「英一蝶」

どの時代にも人気者は存在しています。

実は1600年から1700年代の江戸時代にもそんな人気者の芸術家がいました。
今回はそんなマルチな才能を持った日本の画家を紹介したいと思います。

1652年に医者を営む家で生まれた「英一蝶」。

はなぶさいっちょう、という美しい号で活躍したこの人物は、非常に波瀾万丈の人生を送ってきたことで有名です。

その経歴の節々の出来事は謎に包まれ、そんな所も含めて今でも人気を集める文化人の一人です。

まず。15歳の時に江戸に一家で渡ることになります、理由は不明です。

その江戸で英一蝶は絵画技法を狩野派である加納安信に学んでいくのですが、なんと2年で破門を言い渡されてしまいます。

もちろん理由は不明、謎ですよね。

その後には多賀朝湖という号で狩野派風の作品を描き活躍、さらには俳諧にも親しみ、俳人として高名な宝井其角を深めその延長線上にいた、松尾芭蕉とも交友をもったそうです。

書家としても活躍しながら、遊郭では芸者・太鼓持ち・敷芸人など芸者的な仕事もして楽しんでいたそうです。

当然、その芸風は素晴らしいものがあったといい、金銭的にも裕福になり、豪遊振りも話題になっていきます。

さて、順風満帆に見えるこの人生ですが1693年に入牢、捕まってしまいます。

とにかく2ヶ月間で釈放されていますが、これも理由は不明であったそうです。

当時の法令であった生類憐れみの令に違反したとして三宅島に島流しなど、度々逮捕されては入牢していた英一蝶。ほとんど、理由はわからないとされているのが驚いてしまいます。

しかし、英一蝶が人気なのはこんな状況であっても絵画を描き続けていたところでしょう。

しかも、一休和尚が飲み屋の前で酔いつぶれている作品や「群盲象を撫ず」という仏教の戒めを表現した古典モチーフの作品に独特の世界観を折り込ませるなど、類を見ないユニークで技術の高い作品ばかりを生み出し、その筋の人間たちにも好評価を得ているのです。

どうも、人気者過ぎたことが捕まってしいまう原因なのか分かりませんが、こんな楽しくユニークな方がこれほど昔にいたとは驚きですよね。

やりたい事をやる、ということは本当に素晴らしい生き方なのかもしれません。

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