アジアの遺跡に見る時空を超えたアート 22

激戦を終えて凱旋する兵士たちを迎える2つのテラス

~ カンボジア アンコール・トム 2 ~

日本美術の歴史を顧みると、仏教美術が重要な位置にあることは明らかだ。朝鮮半島の百済から日本に仏教が伝わったのは、538年とも552年とも言われる。それ以来、仏教的な宗教観、価値観とともに仏教美術が、次々に海を越えて日本にもたらされた。

日本全国に点在する寺院の伽藍や境内には、長い歴史を経て無数の仏像が安置されている。奈良の大仏は、その大きさと穏やかな表情で、日本で最も有名な仏像だろう。その他の全国各地で見られる仏像は、ほとんどが三次元的な彫刻で作られてきた。人間に近い形をした仏像の前で、多くの人が手を合わせて静かに祈りを捧げる。

12世紀後半に、クメール朝の王として、インドシナ半島を治めたジャヤヴァルマン7世は、仏教的な価値観の基に大国に住む人々の舵取りを行った。隣国のチャンパなどの侵攻に備えて、巨大な要塞都市アンコール・トムを造営した。一辺約3キロにも及ぶ堅固な城壁に囲まれる敷地の中の中央に、仏教寺院のバイヨン寺院が建造し、この寺院を中心とする十文字の道路や、王宮、バプーオン、ピメアナカスなどの仏教寺院、テラスなどの施設を整備した。

バイヨン寺院と北大門を結ぶ道路沿いには、2つのテラス、ライ王のテラス、象のテラスが並んでいる。ここでジャヤヴァルマン7世は、激しい戦闘を終えて凱旋する軍隊を閲兵したと伝わる。武器をもって集合する兵士の姿は、さぞや勇壮であったことだろう。

ライ王のテラスには、夥しい数のデヴァターやナーガのレリーフが施されている。日本に数多くある仏像彫刻とは異なり、彫刻に近いハイレリーフのスタイルで作られている。高さ約6メートル、長さ約25メートルのラテライトと砂岩を積み上げた壁面には、レリーフが上下左右にぎっしりと詰まっている。その数を正確に数えることなど到底できない。一つ一つのレリーフは、独特の姿勢や表情をし、同じ形のものを見つけ出すことなどできない。この当時のクメール美術が、このテラスに勢揃いし乱舞しているのだ。一つ一つの仏像を丹念に眺めていくと、いくら時間があっても足りないだろう。戦闘によって命を失った人たちの霊魂を慰める意味を持ち合わせていたのかもしれない。

1965年にアンコールの遺跡を訪問した三島由紀夫は、ライ王伝説から着想を得て三幕物の戯曲『癩王のテラス』を執筆した。「熱帯の日の下に黙然と坐してゐる若き癩王の美しい彫像を見たときから、私の心の中で、この戯曲の構想はたちまち成つた」と、この作品のあとがきに記している。

テラスの上には、クメール朝初期の9世紀末から10世紀初頭にかけて、この地に都を築いたヤショヴァルマン1世の像が静かに佇む。クメールの守護神と伝わる大蛇と死闘を繰り広げこれを倒しながら、その返り血が赤いバラの花のように肌に残り、そこから斑紋ライを発病し落命したという伝説が伝わる。

ライ王のテラスの南には、象のテラスと呼ばれる長さ350メートルの長い壁が建つ。壁面の高さは、中央部や両端は約4メートル、中間部は約3メートルあり、その表面には、象や馬に乗って戦う兵士、剣を持つ兵士、5つの頭をもつ神馬、象の鼻と遊ぶ子どもなどが、いきいきと刻み込まれている。

テラスの上に登る階段の両側には、象の頭部を模った彫刻が施される。テラスの上から地面に向かって象の長い鼻が、3本垂れ下がる。力強い象の鼻の上から王が兵士を鼓舞すれば、兵士たちは奮い立ったに違いない。テラスの中央から東に向かう道路の先は、勝利の門につながっているのだ。

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