を返そう、頭はそれしかない、他のデパートでも扱っているなら有り難いのだが欲しい曲げわっぱは唯一ここのデパートしか置いてない。

シェーカーボックスのサイズは何種類もあり一概には言えないが、今にして思えば少しだけ曲げわっぱはシェーカーボックスよりも少し値が張っていた、そしていつの間にか店員の術中にはまり、その代物は我が家のカップボードに収まっている。

サラメシではないが、時折曲げわっぱを出し昼のひとときを愉しんでいる、あれから15年の時が流れた。

華美な装飾を排したシェーカーボックス、そして曲げわっぱ、そのどちらも簡潔で実用性に徹した生活用品、このデザインがこれからも続くことを願っている。

さて、シェーカーボックス、いつ買えるかな。

 

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