カテゴリー:Zief Spielzeug Kasten
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“映画をめぐる美術”の四次元をめぐる
タイトルが少々オーバーに思えるかも知れないが、映画に於ける美術(セットや小道具などの類)は四次元の空間を指す。 四次元は三次元の空間に時間という概念が加えられたものだ。 三次元は空間のみであり、そこには時間が存在…詳細を見る -
ジオラマになった昭和の渋谷
昭和の渋谷があった、それはデパート1階フロアー奥の目立たない場所に置かれたジオラマである。 思わずその光景に引き込まれ、時を忘れ魅入ってしまった。 そこに去来したものは、懐かしさと時代の古さが入り混じる複雑な心境…詳細を見る -
イスラムの地、東京ジャーミイ
小田急線の東北沢から代々木上原を通過する際、車窓から鉛筆を削ったような塔が見える。 それは東京ジャーミイ、トルコ共和国在東京大使館所属のオスマントルコ様式のモスクだ。 旧宅を訪ねて来る友人たちにはこのモスクが目印…詳細を見る -
お国自慢フリーペーパー、渋谷パルコから発信
書店に行くと必ずあるものを探す、それはPR誌。 ”ちくま・波・図書・一冊の本”等々と言った小冊子が、出版社を通じ販促用として発行された定期刊行物。 小冊子の裏には値段が印字されているが、その殆どは無料である。 …詳細を見る -
小津安二郎、こだわりの静物画
ロー・アングルとロー・ポジションからのカメラワーク、それが小津安二郎の特徴だ。 現在、東京国立近代美術館フィルムセンター展示室で”小津安二郎の図像学”の企画展が開催されている。 小津が亡くなって110年、没後50…詳細を見る -
幕末〜平成の時を経て、眠りから醒めた日本近代音楽150年
昨年、東京オペラシティ アートギャラリーにて”五線譜に描いた夢 -日本近代音楽の150年展”が催された。 これは展覧会の関係者からの誘いがきっかけだった、当初気あまり乗りしない気持ちで出かけて行ったが、それは大いなる心…詳細を見る -
モンタージュの映画作家アラン・レネ
アラン・レネが旅立った、91歳、ヌーベルバーグ左岸派の監督は永遠の眠りに就いた。 4年前、ユーロスペースと東京日仏学院に於いてアラン・レネ全作上映~フランス映画祭の日のことが頭に浮かぶ、全作品を観ることはできなかったが…詳細を見る -
ネオ・ダダたちの蔓のようなしたたかさ
そのギャラリーは銀座のど真ん中にあった。 見渡せば辺り一面建築ラッシュの喧噪の中、目的の建物だけで昭和の幻影とも思えるビルディングが瀟洒なビルに囲まれひっそり聳えていた。 銀座のギャラリーともなると厳めしい構えが…詳細を見る -
武士のアイデンティティ、花押
今やクレジットカードを持たない人は、皆無に近いと言えるだろう。 時に束になったカードを財布からこれ見よがしに見せつける御仁もいたりするが、近年はカード審査が厳しくなり容易く作れない時代になっている。 日本でスター…詳細を見る -
数多の”タグ”を持つキューブリック
2013年劇場で映画を観たのは数えるほどであったが、その中で気になったのが、スタンリー・キューブリックの「恐怖と欲望」だった。 キューブリック特有の”一点透視”とは一線を画した稚拙な映画であったが、若干25歳という若さ…詳細を見る -
タクトを執る西脇義訓、実験的マエストロ誕生
西脇義訓氏がタクトを振るった、 正直驚いている。 大学時代はワグネル・ソサィエティ・オーケストラに所属し、チェロ奏者として活躍していたことは聞いてはいたが……驚いたのはそれだけではなかった。 オーケストラの…詳細を見る -
無垢の画家、熊田千佳慕
アリが縦列を組んで懸命に餌を巣に運んでいる、 道路規制もない昆虫世界の中でアリはコースを外すことなく、一列になって冬ごもりの支度に精を出している。 誰もが子どもの頃に、こんな場面を1度くらいは見たことがあると思う…詳細を見る -
シーレの退廃と官能、それは神との訣別
拙宅にエゴン・シーレの自画像がある、もちろん複製画だ。 亡くなったのは28歳、既に老成を想起させるこの自画像、顎を突き出し、眼は大きく見開き何かを見据えている、映像で言うならバストショットだ。 胸から下は描かれて…詳細を見る -
ハイレッド・センターたちの企て-半世紀前の攪拌
地下1階にあるその会場にはどこか不穏な空気が漂っていた、、、 ジュラ紀より忽然と現れたオーバルのようなフォルムをした琥珀色のオブジェからの誘発だろうか。 そのフォルムはアクリル樹脂で出来ており、目を凝らして覗き込…詳細を見る -
父から譲り受けたビクトリノックスのナイフ
猛吹雪の中、愚かにも渋谷へ出かけた、ビクトリノックスのナイフを見たいがために文化村ギャラリーへ赴いたのである。 この六花はこれまで経験したことのないほど身体が凍り付くような日だった、降り止まない雪、どんどん傘が重くなっ…詳細を見る -
国立新美術館- アイルトン・セナの降臨
古舘伊知郎がF1グランプリを実況していた頃、アイルトン・セナを称して”音速の貴公子”と異名を付けたことがあったが、けだし名言である。 1992年モナコグランプリに於いて、セナとナイジェル・マンセルがトンネル出口でテール…詳細を見る -
尊厳と懊悩が交差する、フランス国立芸術家の家
先日2008年にBSで放送されたハイビジョン特集”残照”フランス芸術家の家を観た。 全編ナレーション無しで通すところなど、これまでのドキュメンタリーとは一線を画し、斬新とまでは行かずとも映像手法の奔流から逸れた作りがナ…詳細を見る