食のグローバリゼーション 1

大阪ミナミの道頓堀から旅立つ「食のグローバリゼーション」

~ 大阪 難波 道頓堀のくいだおれ ~

人は食べ物を食べなければ生きてはいけない。食べることによって栄養を吸収し成長する。食べることによってエネルギーを吸収し活動を行う。紛れもなく人間の生命活動の基本だ。毎日の食生活には我が家の定番メニューができ、代わり映えがしないことも多い。でも、誰しも美味しい物を食べたいと思っていることだとう。より美味しい食材、より美味しい料理を求める。それによって、生きるために食べていた人が、食べるために生きる人に変貌を遂げる。人間が生み出した文明や文化の中で、食文化は最も身近で、発展目覚ましい文化と言っても過言ではない。

人が集まる街の中心地には、各種の飲食店が出店する。大阪ミナミの道頓堀の姿は壮観だ。毎夜、色とりどりのネオンが輝き、不夜城のようだ。派手目だが、思わず食欲がそそられる。江戸時代には、江戸は武士の町、大阪は商人の町と言われた。道頓堀には世の中の景気、不景気とは無関係に毎日活気が漲る。

夥しい数の飲食店は、店ごとに客の呼び込みに工夫を凝らす。客が入らなければ、商売は成り立たないわけだ。戦後間もなくの1950年に、人間に代わって呼び込みをする人形が登場した。「くいだおれ太郎」と名づけられた人形は、店の看板娘ならぬ看板人形として人気を集めた。1軒の飲食店「大阪名物くいだおれ」の店舗前は、いつしか観光スポットとなった。人形と一緒に記念撮影をする人が引きも切らない。ところが、長年営業を続けた店舗も閉店となり2008年7月8日、人形の姿が突然街から消えた。新聞各紙は寂しさを隠すかのように、「くいだおれ太郎」の旅立ちを伝えた。


時の流れによって流行り廃りがあり店舗は目まぐるしく変わるが、くいだおれの街そのものは不変だ。道頓堀川に沿って歩けば、食べることができない食材などない。洋食、中華、エスニック料理に、和食の寿司、ふぐ、かに料理まで、飲食店のはしごをすれば、いくつ胃袋があっても足りるものではない。店の名前にも、「くいだおれ」や「道楽」などの文字が数多く見られ、食べることに対して勇ましい。

食べる物を決めずに通りを歩くと、何度も同じところを往復することになる。足を動かす「かに」、お腹を膨らました「ふぐ」、鉢巻をした「たこ」など、視線が定まらない。その姿は、客の呼び込み、店の装飾の域をはるかに超え、オブジェ化している。大阪ならではのユーモアが溢れる。各々のオブジェは無機質な存在ではなく、「うけ」を狙いながら人々に声をかけているように見える。下を向いて歩くと見逃してしまうアートに満ち溢れている。オブジェに引き寄せられるように、店に入る人も少なくないだろう。

交通の便が発達した現代の社会には、身近なところに様々な食材が溢れる。野菜や果物、魚介類、肉類など、バラエティー豊富な料理を味わうことができる。あらゆる食材が集まる食堂街もあれば、特定の地域でしか味わえない郷土料理もある。

個人の価値観によって、幸福感は変わるものだ。経済的な豊かさを求める人もいれば、それを捨て精神的な豊かさを求める人もいる。だから当然、食の豊かさを追い求める人がいてもいいだろう。

食べることは、生命を維持する基本的な行為だ。だからと言って食欲を満たすだけでは、楽しみはない。より美味しい料理、豊かな食材に出会い続けたいものだ。全ての料理や食材には、人間が歴史の中で築き上げた食文化が潜む。くいだおれ太郎も旅立った。これから私も、大阪ミナミから世界に向けて食の旅「食のグローバリション」に出かけてみたい。

 

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