「日本初のアートディレクター」

近年、様々なジャンルのクリエーターが集まって店などを作っては話題になっています。

その専門のプロたちが一つの目標に向かって作り上げるその空間は、まさに複合的な作業をするチェーン企業には到底真似のできない素晴らしさを感じることができます。

さて、そんな企画をまとめあげる中心人物がアートディレクターなどと呼ばれる人間です。美術展などでアートディレクションを手がけるこの立場の人間は、ある意味アートの天才とも言われるほどです。

さて、そんなアートディレクターとして活躍した日本で初めての人間は誰なのでしょうか。実は「本阿弥光悦」という1500年の江戸時代に活躍した芸術家と言われています。

工芸家、書家、画家、出版者に作庭師に能面打ちなど、とにかく様々なジャンルで活躍をしらマルチクリエーターだったそうです。

基本的に書家として有名であり、あの徳川家光が「天下の重宝」と呼んだ程の実力者だったのです。さらに陶芸家としても人気があった本阿弥光悦の功績が茶碗の箱に自分の署名を入れたことでした。

この後に、当たり前のように数々の陶芸家がこの方式を取り入れますが、専門家でなく陶芸に打ち込んだ本阿弥光悦だからこそ、この自由な発想が生まれたのではないでしょうか。

さて、そんな本阿弥光悦は才能があるにも関わらず日の目を見ないクリエーターの発掘にも力を発揮します。

この本阿弥光悦の目にかかった芸術家で、輝かしい才能を世に知らしめることができた人物が多いそうです。

そして、京都に移り住んだ本阿弥光悦は「光悦村」という金工、陶工、蒔絵師、画家、筆屋、紙屋など呼びかけて集め、56もの家屋敷もの店が軒を連ねる場所を作ったのです。

まさに、現代でいうアートディレクターであり、高い才能を持つ素晴らしい芸術家だったのです。

こんな昔から素晴らしい活動をしていた方がいるなんて、今を生きる我々も頑張らなきゃな、思わせますよね。

本阿弥光悦の存在は現在のアートシーンにも大きく影響を与えているのです。

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