「フリーダ・カーロ ~浮気の中の純愛~」

男は葬儀の始まる前から俯いて背中を震わせていた。声を殺して泣いているのであろうことは、遠目に見ても明らかだった。棺に寄り添うように座った男は弱々しく、普段よりもずっと小柄に見えた。

朝、女が死んだと告げられた。男はその事実を信じることができなかった。泣きながら妻は死んでいないと訴えた。医師や親族は困り果て、死んだ女にナイフを当て血管を切った。男の期待に反して、女から鮮血は迸らなかった。何十年も死と戦いながら弱音を吐くことがなかった妻が、ついに死を迎えたのだと男は理解した。人目も憚らず男は、声をあげ涙した。

男は妻を誰よりも大切に思っていたが、その深い愛とは裏腹に度々浮気をして女を傷付けた。様々な女性と関係を持った。ある時、女の妹との関係を持った。自分の妹と夫が浮気をしていると知った女は怒り狂った。男が愛した長い髪を切り、服装を変え、家を出た。それでも夫は義妹との関係を続けた。二人はそうしていつも傷付けあっていた。互いの愛を確かめ合うかのように、繰り返し他の誰かと深い関係を持った。1度は離婚もしたが、翌年には再婚をして元通りの歪な夫婦生活に戻った。それぞれ別々の相手と交際し続けたが、二人の心は深く結ばれていた。

女は幼い頃に患った小児性麻痺の後遺症で右脚に障害を抱えていたが、勝気で活発に成長し名門学校に進学した。男は学校の依頼で講堂に壁画を描いていた。太った中年画家の頃を、学生だった女は「老いぼれデブ」と呼んで友達と笑っていたという。女は19歳の時に交通事故に遭い、乗っていたバスの手摺りに下腹部を貫かれた。左腰から入って子宮を貫通したため、女は挙児を望みながら堕胎や流産を繰り返し経験することとなった。後遺症に苦しみながら、生涯30回以上の手術に耐えた。女の心と身体、どちらがより苦しく痛かったのだろうか。

「ちゃんと聞いてる?」
友人の大きな声で我に返った。友人は先程まで夫の浮気疑惑について熱く語り、「濃いめ!」と頼んだ5杯目のカシスウーロンを煽っていた。濃いめのカシスウーロンは甘くて太りそうと苦言を呈していたが、手元を見るとグラスには既に氷しか残っていなかった。
「甘くて濃いの、おかわりする?もしまだ飲むなら、私はまたジンライムにするけど」
「今度はカシスオレンジにする。もちろん濃いめで!」
「ウーロン茶で割るよりも甘いよ?」
「太ってもいいの!もう誰も見てくれないから」
「そんなことないって。会社忙しいみたいしだし、きっと浮気の暇なんてないって」

結婚して仕事を辞めた友人は、四季折々に旦那様との生活について笑顔で愚痴った。春までは転勤の心配、夏は男っぽさからオヤジ臭さへの変化について、秋は旅行やデートに行けないこと、そして今冬は浮気話だ。傍から見れば惚気に聞こえなくもない話だが、本人にとってはいつも大問題なのだ。だから私は友人として公平な立場で話を聞き、たまに意見もするし、同意もする。そして必要なら慰めも諌めもする。最近では当たり前のように、そんな役割を任されていた。
しかし夫の浮気疑惑について酒の力を借りて話す友人の言葉は、どうにも受け入れ難かかった。私の知る限り浮気をするような人物ではなく、話を聞けば疑う理由も特にないようだ。恐らく、平和な日々に飽きてきたのでちょっとドラマティックな展開を想像して、その妄想に嵌ってしまったのだろう。万が一の可能性さえも疑うなら、ここで私に愚痴るより本人と向き合うべきだと伝えるか否か。言葉を遮るべきタイミングを考えているうちに、上の空になっていた。気が付けば、浮気で連想した女流画家の苦痛の生涯に思いを馳せていたのである。

愛する夫が妹と浮気をしていると知って深く傷付き、家を出た女は若い男と恋に落ちた。当時その若い男は、偶然にも女の夫が監督をする現場で壁画制作を手伝わせて貰っていた。妻の浮気に気付いた夫は、自分の浮気は棚に上げて大激怒した。なんと銃を片手に浮気現場に乗り込んできたという。慌てた若い男は裸足で逃げ出し、屋根と庭木を伝って隣家へと逃げた。
これは壁画の巨匠ディエゴ・リベラと妻フリーダ・カーロのエピソードだ。ちなみにこの時逃げた若い男は、まだ名も無き芸術家の卵だったイサム・ノグチだ。夫婦はこの後もそれぞれ浮気を繰り返し、互いを傷付けあったが、結婚の誓いの通り「死が分かつ瞬間まで」二人は深く愛し合っていたのだと私は思う。

自分の死期を察したのか、結婚記念日にはまだ早すぎる夜に結婚25周年のプレゼントとして銀の指輪を夫に渡した。そして翌朝、彼女は死を迎えた。愛する夫へ気持ちを伝えたことで、彼女は心穏やかに死を迎えたのかもしれない。鎮痛剤による自殺も疑われたが、公式な死因は肺血栓とされた。

翌朝、妻の死を受け入れられず取り乱すディエゴ。仰々しい葬儀の中でポツンと心を取り残された巨匠の姿。それらを想像すると、あまりに悲しくドラマティックだ。

美しいフリーダ・カーロの写真を見ると、彼女がどんな人物だったのか興味を引くと思う。自虐的な作風は、説明がなくても彼女の苦しみや痛みや強さを感じさせる。彼女を傷つけ苦しめたのは、幼い日に患った病気と若き日に全てを奪い去った事故、そして誰よりも深く愛した夫の存在だった。胸が苦しくなるような作品を前に、人々は自分の人生と重ねて何かを感じる。彼女の波乱万丈の人生を詳しく知るのも良いが、感覚的でストレートに伝える彼女の作品を鑑賞するなら、何も考えずに向き合うのも素敵な鑑賞法だ。何を思って描いたのか、自分は何を感じるか、様々な味わい方ができる。

「ねえ、どう思う?」
友人の声に再び我に返った。根拠なきドラマティックな想像を楽しむなら、あらぬ浮気の心配よりも、浮気に傷付いた画家の作品に感じ入り妄想する方がずっと楽しいだろう。私は、一言答えた。
「きちんと話し合って確認するのもいいけど、自分が先に浮気しちゃえば?二人が本物の関係なら、他人を見つめている時こそ旦那さんの大切さが分かるかもよ?」
一瞬呆気にとられた友人の顔に、3時間ぶりの満開の笑顔が広がった。はち切れそうな笑顔で「それ名案!次回、報告するわ!」と大笑いで言った。グッドタイミングで友人の肩越しに、旦那様の申し訳なさそうな笑顔が見えた。「いつも、すみません」というような表情で軽く頭を下げる。少し前に彼女がトイレに立った隙に、この店の場所をメールしておいたのだ。
「う、し、ろ!旦那様が酔いどれ妻のお迎えにきてくれたよ。二人は大丈夫そうね。じゃあ、帰る?」
お酒のせいか、それとも旦那様の迎えが少し照れ臭かったのか、頬をピンクに染めて「うん」と素直に頷いた。カシスとライムの文字が並んだ伝票を持って、私たちは理由もなく笑いながら席を立った。

マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン
(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón)の愛と浮気にまつわる略年表
(1907年7月6日年メキシコ コヨアカン ― 1954年7月13日メキシコ コヨアカン)

1907年 メキシコ コヨアカンで誕生。
1913年 小児麻痺(ポリオ)にかかる。その時の後遺症が右脚に残る。
1922年 メキシコのエリート校に進学。
当時、講堂で壁画制作をしていたディエゴを”老いぼれデブ”と呼びながらも
「彼の子供を産むのが夢」だと友人に語る。
1925年9月17日 恋人アレハンドロと乗ったバスに路面電車が突っ込む大事故。
全身20カ所余りを骨折し、約2年の寝たきり生活。
この間に、父の勧めで絵を描くようになる。
1928年 ディエゴの元に絵を見せに行く。ディエゴの猛烈なアタックで3日後には交際。
1929年 画家の巨匠ディエゴ・リベラ(42歳)と結婚。
1930年 妊娠・流産。夫ディエゴは助手との浮気発覚。
1931年 ニコライ・ムライと出会う。(1939年まで交際)
1932年 2度目の妊娠は流産。
1933年 妹クリスティナと夫の浮気が発覚。浮気はその後も続く。
1934年 3度目の妊娠はやむなく中絶。
1935年 イサム・ノグチと交際。
1937年 革命家トロツキーと交際。
1939年 ディエゴと離婚。
1940年12月8日 ディエゴと2回目の結婚。
1945年以降 激痛に耐え数々のコルセットを試し、様々な手術を受けるが体調は悪化。
1954年7月12日 記念日にはまだ早いが死期を悟り、結婚25周年の銀の指輪を渡す。
1954年7月13日 47歳で壮絶な人生を終える。

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