アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 17

古代の人々の声のざわめきが聞こえてきそうなクレテス通り

~ トルコ エフェソス遺跡 1 ~

現在の国際社会は、日に日にグローバル化が進み、気軽に世界を飛び回ることができるようになった。言葉も歴史も文化も異なる地域に出かけ、容易に異文化体験をすることができる。海の上を飛行機が飛び、快適な空の旅で世界一周することも可能だ。飛行機が世の中に登場する前に、海外との交易を支えたのは海面を走る船舶だ。飛行機程のスピードは得られないながらも、巨大な船体が多くの物資や文化を運搬した。

古代ローマ人は、船を使って世界史上でいち早く海を越えて海外に乗り出した。地中海を航海して沿岸の諸国に進出し、広大な領土をもつ帝国を築き上げた。「ローマは一日にして成らず。」で形容されるローマ帝国の誕生だ。世界各国から豊かな物資や文化を運び、「全ての道はローマに通ず。」の交通網を作り上げた。

ローマ帝国の支配は海を超え、アフリカ大陸やアナトリア地方に及んだ。現在ではトルコ最大の経済都市となっているイスタンブールは、古くはビザンティンと呼ばれ、1453年までは東ローマ帝国の首都の役割を果たした。ローマを帝都とした西ローマ帝国よりも長く、帝国の機能を維持し続けた。

イスタンブールをはじめトルコの国土のいたる所に、今でもローマ帝国時代の遺跡が数多く点在している。トルコ西部でエーゲ海に面するエフェソスの遺跡はその代表的なものだ。

エフェソスに最初に入植した民族は、リディア人であったと考えられている。その後、ギリシアの植民都市として歴史の表舞台に登場する。紀元前550年頃には、世界の七不思議の一つに数えられるアルテミス神殿が建築された。そして、紀元前2世紀には共和制ローマの支配下に入り、東地中海交易の拠点となった。共和制ローマの末期には第2回三頭政治の一翼を担ったマルクス・アントニウスが、プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラ7世と共に暮らした土地でもある。

海岸線から少し内陸に入った東西500メートル、南北1500メートルの広大な敷地に近代的な街が形成された。そのメイン・ストリートとなったのがクレテス通りだ。キリスト教の聖職者であるクレテスの名前に因んで名づけられた。街の中心部のヘラクレスの門からケルススの図書館までの約500メートルの間を、大理石で舗装された石畳の道が続く。約5メートルの道幅に、数十センチ四方の石が奇麗に敷き詰められた通りは歩きやすく、今でも道として立派に機能を果たしている。

通りの各所には、ハドリアヌス神殿、ドミティアヌス神殿などの神殿から、トラヤヌスの泉、スコラティカの浴場、ヴァリウスの浴場などの水道施設、オデオン、公会堂、アゴラ、丘の上の住宅、公衆トイレ、娼館にいたるまで、都市の機能の全てが揃い、道には大勢の人が溢れたことだろう。エフェソスの聖火を守っている神官たちの行列も行われていたと伝わる。通り沿いには数多くの商店がひしめき、繁華街を作り上げていた。今でも数々の記念碑、泉、彫像の跡が残され、往時の名残を留めている。最盛期にはこの通りは、夥しい数の彫刻や装飾で埋め尽くされていたことだろう。白色の石を素材とした街の景観は、統一感と清潔感を漲らせている。

今ではひっそりと静まり返った遺跡となっているが、通りをゆっくりと歩いていると、2000年近く前にここで生活した人々の息吹が感じられてくる。古代の人が、思い思いの姿でそぞろ歩く姿が目に浮かび、時代を超えた空間に入り込んだような錯覚に襲われる。耳を澄ますと、古代の人々の声のざわめきが聞こえてくるようだ。

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