青木十良との出会い

昨年亡くなった吉田秀和氏はエッセイの中で、”若い頃は、今苦しいのは若いからで、もう少しさきになれば、智慧がつき、ものごとがもっとわかるようになるだろうと期待していた。しかし、私にわかったのは、年をとればとるほど、人生、万事につけて、むずかしくなり、若い時のようにはやれなくなるということぐらいである”

だが、その言葉を打ち消すような人物がいたのである。

 

青木十良氏、今年の7月で98歳を迎えるチェリストである。青木氏との出会いは9年前の新聞記事だった、その記事には一切目もくれず何故か顔に惹かれ凝視してしまった。当時90に手が届くというのにたおやかな表情、楽観とした佇まい、そのようなものが紙面を通して浮かび上がってきた。これまで一度たりとも人を羨むことなどなかったのに、心ならずも気持ちがざわめいた。

いつしかこのようなやわらかい顔になれたら、どんなに嬉しいかそればかり考え見つめていた。この男の人生はどんなものだったのだろう、我が身と照らし合わせながら考えた。顔は人生そのものだと人は言う、生きた証が顔に映る、本当にそうだろうか…それが事実だとすれば私はきっと醜い老人になるだろう。記事の中味を読まずタイトルだけ見た、チェリストと書いてある。

すかさず仕事癖が過ぎる、何処かのテレビ局が撮るに違いない、そんなことしか頭に浮かばない自分に苛立ちを感じつつ、切り取った記事をなぜかファイルに閉じこめてしまった。

それから1年が経ち、偶然ファイルを開けることがあり青木氏の記事と向かい合う。1年前に見た気持ちが変わってないことに気づく、居ても立っても居られない感情が沸き立ち、片っ端から「青木十良」をネットで検索していった。

青木氏のCDがリリースされていることは分かったが、当人の紹介はどのウェブにもない。漸く青木氏をアプローチ出来そうなサイトにたどり着いた、それはマイナーレーベルが青木をバックアップしているところで、記事に載っていたCDの発売元でもあった。早速連絡を取り、CD制作元のプロデューサーとコンタクトでき連絡した当日会うことが出来た。話は4時間にも及び、初めて会った人間であることを忘れ無謀にも喋り続けてしまった。

青木氏とはプロデューサーと出会った二日後に接触でき、青木邸は世田谷の閑静な住宅街にありチェロを奏でるには申し分ない場所にあった。

応接間とレッスン部屋を兼ねた部屋に案内され、しばらくすると腰を屈めながら青木氏が入ってきた。記事に見る青木氏の印象よりもさらに柔和に思え、一見するとアーティストとは思えないくらい平凡な老人にも思えた。あのフジコ・ヘミングに見られるようなインパクトはなかったが、それ故余計にこちらの好奇心は強くなって行く、ヘミングが抜き身の刀であるならば、青木氏はきちんと鞘に収めているそんな印象であった。時間と共に、初見とはまったく違う顔を見せてきたのだった。

新聞記事に掲載されたあの柔和な顔で青木氏が語る、「シャンパンが弾けるような音色を追い求めていきたい」と。

そして青木氏の撮影がスタートした、6年という歳月が流れていった。当初、テレビで放送する予定であったが、局と意見の相違があり劇場で上映する方向へとシフトを変えたのである。

道のりは長かったが、念願の映画が昨年4月にオーディトリウム渋谷にて上映された。懸念はシートが埋まるだろうか、そればかり考えていた。だがそれは杞憂に過ぎず、日増しに観客数はアップし、立ち見どころか劇場に入れない人まで出たのである。こちらの予想を見事に覆し、テレビの低迷が始まって久しい今、人は何かを希求し藻掻いている、感情が抑えきれないほどの一週間だった。

その映画が昨年同様オーディトリウム渋谷で、4月6日から再上映される。これは映画館側からのオファーで、これも全く予想していなかったことで、果たして今回の上映はどうなるか。

 

 

 

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