アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 21

クメールの王国の全長12キロの堅固な要塞で囲まれた帝都

~ カンボジア アンコール・トム 南大門 1 ~

中世ヨーロッパでは、都市が一つの国家として機能した。小さな都市の周囲には要塞が築かれ外敵の侵入を防いだ。行政機関や市民生活を支える施設、個人住宅がすっぽり城壁で囲まれていた。日本の戦国時代には領主の居城が城壁によって防御され、町民は城壁の外で暮らしていた様子とは少し趣が異なる。

9世紀から13世紀にかけてインドシナ半島で権勢を奮ったクメール王朝の首都も堅固な要塞で街を囲んだ。現在のカンボジアの北西部のシェムリアップの郊外に、広大な城砦都市「アンコール・トム」を築き上げた。「アンコール」はサンスクリット語で「都市」、「トム」はクメール語で「大きい」という意味をもつ。

一辺約3キロにも及ぶ城壁が、ほぼ正方形の約9平方キロの広大な敷地を取り囲む。ラテライトで築かれた高さ8メートルの城壁に加えて、その外側に掘られた幅130メートルの環濠を超えて、中に侵入することは容易いことではないだろう。

アンコール・トムは、12世紀後半にジャヤヴァルマン7世によって建造された。1177年頃にはクメール王朝は、隣国のチャンパからの猛攻によって首都を奪取されてしまい、帝国滅亡の危機に瀕していた。その窮地を救ったのが、ジャヤヴァルマン7世だ。優れた智勇と巧みな戦術によってチャンパ軍と徹底抗戦し、首都を奪還し王位についた。1181年から1218年まで在位し、都市の建設を行った。強力な戦力を維持するばかりでなく、内政面にも手腕を発揮し、国内の街道整備、病院の建設を積極的に行なった。

アンコール・ワットの創建時には、領内ではヒンドゥー教が広く信仰されていたが、12世紀後半からは大乗仏教が盛んに信仰されるようになっていた。ジャヤヴァルマン7世も篤い信仰心をもった仏教徒であり、偉大な至高の仏教徒を意味する「マハーパラマソウダガ」という尊号を持っていた。

帝都のアンコール・トムの中央には、仏教寺院のバイヨン寺院が建設され、この寺院を中心に十文字の道路を整備し、人や物資の大動脈とした。他にも、王宮、バプーオン、ピメアナカスなどの仏教寺院、象のテラス、ライ王のテラスなどの施設が、豊かな市民生活を支えた。

バイヨン寺院から伸びる道路は、要塞に作られた南大門、北大門、西大門、死者の門に繋がる。各々の門が、帝都への入口となったが、破損が激しく往時の姿を現在に留めるのは、アンコール・ワットの北1500メートルのところに建つ南大門のみとなっている。

高さ約23メートルの堂々とした門は、王が象に乗って通ることができる大きさだ。砲弾のような形をした城門の塔には、東西南北の4面に観世音菩薩の彫刻が施されている。長さは2メートル前後の顔には、柔らかで穏やかな微笑を浮かべている。クメールの微笑と呼ばれる表情で、帝都に訪れる人を優しく歓迎しているかのように見える。また、門の左右には3つの頭をもつ象、雷神インドラの乗物アイラーヴァタが蓮の花を掴む姿が彫り刻まれている。

城門から堀を結ぶ橋の欄干には、ヒンドゥー教の天地創世神話「乳海攪拌」を模られている。城門に向かって右側には悪鬼のアシュラ、左側にはヒンドゥー教の神デーバが各々54体ずつ並び、双方が抱えるようにしているのがナーガを引っ張っている。

アンコール・トムは、外敵からの防御を目的として設営された帝都だが、同時に「神の世界」を象徴するというクメール宇宙観に基づいて建造されたものだ。アンコール・ワットと同様に、須弥山を具現化したものだと伝えられる。

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