アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 14

アジア的な雰囲気が漂うホーチミンのキリスト教会

~ ヴェトナム ホーチミン チュア・チュー教会 ~

1990年10月3日の東西ドイツの再統一、1991年12月25日のソビエト連邦の崩壊によって、第二次世界大戦後の東西冷戦構造が解体した。幸いにもヨーロッパ地域が冷戦の舞台となることはなかったのだが、アジア地域においては、朝鮮半島やインドシナ半島においては戦火を見えることになった。

朝鮮半島では戦闘は行われていないが、今でも北緯38度を境にして緊張状態が続いている。インドシナ半島では、1962年から13年もの長い年月にわたって、北緯17度線をめぐって、南北の抗争が繰返された。国土を焦土と化した末に、1975年4月30日のサイゴン陥落によって南ヴェトナムが消滅し、悲惨なヴェトナム戦争が終結した。

ヴェトナムの歴史を東西冷戦時代、第二次世界大戦前より前に遡ると、ヨーロッパ諸国の大航海時代にはフランスの侵攻を受け植民地支配を受けた。中世以前にはチャンパ王国として栄えたヴェトナムは、19世紀から激動の歴史を辿ったと言えるだろう。

この歴史が、現在のヴェトナムの経済活動や市民生活に大きな影響を及ぼしている。周辺のほとんどの東南アジア諸国では、何らかの宗教が国教あるいは国教に準じた地位を確立し、国民の大多数が熱心に信仰をしている。ところが、ヴェトナムには、国教的な宗教が存在しないようだ。国民の過半数が仏教徒と言われることもあるが、周辺諸国の人々の信仰心の深さとは比べものにはならないレベルだ。長い年月にわたる戦争が、人々から信仰心を奪い去ってしまったのかもしれない。

ヴェトナムには、古くから周辺諸国同様、仏教やイスラム教の文化が伝わっていた。そこにフランスをはじめとするヨーロッパ諸国がインドシナ半島に侵攻したことで、キリスト教文化がもたらされた。1615年には、ヴェトナム中部のホイアンに伝導教会が建設された。ヨーロッパの宣教師たちが次々にヴェトナムを訪れ、全国的に布教活動を展開した。かつてサイゴンの地名で南ヴェトナムの首都であったホーチミンの中心部には統一会堂に並んで、聖母マリア大聖堂とも呼ばれるサイゴン大教会が建つ。そして、郊外にも数多くの教会が建ち、街の景観にアクセントをつけている。

チュア・チュー教会も、ホーチミン市の郊外に建つキリスト教の教会だ。薄紅色の外壁に赤いとんがり屋根の外観がとても印象的だ。三角形の屋根の下にはドームを描く回廊の列柱が並ぶ。直線と曲線が絶妙のバランスを築き、スマートで安定感のあるデザインとなっている。ヨーロッパで発展したゴシックの様式美が、熱帯のヴェトナムで展開されているのだ。

教会の敷地内の岩場には、キリスト教会のシンボル、アヴェ・マリアの祠が作られている。マリアの像を風雨から守る岩を覆う草木は、まぎれもない熱帯の植物だ。ヨーロッパの文化とアジアの自然が調和し共存している。

ところが、岩の穴に立つマリア像の顔立ちをよく見ると、その表情にはどことなくアジア的なものが感じられる。礼拝堂の横のキリスト教関連のグッズが並ぶショップの中のキリストやマリアの像、数々の宗教絵画にもアジア的な香りが漂う。崇高な宗教性というよりはむしろ、キリスト教による宗教観が身近なものとなりうることをアピールしているかのようだ。

海外から新しい文化が伝わってくると、土着の伝統文化と対立することもあれば、融合することもある。ヴェトナムでのキリスト教的価値観は、古くから現地で育んできた美意識と調和し、溶け合いながら浸透したと言うことができるだろう。

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