真贋のモメント

 

赤いバスローブにくるまれた黒人男性、額から頬へと汗が滴り落ち、厚い唇と膨らんだ小鼻からは枯れることなどない原始のエナジーのようなものがひしひしと伝わってくる。
前額は血管が浮き出、何にも屈しない力強さを秘めている眼光、ボクサーだろうか、それとも他の競技のアスリートか。

男は正面を見据え少しだけ笑みを浮かべている、威圧感は感じないがどことなく獲物を狙っているような目つき、柔な男には到底見えない。

super-realism2-brack

試合後の一瞬を捉えた写真かと思っていた、実は写真ではなかった、歴とした絵なのだ。
他にもペヌエル(神の顔)のような異教徒を思わせる肖像画もあれば、皺の刻みに人生を愁う肖像もあった、絵画には大きく分けて具象・抽象とあるが、これはスーパーリアリズムと呼ばれる手法とのこと。

画家の名は、ルベン・ベジョソ・アドルナ(29)、スペインはセルビア大学で美術を学び、数々の個展やグループ展に参加していく中で、写真以上の質感や感情を表現したいと油彩ではなくパステルやクレヨンを用い”不可能”を目指していったという。
この画はたまたまウェブサイトをいろいろ見ていたときに発見したものだった。
その反響たるや”凄い!””21世紀の天才””どうしても写真にしか見えない”の言葉に溢れルベンの人気がネット界に張り付いていた。
対象物がなんであれ、事物をリアルに描くことは作家自身の腕に掛かっている訳でさほど問題ではない。
それよりも物の真贋とは一体何かを表現するのが画家の真骨頂だと思うのだが、人はその画の生々しさに触れることにより歓喜に打ち震えるようである。

過去にはパルコの初代イラストレーターに山口はるみがいた、彼女はエアブラシを駆使し出し、それこそルベンなど指一本でへし折るほどの技量をもったイラストレーターだ。

とある雑誌に、山口はるみを紹介した記事があった。

“作品で描かれたボクシングや野球、スケートボードをする女性の姿は男性目線のエロティシズムを示すピンナップとは異なり、「女の身体を男の手の届かないところへと理想化する」(社会学者の上野千鶴子)と評された。
また、エアブラシの技法を用いたイラストレーターは当時において希有な存在であったことから、スーパーリアルイラストレーションの先駆者として、70年代から80年代までの日本の広告業界を席巻”、と。
既に35余年前よりスーパーリアリズムはあり、何を今更騒ぎ立てるのか信じ難いくらいだ。
2月には山口はるみ”HARUMI GALS”の個展が渋谷で催されていた、残念ながらその個展には伺えなかったが。

 

ルベンのあれこれをほじくるわけではない、画家が描く手法はたくさんある、みな唯一の技法を模索し悩み苦しむ、そして独自の画法が誕生するのだ。
あの藤田嗣治にしても乳白色を出したいが為にベビーパウターを多用し温かみや透明感を見出していった。

絵の本質、それは狂気であり、その背後に潜む憤怒の色のようなものだと思っている。
かつて岡本太郎が葛井欣士郎に言った言葉がある。
”絵画にしろ映画にしろ、芸術はすべて実験である。言いようのないアバンチュールを伴うが、

失敗を恐れていては成功などない、大いに実験しなさい”と。
そう、芸術は実験なのだ、ルベンは人物の魂が乗り移っていると称賛を浴びたが、ものの真贋はそこには存在せず彼自身の中に内包されている本質が見えて、初めて画家としの本領は発揮されるのだと思う。
どんなにリアルに描いたとしても、それはただの肖像画に過ぎない。
絵に美を形成するためには悪徳を知り、見極める力が不可欠だ、ルベンの次なる作品はどんなテーマで勝負してくるのか楽しみである。

 

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